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030.天命の再会

2002.9.10
【連載小説30/260】


育った国をあとに単身異国を目指し、勇敢かつ孤高なる闘いを経て、その成果を持って凱旋する、というのがグローバル社会におけるヒーロー像なのだろう。
スポーツやエンターテインメントの世界のことだけではない。
マーシャルのジョンも、紛れもなくそのひとりだ。

僕にとって1年3ヶ月ぶりのマジュロ国際空港。

国際空港といっても近代的な空港ではない。
環礁の島の横幅が、そのまま一本の滑走路を取り巻く空港の幅であり、滑走路自体も短い。ランディングした機体は急制動をかけるから、乗客は皆、前のシートに両手か両足を伸ばして踏ん張る。
滑走路を端から端まで目一杯使って着陸を果たした機体が小さな空港ビルの方へ移動して停止すると、タラップ車が横付けされる。
のどかな南の島の空港だ。

さて、今回、マーシャルを再訪して驚いたのは、空港での熱烈な歓迎だった。
何百人もの老若男女が空港のフェンス沿いに集まり、国旗や横断幕を振ってジョンの帰国を待っていたのである。
ジョンがタラップにその姿を現すと、大きな歓声とともに太鼓や笛が鳴り出し、滑走路では政府関係者が我々を国賓のごとく迎えてくれた。

もっとも、一番驚いたのは当のジョン自身だろう。
少数の人に見送られて、岸辺からカヌーで静かに国を離れて二ヶ月。
国民的ヒーローとなって凱旋した訳だから…

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「何が近道で、何が遠回りなんだろう?」

オアフ・マジュロ間を結ぶアロハエアラインの機内で、ジョンのつぶやいたひと言が強く印象に残った。

ジョンとボブと僕は、早朝にコミッティの専用機でオアフに飛び、ホノルル国際空港から週に2便運航しているマジュロ便に乗り継いだ。
約5時間のフライト中、ジョンはボブからもらったPDA「nesia」の操作に長時間を費やしていたのだが、世界地図のアプリケーションを立ち上げて画面上に太平洋を表示させて、しみじみとそうつぶやいたのだ。

トランスアイランドはハワイとマーシャルの中間に位置している。
いったん大きく北東のハワイに戻ってそこからマーシャルを目指す航程は、ジョンの航海の3倍以上の距離でありながら、要する時間はたったの半日。
それも柔らかいシートに身を任せるだけで目的地に着くのだから、厳しい航海で単身トランスアイランドを目指したジョンに複雑な思いが宿るのも無理はない。

そして、同じ太平洋地図を見ながら、僕はジョンとは全く違う不思議な運命を感じていた。
昨年、取材でマーシャルを訪れた僕は、当時暮らしていたオアフから一旦日本に戻り、数日仕事をこなした後、グアムに渡り、そこからアイランドホッピング便でマジュロを目指し、同じルートを引き返した。
その後、生活の拠点がトランスアイランドへ移り、今回はジョンという少年との出会いに導かれて、ハワイからマジュロを目指している。
そう、巡り巡って僕の中の太平洋地図にひとつのリングが完成しようとしていたのだ。

さて、空港で歓迎された我々は、そのままマジュロ島中央部にある議会の建物で開かれる政府主催のささやかな小宴に招かれた。
ジョンの偉業に対する国からの表彰式とトランスアイランドとの友好プロジェクトのキックオフを兼ねたパーティーで、公務で空港まで出迎えに行けなかったことを詫びるカブア氏ともそこで再会したのである。

「何か運命的な再会ですね?」
と、強く握手を交わしながら、僕が言うと
「いや、天命の再会ですよ」
とカブア氏は微笑んだ。

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今日は9月10日。
明日であの米国同時テロからちょうど一周年。

手元の「nesia」の太平洋地図をさらにズームアウトしていくと、東西にニューヨークとアフガニスタンが現れる。

「何が近道で、何が遠回りなんだろう?」
ふと、ジョンの素朴な疑問を、地球とそこに暮らす人類全体に投げかけてみたくなる。
どれだけ旅の道のりを空間、時間的に短縮させることを可能にしても、人類は未だ人と人の心を結ぶ正しき道を見出せずに、ある種の迷子のままだ。
海の民に根付くカヌーの航海術のごとき勇気と知恵が、人の生きる道にも育まれないものだろうか?

マーシャル政府側のはからいで、ボブと僕はマーシャルを充分に知るための視察や会合を重ねることになった。もちろんカブア氏が全てを取り仕切ってくれている。
滞在は少し延びるかもしれない
次週はその中身を報告できるだろう。

------ To be continued ------

※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

現実世界と物語世界がシンクロするハイパーフィクション。
というのが『儚き島』というネット文学のコンセプトでしたが、今で言うならSociety 5.0型文学なのかもしれません。

ニューヨーク発のTVニュースで9.11のテロをリアルタイムで見た衝撃が僕に与えたものはある種の焦燥感でしたが、その1年後にこのような思索と創作に取り組むことになるとは不思議な「縁」だったように思います。

ヒトの心と頭の中では常に「現実」と「理想」がシンクロするものですが、双方から目を逸らさず「観察」と「報告」を行うことは文学にしか担えない営みだと確信したような記憶があります。

振り返って考えてみると、ここで登場するマーシャル諸島共和国や、足繁く通っていたハワイの島々が常に「文明の迷い人」である僕に投げかけてくれていたのは「焦ることはないんだよ…」という穏やかなメッセージだったような気がします。
20年前も今も変わらず南洋の島々に吹いている風や見上げる空の青さを思う時、「物語をつむぐように生きていく姿勢は崩したくないな」と思います。
/江藤誠晃



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