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「好きなこと」につきまとう呪縛

こんにちは、タビィです。

今回は、ちょっと挑発的なタイトルをつけてしまいました。

それだけ、この「好きなことを見つける」とか「好きなことをする」という、一見単純そうなことが、幼少期・思春期に、慢性的に、恐れ・孤独感・劣等感にさらされて、それをきちんと成仏させないまま大人になった「わたしたち」にとって難題だと思うから、このようなタイトルにしました。

結論から言うと、「好きなこと」と「目指すべき姿」を混同しない、というのがヒントになるかと思います。

トラウマ反応(≒毒性の強い環境に長くいたゆえの心の癖)の現れとして多いのが、「(社会の)役に立つことをしなければ意味がない」とか、「(仕事として)分かりやすく生産的な結果が出なければ意味がない」とか、「社会人として、それなりに恥ずかしくない(むしろ誇らしい)ステータスに到達しなければ」などといった、脅迫的な思い込みがプレッシャーになっているというものです。

なぜ脅迫的に、そのような他者基準のスタンダードで自分にプレッシャーをかけるかというと、その基準をクリアする(しうる)自己イメージを維持しないと、自分じゃない自分で生き続けるという負け戦さを強いられ続けて、すでに瀕死となっている自我が、さらに大打撃を受けるからです。「ステータス」、それが無理なら、せめて「名誉・栄光」で、絆創膏を重ね続けなければなりません(悲)

自分以外の誰か(大抵、親ですね)に対して、自分の存在価値を証明したり、自分の感じ方を抑圧することで機嫌をとって生きてこなければならなかったのなら、それも仕方がありません。
あなたの落ち度ではありません。
「わたしたち」は、そうやってサバイバル戦を生き抜いただけです。

ちなみに、私も長い間、自分の存在価値を反映してくれるものを手に入れたくて必死でした。

見栄えの良さげな、耳障りのいい目標だけは掲げて、当然さして努力もしなかったので、しょぼい結果しか出なかったのに、それを認めたくないもんだから、自分の単なる「先走り」や「空回り」を努力と勘違いして、みみっちい結果すら「発展途上・まだまだこれから」と誇大に解釈してました。

カッコつけた目標を掲げて、(当然)中途半端な結果すら出ないから、また見栄を塗り重ねるような目標でメッキして、それを「いろんなことに挑戦して充実してる」と自分に言い聞かせてました。人に近況を話す時も、そんな「バージョン」で答えてました。

本当に、未熟でお恥ずかしい・・・痛々しい限りです。

あ、話が逸れました。

というわけで、「周囲(の目)」という取るに足らないノイズに敏感なままきてしまった「わたしたち」が陥りがちなのは、以下のような心の慢性状態です。

*やりたいことはたくさんあっても、モチベーションが湧かない。
*取り掛かったとしても、楽しくない。
*ずーーーーっと努力ばっかりしている。
*しかも、何一つモノになってない。
*いつも「今度こそは」と何かを目指してる。
*人に「会うたびに違うことしてるよね」と言われる。

さらに!

*「〇〇するまでは我慢」みたいに、自分から進んで楽しさを削ぎとってる。
*そのせいで、「好きなこと」ばっかりして、生産的なことをしていない(ように見える)人が、チャラく(見え)て許せない。

あるいは、

*「仕事」と「遊び・プライベート」を完全に切り離して、割り切って職についている人が理解できない。むしろ不誠実にすら見える OR 羨ましい。

そんな思考・行動パターンに心当たりがあれば、それは、あなたが本当の自分が(長年にわたって)訴求してる「好きなこと」「やりたいこと」を抑圧・勘違いしてるサインです。

なので、もし、今の毎日が充実していいはずなのに、感謝すべき生活のはずなのに、目標に向かって努力してるはずなのに、「楽しいはずのこと」の前に「やらなければいけないこと」ばかりで、そして「何していいかわからない不安と無気力」「周りに取り残されたような焦燥感」だらけだとしたら・・・

それは「好きなこと」を抑圧して「好きになるべきこと」という呪縛に自ら(多分、防衛的な下心でもって)絡まって行ってるからです。

この「好きなこと」に関しては、私自身、何年もかけて掘り当てたので、このブログでも何回かに分けて書いていきます。

次回は、上に書いた「呪縛」を解く糸口となる質問を紹介します。

とりあえず、今回はここまで。
ではまた次回!

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