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ビックリマンさんに助けられた話

小学校高学年のころ、灯油を買いにガソリンスタンドに行くという任務を父から与えられた。

自転車でガソリンスタンドに侵入するのは許されるのだろうかとの不安とは裏腹に、紅いポリタンクを見るなりバイトのお兄さんはいとも容易く灯油を売ってくれた。

灯油が入ったポリタンクは行きと違って不安定で、自転車の荷台にゴム紐なんかで括り付けたくらいでは、歩道の段差を通過するたびに振動を受けてずるずる緩んでいく。

仕方がないので自転車に乗るのは諦めて、荷台の灯油を手で押さえながら自転車を押して歩く。
それでもゴム紐はすぐに緩んで、灯油は何度も落ちそうになる。

(荷台に板を固定してから灯油を乗せている人を見て、その手があるのかとショックを受けたのは、その何年も後のことだ)

しばらく、よろよろ歩いていると、反対車線でアイドリングをしていた車がUターンしてきて、自分の近くに停車した。

夕方になると変な人に声をかけられることが度々あったので、嫌な予感がした。

いつもは無視して速攻で逃げる。
でも、もう、くたびれて動けなかった。

その人は送ってあげると言って、自転車と灯油を車に積んでから私を助手席に乗せた。

もしかしたらこのまま家に帰れないのかもしれない。
でも、それでももう、いいんじゃないか。
疲れた脳の電卓は間違った答えをはじき出していた。

助手席に座ると、車にはなぜかビックリマンチョコがたくさんあった。

だからといって、くれるわけでもなく、商品としてあるのが子どもながらにも理解できた。
子どものお菓子を売る人が、子どもに悪いことをするなら、もう世界は終わりだ。

そんなことを考えながら家の道順を告げると、やがて本当に家の前に着いていた。

私より先にビックリマンさんは玄関へ向かうと、出てきた父と話していた。

私はなぜだか車にいる。
父が怒鳴ったら嫌だな、恥ずかしい。
見ていると、驚くことにその人は父を叱ってくれた。

まだ若いのに。

嬉しかった。

母には話さなかった。

その後も父からの桁違いの任務は続き、その度によろよろと帰ったけれど、心の中にひとつの灯りがあった。

ビックリマンさんが灯してくれたあかりだ。

だから、もう疲れても道に迷うことはなかった。

ビックリマンさんありがとう。


そして、ここまで読んで下さった方、ありがとう。



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