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048.島を取り巻く海

2003.1.14
【連載小説48/260】


低成長&循環型社会。
トランスアイランドの目指す社会構造だ。

西暦による人類史だけに着目しても、高度成長&大量消費社会は2000年強の歴史における最近の50年程度でしかない。
ある意味で我々は特殊な時代環境の中に暮らしているのであり、成長の鈍化イコール悪しきことと考える必要はないのだ。

長きにわたって人類史が維持してきた本来のゆったりしたリズムに戻ると考えれば、緩やかな成長も納得できるはず。
実際に日本という島国は、江戸時代という260年に及ぶ優れた閉鎖的循環社会を体験し、その中で様々な生活文化を育んできた。

きっと、島という環境ならでは実現可能な社会というものがある。

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旅は大小に関わらず、全てにその目的が存在する。
観光活動の場とは、訪れる人の目的を叶えることができるか否かで評価されるといってもいいだろう。

「何を目的にこの島に来たの?」

来島するツーリストによく尋ねてみるのだが、その答がおもしろい。
これがハワイであったなら、マリンスポーツ・ショッピング・名所見学…、と具体的なアクティビティが並ぶのだが、ここでは違う。

●トランスプロジェクトのコンセプトに共感を持って。
●文明に対する漠然とした不安や疑問の解消。
●人類の未来を模索すべく。
●重ねてきた人生を振り返るため。

と、哲学的、思想的な理由がそれぞれの口から、いともあっさりと出てくる。

で、それらを総合するとどうなるか?
僕に言わせれば、彼らは「何かをするため」に来るのではなく、「何もしないため」にこの島に来ている。

確かに、未来研究所や環境博物館を訪れる人は多いし、花や果実を観察したり、オプションのカヌーツーリングに参加したりする人も増えている。
が、それらのリゾート的アクティビティさえも、彼らにとってはもうひとつ先の目的のための手段でしかない。
矛盾表現になるが、ツーリスト達は「何もしないため」に「何かをする」のだ。

では、次に。
旅人の視線は何処に向けられているのか?

僕は日々、島をブラブラしながらツーリスト達の視線の先にある対象を観察するようにしている。
旅人は何処に彼らの未来や人生の答を見出そうとしているか、或いは何に向かうことでその答は見えてくるものかを知りたいからだ。

で、これも僕なりの結論。
彼らは皆、海を見ている。

改めて島で出会う光景を思い返してみるといい。
そこを訪れた人も、そこに暮らす人も、無意識のうちに必ず一日の中の一定時間を孤独に海と向き合うことに費やしているはずだ。

気付けばそこを見ていた、というような本能の視線。
それは常に島の内側(人間界)ではなく、島を取り巻く海側(自然界)を向いているのだ。

人類全体の、或いは個々の課題として抱える幾多の試練、悩み、課題。
実は、それら全ての解答は既に海の中に準備され、人はその広がりと深みの中に精神を浸すことで救いへと至ることが可能であることを潜在的に知っている。
故に、彼らは海に視線を向け「何もしない」時間を求める。
そして、ひとまずの人類の問題は、単にその機会(例えばトランスアイランドを訪ねるといった)があまりにも希少であるということ。

そう考えるのは、あまりにも楽観的すぎるだろうか?

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「何もしないため」に「何かをする」。
この感覚はとても“海的”だ。

●「変化」する「不変」。
●「静」なる「動」。
●「優しき」「手強さ」。
●「掌握不可」の「確かな実感」。

等々、僕が海に感じている対峙概念共存性に相通じるものがある。

きっと、人もある部分で海なのだ。
内に矛盾を抱えながらも、ありのまま時を重ねていく。
遠回りをしても、道に迷っても、最終的に旅の目的地に到達すればそれでいい。
そして、それが低成長&循環型社会へとつながっていくのだろう。

そんな思索と共に、今日も僕は海を見ながらキーを打つ。
この書斎から見える幾人かの旅人は穏やかな海を前にどんな思索を巡らせているのだろう?

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

低成長&循環型社会とか対峙概念共存性とか。
20年前も今も、僕は同じことを繰り返し唱えている…

ということは個人的な思考とビジョンはぶれずに循環しているような気がします。

残念ながら、少し変わってしまったのは20年前の当時に比べて「海」の近くにこの身を置く時間が少なくなってしまったこと。

5年間の連載を終えてトランスアイランドを出た2007年以降、僕と真名哲也の旅はアセアンの国々に広がり、海を見ながらキーを打つのではなく文明史という大海のほとりに佇んで悠久の時を観察する視座になりました。

2023年に入り、間も無く丸3年間海外に出ていないことになりますが、文明という大海がコロナ禍による干潮で僕のポジションはますます海から離れてしまっている感じ。
そろそろ居場所を変えるべきタイミングなのかもしれません。
/江藤誠晃




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