禅宗坊さん坐禅を語る
坐禅とはなにか
とにかく分からぬが、ある人が言うには瞑想はゼロを目指すもの
坐禅はゼロでも、積み重ねたうえでの無限でも良いものという
何のことだか分かりやしない
抽象的な事でごめんなさい
もう少し具体的に申しますと、
瞑想をしている時、目を閉じて、呼吸を深くして、何もないクリーンな状態に落とし込もうとするでしょう
だけれども、対して坐禅は目は少し開けます
これを半眼というのだけれども、仏像も大体半眼です。今度仏像を見る機会があれば確認下さい
少し下を見ております
目を開けるのは、世界との繋がりを切らさないため
鳥の声、虫の音、葉の揺れる音、隣の人の呼吸…
気を取られて良いのです
これらに反応して、揺られて
ただその中に生きていることを自覚する
我々は繋がっているのだから。
私も他者もないという境地
一体。
繋がっていることは
蜘蛛の巣を想像していただければと。
端に獲物が引っかかると、真ん中に居る蜘蛛は巣が揺れる刺激で獲物が取れたと分かる
そんな風に繋がっているイメージです
臨済の禅は、ひとりでは出来ません
周りと伴に坐ってみましょう
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