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059.楽園の温度調整機能

2003.4.1
【連載小説59/260】


前回に続いて「戦争」と「防衛」のことを記そう。
その後の関係者による議論をまとめておきたいのだ。

結論から言うと、どうやら今度の戦争は思ったより我々に近いところで起こっている。
物理的な距離ではなく、そのネットワーク性によってだ。

長期化が予想される戦争をエネルギーの側面から観察するとわかりやすい。

局地の戦闘にも遠隔地からの大量物資移動にも膨大な燃料が使用される。
これらは平時には費やされないオプションのエネルギーだから、環境的に「悪」である。
おまけに戦争そのものの背後に化石燃料の利権が見え隠れするから、貴重な資源の未来
を模索する全地球的取り組みは後送りにされる。

人類が共有すべき有限なる資源の大量喪失は、そのツケが何れ個人に回ってくるのだ。

続く戦後の復興にも目を転じよう。

社会整備や産業育成は大国のリードで行われるが、(「リード」ではなく「都合」という表現が適切か)そのシナリオは未だ大量生産、大量消費の文明スタイルのままになるだろう。

また、我が母国日本などは不景気にもかかわらず、多額の金銭出費を求められることが予想されるから、これは経済的にも「悪」だ。
そのコストをもっと健全で建設的なプロジェクトに投下できれば、きっと世界は「平和」に向かう。

例えば、トランスアイランドのようなプロジェクトに…

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平和な島の生活に慣れることで忘れてしまいがちなのが、我々の外敵「地球温暖化」だ。
海面上昇をもたらすこの大敵は、じっくりと時間をかけて我々のような小さな島々を海へと引きずり込む…
(トランス・プロジェクトの存在に大きく関わるこの問題は1年前第4話に記した)

そう、化石燃料の過剰消費や行き過ぎた文明活動が背後にあることにおいて、イラクの戦争とトランスアイランドの「闘い」は、その遠いものではないという共通認識をコミッティ関係者は持つに至った。

故に我々は、第三者として「反戦」を唱える立場から一歩進んで、人類という「争い」の当事者の愚かさや悲しさを、より根深いところで「観察」し直してみるべきだと方向性を一本化できたのだ。

まずは事象を注意深く分析し、冷静に判断する。
それも過去のしがらみや慣習に捕らわれることなく…
そんなポジションが、トランスアイランドでは可能なはずだ。

で、今回の開戦に至る国家関係の構図と、CO2削減や京都議定書を巡る地球温暖化問題における各国の構図に似た部分を感じているのは僕だけではないだろう。

まずは世界レベルの課題を、国家間ネットワークで解決しようという動きが起こる。
そこで横断的組織が結成され、個々の利害を調整しながら全体としての解決策が模索される。
(環境サミットや国連のことだ)

ここまではいい。
世界がひとつにネットされた近代的モデルだ。

が、ここからが難しい。
調整の段階となると、たちまち個々の都合が表に滲み出てくる。
「総論賛成、各論反対」というやつだ。

削減目標達成が困難と見るや、協調の席から去る者が出る。
(自国事情を国連より優先して開戦へ進んだ米国の動きは、京都議定書を批准しない姿勢から充分に予測できた)

続けて、努力不足を金銭で解決しようとするCO2排出権売買などが生まれる。
(二酸化炭素排出は地球全体に及ぶものだから、結果として全体目標が達成されれば、そこに金銭取引が介在してもいいではないか、という理屈はこの問題に通用しない。「環境」という自然摂理レベルの「精神性」の問題を「経済」の論理で強引に解決する詐欺といってもいいと僕は考える)

戦争と地球温暖化問題の2構図が似ていると記したが、それらは既にネットされている。

つまり、風力発電や太陽光発電というエコロジカルなエネルギー政策に早期から力を注いだ国家が今回の戦争に反対したのも偶然ではないし、好戦的ではないが、最初から努力を放棄して金銭解決に走る国家が、結果的に戦争に巻き込まれてさらなる財政難に陥るとしても、それは偶然ではないということだ。

まずは「個」の独立や努力があって、「全体」がネットされた「勝利」は可能であることを我々は考えるべきなのだ。

新たなエネルギーを模索する努力。
罪なき民の流血に頼らない、議論による国際政治。
「適正」を求めて、ひとたび得たものを捨てる勇気。

人類の中に「闘争心」があるならば、それを向ける対象はいくらでもあるのだから。

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島に住んで日々海を見ていても、人がコンマ数ミリの海面上昇に気付くことはないだろう。
が、その蓄積は確実に我々を崩壊へと導く。
努力を怠り、流されるままであればその速度はなおさらだ。

海面上昇値も、CO2濃度も、武器の保有数も、マネー経済も…
客観化された数値などは所詮、全てが机上の空論なのだ。

大切なことは、その足を海水に浸して、ひとつに繋がった世界をライブに感じること。
青い空に自らの努力目標をより高く追い求めること。

そして、その実感を得ることのできる場所がトランスアイランドであり、「楽園」なのだ。

「地球温暖化」が20世紀の負の遺産であるならば、「楽園」は「文明化熱」を冷ます21世紀の温度調整機能を果たせばいい。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

地球温暖化の脅威について当時よく話題になったのが、海抜の低い太平洋島嶼国家が「このままでは海に沈む」という危機報道でした。

ツバル、ナウル、マーシャル諸島共和国などの具体的国名があがり、実際に僕もマーシャル諸島共和国への取材を行いました。

あれから20年…
では、どこかの国が消滅したとか、オーストラリアに大量の移民が移動したとかのニュースが届くことはなく、むしろ報道されるのは海洋プラスティックゴミ問題。

自然との闘いという構図よりも、人為的な社会課題が海を汚しているというのがSDGs14の「海の豊かさを守ろう」のターゲット文を見てもわかります。

「浮き沈み」というワードを用いるなら、対象は「島」ではなく「人類」なのでしょう。
それも沈む要素ばかりが目立つ昨今、人類は「浮遊」要素を見出していく必要があります。
/江藤誠晃


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