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遠恋失敗備忘録

1.恋人たちの冬、2022

恋人たちの季節である。いや、今年は特にすごい。クリスマスが土日とマル被りなのだ。もちろん年末年始、成人式連休が連なり、全国津々浦々にて様々な恋愛劇場が繰り広げられるだろう。
僕はと言えば、この激動の序章である師走が激動し出す前に、恋人と別れた。
これがまた特殊なケースの恋愛だったので、まぁ教科書が無い。極端な話、友人のアドバイス全てから「状況が違うからなぁ…」で逃げることすら可能なのである。
ただクレヴァーな友人諸氏においては、僕の回りくどい説明をしっかりくみ取っては的確に痛いところをついてくるので、そんな言い訳もできずにただハイ…ハイ誠に……と繰り返していた気がするけど。情けないことに。
さりとて、特殊は特殊。ネット・遠距離・超高速の三点について、体験者側でしか語り得ないこともあるはずだ。

※相手さんの許可を得て投稿しています。

2.自己紹介

まずは自己紹介、元カノ紹介をしておこう。だいぶ恥ずかしいことも書くけど説得力を持たせるために必要なことだ。飛ばしていきますよ。

僕(ぷん)…関西住み / 大2 / 21歳 / ツイ廃 / 依存体質 / 衝動で行動しがち / (人間観などの点で)ピュア(友人談) / ちゃんとしたお付き合いは初めて

元カノについて詳しく言うのは避けるが、特筆すべき点は以下の通り。

元カノ…首都圏住み / 大学生 / 気まぐれ / 意地っ張り

どうだろうか。遠距離恋愛の向いていない匂いがプンプンしないだろうか。わ、わかってたもん…

続いて経過。知り合って6か月、そのうち付き合っていたのは4.5か月だ。

6月
ツイッター上で知り合う。
流れてくる相手の相談に乗ったり(またの名をどしたん)、スペースで喋ったりして親交を深める。
会話のたびに素敵な人だな、と思った。
個人的に喋りたいのでLINE交換しないか、と提案がある。既に互いのことをだいぶ教え合っていたので快諾。
個人通話での喋り口と送ってくれた自撮りにやられる。

7月
お互い彼氏彼女のテンションになるが、実際に会うまで付き合うのはやめておこうと取り決める。
関東を経由する旅行中の二日間を使って相手さんと会う。正式にお付き合いを始める。

8-10月
月に1、2回会う生活。何度も喧嘩をしたけど、概ね良好に関係が進む。

11月
それぞれの性格が災いして、互いに際限なく疲労を生み出しながらそれを癒せない状態に。

12月頭
互いが好きなまま別れる。別れ方も上手とは言えず、不完全な絶縁状態になりながらお互いに病み散らかした一週間を過ごす。
(そして友人諸氏に迷惑をぶっかける。迷惑こぼれ丼。)

現在
反省会のち、友達として関係修復中。

では、もっと安定して長続きする方法はあったのか?あるいは、今後同じことを繰り返さない方法があるのか?というお話をしようと思う。「いや無いだろw」の嵐だろうが、ちゃう。ちゃうのだ。
確かに長続きの難しい条件の役満状態であったことはわかる。それでもあれをこうしていたら、という思索をしたくなる素敵な人だ。
一週間かけて、友人の助けも借りながらその思索を続けていれば、ただの後悔ではなく「この行動をとったから / とらなかったからその後に悪影響が出たなぁ」という見立てがいくつも出てくるようになる。
その見立てを共有して、同じような教科書のない恋愛に悩む人、この冬始めてしまう運命にある人の役に立てばいいなと思い、筆を執った次第である。

3.遠恋の不安定さ

そもそも、遠距離恋愛の不安定さの正体とは何だろうか?可能性のあるものを列挙していく。
・性格上の向き不向き
・生活が見えないこと(疲労、不信、すれ違い)
・頼りたいときに側にいない(寄り添い、依存、性欲、距離そのもの)
・デートに負担が付きまとう(疲労、金銭)
・付き合ってからの時間経過(疲労、すれ違い)

大きく、この五点に集約されるのではないだろうか。一つずつ見ていこう。

・性格上の向き不向き


この文章は、僕と同じように不向きな方々向けである。そして、性格を変える、諦めるというのは趣旨と合わないのでここでは述べない。不向きだけど飛び込む意思がある人は、こういう部分を気をつけられたらいいかもね、ということを伝えたい。

・生活が見えないこと


人は当然ながら、実感を伴うことで記憶に残る。近距離カップルは「○○が終わった後なら会えるよ」という会話や会った時と場所、その空気感から互いの生活を掴んでいく、という営みをするのが自然である。遠距離カップルには不可能なことだ。
それも仕方ない、と思えるのではないか?いいえ、そのすれ違いの代償はとても大きいですよ。

