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111.奄美の誘惑

2004.3.30
【連載小説111/260】

駅の雑踏の中で一枚のポスターに目が釘付けとなり、暫しその前で身動きできなかった。

大袈裟さではなく、その日本画のポスターはそれほど強烈な印象をもって僕の心に飛び込んできた。

アダンという亜熱帯植物が題材となったそのポスターは、奄美群島日本復帰50周年を記念して大阪の百貨店で開催されているひとりの偉大な画家の作品展のPRポスターだった。

50歳で奄美大島へ移住し、孤独と病と闘う創作生活の後、静かにその地で生涯を終えた画家の名は田中一村。

生前に奄美の地で個展を開くことのなかった一村の作品は死後に注目を集め、今は同地に記念美術館もあるらしい。

早春のこの季節、日本の都会を歩けば観光業界の夏戦略なのか、眩いばかりの南国ポスターをあちこちで目にすることができる。

そんな中にあって、一村の絵には切ないほどの物悲しさがあった。

嵐の前なのだろうか?
海岸線に立つアダンの木の背景は今にも泣き出しそうな暗雲の空。
楽園の象徴ともいえる大きな原色の実が嵐の前兆に震えているかのように見えた。

その絵の世界と、それを描いた画家の心に近づきたいと強く感じた僕は、JRの改札を出て地下鉄に乗り換え、展覧会場のある百貨店へとむかった。

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シンガポールから日本へ。

38日間の旅を終えてトランスアイランドへ戻るべく、僕は関西国際空港発ホノルル行きJAL078便の機上にいる。

沖島の取材後、10日間ほど、琵琶湖畔の町々を転々とした。
そして昨朝、滋賀を出て大阪へ戻った際に駅で偶然目にしたのが一村のポスターだった。

予約した便は22:10発と夜遅いから、大阪の街で時間をつぶすことにして途中下車したのが正解だったらしい。

旅の魅力はその先々で出会う偶然を発端とする寄り道にもあるから、数時間の展覧会鑑賞は今回の旅の最後を飾る有意義なオプションとなった。

「日本のゴーギャン」

会場に並べられた田中一村の関連書籍の帯にそんな解説があった。
南の島を愛する者の心をくすぐるキャッチフレーズだ。

文明社会や画壇に背を向け、小さな島で後半生の孤高なる創作を重ね、最期はその地で没する…

この年譜のみを見れば、ふたりの画家は近しい。
が、一方でふたりの人生には大きな相違点がある。

船員から軍人、株の仲買人を経て画家へ転身した波乱万丈のゴーギャンに対して、幼い頃から天才画家として知られた一村は、ひたすら絵を描く中に人生を重ねた。

ゴーギャンが妻子を捨ててタヒチへ移住し、そこで愛人を得たのに対して、一村は生涯独身を貫いた。

いや、ふたりの相違は作品そのものが雄弁に物語っている。

タヒチに暮らす褐色の民を主な創作の対象としたゴーギャンに対して、一村の奄美作品は全てがありのままの自然だ。

人間と自然の関係性、若しくはその比重。

芸術にしても小説にしても、作者個々にオリジナルなものとして内在するバランス観というものがある。
そして、作品を通じてそのバランスを観察することも鑑賞や読書の魅力のひとつだ。

多分、一村は自然の中にあってそれを見る自らの存在さえも消し去るという100対0のポジションに創作の道を求めた。

と、空調の効いた百貨店に、ある種の違和感をもって並ぶ南国の自然画を前に、僕は推測したのだが、その検証は実際に奄美の地で彼と同じ場所に立たなければできないだろう。

実は、一村の展覧会を出た後、僕の中にある衝動が生まれた。

このまま空路を変更して奄美大島へ飛んでみようか…

そんな「奄美の誘惑」だった。

僕の旅のルールは常に片道きっぷで出掛け、先々の寄り道を惜しまないこと。

旅先での出会いやインスピレーションを繋いで予定外のコースを転々とする放浪を重ねてきた中で、寄り道こそが旅の深みであり、創作ヒントの宝庫であることを経験的に知っているからだ。

が、今回はその誘惑に従う訳にはいかなかった。

そう、4月1日はトランスアイランドの島開き記念日。
明日から2周年記念行事の準備に加わる予定になっている。
いかに他島の誘惑が強くとも、我が島の記念すべき節目の方が優先である。

それに、今後は度々取材で日本に来ることになる。
奄美を訪ねる機会が遠からずあるかもしれない。

一村が見た世界の追体験は、それまでのお楽しみということにしておこう。

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「生涯の最後を飾る絵を描きたい」

千葉から奄美へ渡った50歳の一村の思いである。

創作者というものは、常に死ぬ場所というか、帰る場所を求めているような気がする。

僕にもそんな性癖があるな、と考えていたら第46話でゴーギャンにも触れながら『楽園年表』なる手記を残していることに気付いた。

いつか放浪の人生に区切りをつけ、辿り着いた安住の地で自然のリズムに身を任せて私的紀行記を創作すると自身の未来を記していた。

旅のルールは人生のルールでもある。

片道きっぷで旅立ち、惜しまずに寄り道を重ねても、いつかは帰るべき場所へと戻ってくる。
ゴールを見出す作業そのものが人生、ということなのかもしれない。

絵筆という片道きっぷを片手に奄美という最後の場所を見出した一村の年齢まで、僕にはちょうど10年の月日がある。

島へ戻り、開国2周年の喜びを友と分かち合う中で、人生という長い旅の続きを考えることにしよう。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

20年前が「奄美群島日本復帰50周年」であったなら、今は70周年ということになります。
※正確には2023年

大阪の百貨店で開催された田中一村の展示会に立ち寄ったことなど、完全に忘れていましたが、そこで見たアダンのポスターは鮮明な記憶として残っています。
田中一村という画家の存在はそれ以来、僕の中では奄美王島そのものです。

「日本のゴーギャン」
このキャッチフレーズもまた、本家?ゴーギャンに関して様々にテキストを残していた僕にとって強烈なものでした。

文明社会や画壇に背を向け、小さな島で後半生の孤高なる創作を重ね、最期はその地で没する…

このポジションは創作活動を始めた僕の基本スタンスのようなものでしたが、西洋と東洋のアーティストを比較して、その作品の決定的な相違点を記していたのも面白いところです。

絵画ではなく文筆の分野で『儚き島』という空想空間へ移住?した僕の人生はいまだゴールを見出せていないような気がします。

文明からの隔絶による自由など人類には不可能であった。

ゴーギャンに触れて46話に書いたこの一文が、20年を経て僕の中ではリアルになってしまった感はあります…
/江藤誠晃

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