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集中力をメンテする(トラウマ編①)

前回は、目標に向かって動いているときに、集中力が持続しない日が続いている場合、根本から見直す「ディストラクションリスト」という観察方法を提案しました。まだの方は、こちら↓からどうぞ!

今日は、その観察結果で浮かび上がってくる「なぜ、そこで集中力が途切れるのか?」について、「トラウマ反応」という視点でお話しようと思います。

「わたしたち」、幼少期や思春期に毒性の強い心理的環境で育ったタイプは、意識してヒーリングに当たらない限り、デフォルトになってしまっているサバイバルモードや、頭の中の雑音やネガティブトークのせいで、本来備わっている集中力が、著しく削がれたまま日常を送っています。

集中状態に入りにくく、それが持続しにくい。
これは、複雑性トラウマ・発達性トラウマの典型的な後遺症の一つです。

ルーティーンに関する提案の投稿でもチラリとお伝えしたと思いますが、「わたしたち」の場合、集中力が途切れるトリガー(引き金)は、まず、間違いなく不安と恐れです。

そして!
それに無自覚でいるが故に吸い込まれてしまう行動パターンは、もれなく、その恐れや不安から逃れるための「逃避行動」、または、それらを抑圧するための「すり替え行動」、あるいは、そのどちらにも当てはまる行動です。

ここに、「わたしたち」の集中力を阻害する、恐れ・不安の内容と、それからの逃避のパターンの典型的なところを、いくつか挙げておきます。

根底にある「恐れ・不安」
・自分の思い描く通りに(すぐに)ならなかったら虚しい・・
・時間とエネルギーを費やして、モノにならなかったらどしよう
・これ以上自分にガッカリしたくない、惨めな思いをしたくない
・これが成功しないと、過去の失敗が失敗のままになってしまう
・何も成し得てない自分のままでいるのが怖い・許せない
・これがうまくいかないと、やっぱり愛されないダメな自分のまま、怖い
・うまくいって今より忙しくなって、お金もかかるようになったらどうしよう
・途中でやる気がなくなってしまったら、ダメな自分が露呈する
・毒親に虐げられた被害者じゃない自分になるのが怖い(言い訳がなくなるから)
・思い通りの努力ができなかったらどうしよう

はっきりと言語化して、このような思考になってはいないかもしれませんが、目標に対して腰が上がらない時は、こんな感情が充満しているのではないでしょうか?

要するに、
*自分が認めたくない、これまでの(愛されない)自分のままでいるのが怖い
*こうなったら愛されるであろう(と思い込んでる)バージョンの自分を体現できないかもしれないのが怖い
そのジレンマですね。

そして、さらにそのまた一層先に潜んでいるのが、
*「被害者」として「中途半端な自分」でいることの言い訳ができるこの立ち位置が、それなりに居心地いい
という、低値安定での欲求の抑圧ですね。
意識の上では認めてないかもしれないけど、このロジックは、内面の葛藤を直視して、未来に向けて行動することから逃避させてくれます。

これに尽きると思います。

上の二つは、どっちも幻です。

三つ目は、その幻に現実味を与えるために、自分が自分に意識下でかけ続けている呪いです。

このあたりに関しては、「間違った努力」に関する記述もありますので、こちらのリンクからどうぞ!

ちょっと長くなってしまいそうなので、今回はこの辺で。
次回は、この「無意識の恐れ・不安が煽られる→集中力がそがれる→逃避する」のループに関して、「どのような行動になって表層化するか」という観点でお話ししますね。

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では、また!


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