恋人に電話して出なかったとき、たとえばそれが20時だったとして、あなたはそのまま日付が変わる前に眠れますか?
眠れるタイプ同士なら平気だろうし、それが遠距離恋愛に向いているということだと思う。
深夜2時に既読がついて、折り返しが来る。相手は一眠りして変な時間に起きたので眠くない。あなたは翌日の大学のために、通話の時間を10分に抑えられますか?
お互いの存在が大きいほど、無理な相談だろう。あるいは相手が断れば、頭で理解しても心は不満を溜めるだろう。
一晩の問題ならいいかもしれないが、一週間、一か月と続けば何も解決しないまま心身の疲れは溜まっていく。

学業や仕事を優先するのは当然である。だが(だからこそ)、恋愛が心に占める割合も理解して動けるなら、その方が絶対にいい。
実際に両方をそつなくこなせる人(それも二人とも)は稀。ならば、工夫が必要だ。

・頼りたいときに側にいない


様々な点で、恋人がいるなら恋人に頼りたいことは結構多い。性欲については言うまでもなく絶対条件になりうる他、寂しい時に会いたい相手だって、下らない話を真っ先に語らいたいのだって、多くの場合は恋人だろう。
しかしながら、遠距離恋愛では叶わない話だ。
僕は夜行バスが平気だったので、月に1、2回というそこそこ高頻度で会いに行けた(片道3000円の旅路!)が、「今日会いたい」という気持ちはどうしようもなく、辛いものであった。

・デートに負担が付きまとう


当然すぎるので割愛。

・付き合ってからの時間経過


これは正直、近距離なら近距離で大きな障害となる点だろう。いわゆる倦怠期というヤツの話だ。しかし、遠距離では少し毛色が違ったように思える。
そもそもの原因は共通である。付き合いたてはもっと愛を育みたいと、盲目的に頑張る。頑張る姿を見ればもっと好きになる。この時期は(恋愛に関しては)好循環といえよう。
好意が育てば、同時に相手への期待も高まってしまうのが人の性である。一方で、尽くすことには疲労が伴う。相手への要求は高まりながら、自分の割くエネルギーは下降気味になる。これが倦怠期の仕組みだろう。

近距離ではここで、退屈という言葉が頭をよぎる。同じような家デート、同じようなセックス。これが安らぎへと着地すれば長続きし、そうでなければスパイスが必要になってくる。

遠距離ならどうか。そもそも退屈に感じるくらいならとっくに別れているはず。ここまで続いたカップルはそのまま頑張ってしまうのだ。
こんな四則演算はゲスだけど、「相手がくれる充足感、相手への好意」+「恋人欲(承認、性、依存etc.)」-「疲労」が0を下回った瞬間を、限界と呼ぶのだろう。自分の話をすれば、近しい人に言わせても「相手がくれる充足感、相手への好意」はとてつもなく大きかったが、それでもなお増していくばかりの「疲労」に確実に蝕まれていく。「恋人欲」によって維持しているような期間の葛藤も辛かった。
そうこうしているうちに、僕の限界は来てしまった。相手方も理由は違えど、タイミングは同じだったように思う。

以上五点は、遠恋不向き勢が遠恋をするにあたって、多かれ少なかれ向き合わなければいけない問題だろう。
一方で、読んでいて「隙だらけだなぁ」と思わなかっただろうか?
そう、俯瞰してみれば、ちょっとの意識が状況を変えたかもしれない場面だらけである。
俯瞰というのは、付き合っている間の二人の力では絶対にできない。一、二人称視点を排除できないからだ。だからこそ、起こりうる問題と対策を事前に見積もっておくべきだ。

4.あるべきだった工夫

では次に、具体的な反省を列挙していこうと思う。

・寂しいに理屈を持ち込むな
・うまく行っている時期のやり方を忘れない
・時間とお金の余裕は常に作っておく
・当てつけをしてしまっても…
・衝動には冷却期間を
・情報の開示は惜しまないけどせびらない
・通話とチャットの特性を理解する

・寂しいに理屈を持ち込むな


当たり前じゃん、と思ったそこのあなた。言うとやるとは大違いである。
自分にどうしようもない寂しいをぶつけられたとき、理屈で納得してもらえたらな、という誘惑がちらつくものだ。あるいは、自分の寂しいを満たせないと知っているとき、理屈で抑え込むのも不可能ではない。
でも、寂しさってそれで消えるだろうか?

恋人に対する恋慕が強いほど、満たされなさも増していく。こんな一行の情動をくつがえす理屈がどこにあろうか?
僕はそれを、誤認していた。自分にも相手にも、理屈で納得すれば楽になるだろうと考えてしまっていたのだ。忙しさとか、仕方ないとか、お互い様とか。だが、その納得は一時的でしかない。
あるいは、こうも考えられないだろうか。満たされなさは恋慕の強さだ。つまり、二人にとって本来はプラスの感情。それを抑えるという方向性がもったいない、とも思えてくる。

だから、ひたすらの共感と、その時に満たせる分を精一杯満たしてみせるしかない。
こんなことを言っても気休めでしかない、と腹が立つかもしれない。
でも、抑え込んで言葉の上ではお互いに納得したフリをするよりも、満たそうと努力をしてなお溢れるものをちゃんと見つめる方が、絶対に二人のためになる。溢れるものは恋慕の証であり、その共有は強みにすらなるからだ。
それに、恋人が自分と会えないことを寂しく思うのって、ちょっと嬉しいものだし、信頼の源だったりもするでしょう?(セカオワの「エデン」を聴いてみてほしい)
気が済まなかった夜の喧嘩やふて寝は、きっとそのときの二人に必要なものだ。
その先にやっと、本当に分かりあえる「お互い様」があれば、安心できるんじゃないだろうか。

・うまく行っている時期を振り返る


LINEの文章を、気持ち悪いぐらい取っておきましょう。読み返すんです。
付き合いたてと、何度かデートしたあと、そして少し疲れてきたなと思った頃では、全然やりとりが違っているだろう。「付き合ってからの時間経過」で述べた、四則演算が効いてきている証拠だ。
確かに、初期のひたむきさをそっくり取り戻すのは無理かもしれない。でも、物の言い方が変わってしまっている部分に気づいて少し戻してみるとか、相手の反応を見比べて改めて性格を捉え直すとか、そういう作業は改善につながる。好循環の火種になる。
取り繕うのとは違う。同じ気持ちでいるのに変わっていってしまったものを見つけるのだ。

僕はこの発想を欠いて、ひたすら「今」でしか足掻けなかった。ここを直してやり直そうね、と言っても、一番良かったころとは全然違う場所で探して材料が見つかるはずがない。最後のどうしようもない別れ話の後に、保存していたチャット履歴を読み返してやっと気づいたことだ。

・時間とお金の余裕は常に作っておく


ある週末前、どうしても寂しいのだと泣き出した相手に、たまたま週末を空けられてバイト代も入っていた僕は、その晩のバスで会いに行くことができた。
遠距離恋愛にしては恵まれた位置関係で初めて可能であるとはいえ、たまたまでなくそれができるように備えておくのは大事かもしれない。

・当てつけをしてしまっても…


まず前提として、当てつけで行動するのはどんな恋愛でもあまり良くないことではある、と述べておこう。
そのうえで、近距離と遠距離の大きな違いとして「シャットアウトしようと思えばいくらでもできる」というものがある。
何らかの誤解が生じたときに、解きたい側が自由に解けない一方、解かせたくない側は永遠に解かせないままでいられるのだ。
「誤解を解かせたくない」というのは、非常に情けない性であるが、自分が被害者側でいられる方が気が楽ってことだ。
相手と仲直りしたい当たり前の感情でさえも、「こっちは大事に思ってるしそれを伝えてる中で、傷つけられた。ヒドイ…」と思っておきたい衝動に勝てなかったりする。実際にこう思っておくのはとても気持ちがいい。
蔑む人も多いだろうが、共感する人も多いのではないだろうか。

こんな気持ちになってしまったとき、落ち着いて相手との対話を試みる代わりに、遠回しな当てつけに走りがちである。異性とのツーショットを上げるだとか、相手にひたすら怒りをぶつけるとか。だが、果たして明日の自分は喜ぶだろうか。
そんなとき怒りのままに行動するのは、ひょっとしたら気持ちが落ち着く方法の一つかもしれないけれど、その後には必ず後悔しない対話が必要だ。何が許せなかったとか、この言葉に傷ついたとか、そういう感情が冷えないうちに伝える。相手にも誤解を解いたり反省したりする機会を与える。
自分の怒りが燃え尽きてしまうのを待っていても、結局同じ傷つき方を繰り返すだけだ。

・衝動には冷却期間を


遠距離恋愛は慣性が強い。通話して、チャットして、たまーに会って…というルーティンの中で気持ちが変わっていく恐れは少ないけど、たったひとつの衝動で何もかもひっくり返されてしまう。
例えば、こんな遠距離で恋人をやっていてもツラいだけだ、と思ってしまったとしよう。自分の中ではさんざん考えて納得したつもりで、揺らがない。どうせ毎日会えもしない人が消えたところで、自分はやっていける。
でも、果たして彼は、生活の中にその恋人がいない日を数日でも試したことがあるのだろうか?

別れ話を繰り返しては、ヨリを戻すようなカップル(末期の僕らがそうだった)は、それでも「喧嘩別れしたアイツ」が心にあるまんまでしか別れを経験しない。だから、愛情と絆しの違いもマトモに考えずに別れてはくっついて…を繰り返す。完膚なきまでに離別してしまってから、かけがえのない人だったと気づいて泣きはらす。
代わりに、別れにもお試しの時間が必要なんじゃないか。一回別れてみようよ、一週間後まで連絡しちゃだめだからね。
無論、これでは本当の別れを試したことにならないし、完璧な方法ではないだろう。でも、ルーティンを取っ払った生活では確実に違う景色を目の当たりにすると思う。

僕は、最後に別れて、そのときの相手の言い方に勝手に腹を立てて、友人でやり直す選択肢すら捨てて衝動で動いてしまった。相手も売りブロックに買いブロックの末、僕の全てから離れなくてはいけないと頑なに信じたのだと思う。
その次の朝から、僕は途方もない喪失感で抜け殻のようになった。友人に電話をかけてはその埋め合わせのように使い、一人でするゲームは五分たりとも続かない。三大欲求全てが消え果て、まる2日ものを食べない。僕らは公開垢を覗き合い、メールで絆し合い、それでも意地を張りあった。
少なくとも正解じゃなかったのはわかる。そういうことをひと思案する期間を持て、という教訓だ。

・情報の開示は惜しまず、せびらず


離れていれば一層、相手の細部まで気になるものだ。そんな気持ちを満たせずに不満がたまって、好きな気持ちが霞んでしまうのは非常にもったいない。だから、相手の知りたがっていることは駆け引きや出し惜しまずに、言ってしまったほうがいいと僕は思う。
たとえそれがネガティブでも、だ。だいたい、何か勘づいて悶々としている時点で、8割がた知られているようなものじゃないか。それなら言ってしまった方がお互いがすっきりするし、「やっぱりな」と思えば不思議と悲しくならないのも人の常だろう。そのあとで、落ち着いてその話をすればよい。教えてもらえなくて悶々とするのがヒートアップしていく方が良くない結果を招くよな、と思ってしまう。

一方で、人間たるもの誰にも見せられない部分がある。あるいは、恋人だからこそ見せられない部分もあるかもしれない。それを恋人に見せないでいるのは、少し悪いことをしている気分になる。相手が開示を求めていればなおさらだ。
愛が深ければそれが解消されるかといえば、僕はそうではないと思う。むしろ折り合いのつかなさが加速して、どんどん苦しくなってしまうだろう。
知ってしまったら別問題だけど、知らないうちはせびらずに「言えない事があるのだろうな」とだけ思っておこう。
「言えない事があるのだろうな」ですまない時、じゃあその「言えない事」が何だったら自分は許せないかな?と考えてみるのもよい。それで別にいいかもと思えたらいいし、折り合いがつかない悩みになってしまったら改めて問えばいい。

・通話とチャットの特性を理解する


急にめちゃくちゃシステマティックな項目になるけれど、遠距離恋愛に絞れば一番大事かもしれない。これら二つがコミュニケーションの方法のほぼ全てを占めるからだ。
とどのつまり、「大事な相談の時にどっちを選びますか?」という話だ。
僕の感覚では「気持ちのすり合わせを求めるなら通話、伝えることが定まっているならチャット」といったところか。
チャットでは数十行にわたって書いても言い尽くせないことを、一言で伝えられたりしちゃう力が声にはあるのだな、と何度も感じた。相手の言ったことへの焦りとか、たった一言に対する救われた気持ちとか、少なくとも僕は文章だけで上手に表す自信がない。
でも逆に、伝えたい内容を声に出すと、こちらが思ったとおりに受け取られない可能性も高くなる。語感とか、言い回しとか、そういうのをお互いに咀嚼したい時にはチャットを送りあうのがよい。
そして、例えば「チャットで送りあったお互いの素直な気持ちを、感想戦のように振り返りながらじっくり語らう」といった応用も効果的だろう。

使い方を間違って、すれ違いを加速させる結果にしかならないこともあったし、そんな失敗を挽回するのもやっぱりコミュニケーションだったなと思う。

5.おわりに

遠恋をしていた二人は非力だったな、と思う。
それにファーストステップに見える問題ですら、完全な解決策なんてないのかもしれない。正直、今書いた話だって反省した上とはいえ、穴も矛盾も多分に含むと自覚している。
でも「よりよい捉え方やコミュニケーションってこっちだよね」と思えるなら、そっちを選んだ方がいいのかな、と考えたので1項目としてまとめておく。

ご精読ありがとうございました。一助となれば幸いである。
また、内容についての意見等も待っています。耳の痛いご指摘も。ほんと、欲しいので…

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