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「車でお遍路」第53番札所 圓明寺(和気の圓明さん)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、53番目のお寺は、

須賀山すがざん 正智院しょうちいん 圓明寺えんみょうじ


52番札所の太山寺から約2.2㎞、車で約6分の場所、

圓明寺は、51番札所太山寺からほど近いJR四国予讃線の伊予和気駅近くののどかな街に静かにこじんまりと佇んでいる。

このお寺では、納経札としては一般的な木札ではない「慶安3年(1650年)」と「遍路」の文字が記された銅板製の四国最古のお札が発見されている。

発見したのは、米国人のお遍路でシカゴ大学スタール博士。大正13年(1924年)のこと、ご本尊の厨子に打ち付けてあったという。

では、松山市内では最後となる八番目の札所「圓明寺」へ参りましょう。

境内 正面に見える中門が特徴的
大師堂の飾り瓦は特徴的で見る人の目を奪う


ご詠歌

らいごうの みだのひかりの 圓明寺 てりそふかげは よなよなの月


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 天平勝宝元年(749年)聖武天皇の勅願により、この地に巡錫した行基菩薩が和気の海岸近くに「海岸山 圓明密寺」として七堂伽藍を整え、自身で御本尊として阿弥陀如来像、脇侍に観世音菩薩、勢至菩薩を彫り安置して開基

  • のちに、荒廃した諸堂をみた巡錫中の弘法大師は、再興して四国霊場に定める

  • 元和年間(1615-1624年)、鎌倉時代より再び度重なる兵火により衰退していたお寺を、地元の豪族である須賀重久が現在の地にご本尊を移して伽藍を再度整備して再興

  • 寛永13年(1636年)、須賀重久の功労により皇室とゆかりの深い門跡寺院である京都仁和寺の覚深法親王により仁和寺の末寺として再建、山号と寺号を「須賀山 圓明寺」とした。


大師伝説


寺号について

  • 山号について
    ・・・山号は、開基時は「海岸山」であったが、江戸時代に地元の豪族須賀重久が再興したことから「須賀山」となった


ご利益

  • 御本尊の阿弥陀如来
    ・・・「南無阿弥陀仏」と唱えることで迷いや苦しみから救いを求める全ての人を、悟りへと導く来世利益らいせいりえきの仏さま(極楽浄土へ迎え入れてくれる)


御本尊・ご真言

御本尊:阿弥陀如来
ご真言:おん あみりた ていぜい からうん


見どころ

  • 本堂
    ・・・御本尊の阿弥陀如来を祀る 天井近くの欄間には江戸時代初期の彫刻家左甚五郎ひだりじんごろう(代表作:日光東照宮の眠り猫など)の伝説(左甚五郎という名は地元の工匠の代名詞ともなっているという)を持つ龍の彫刻がある

  • 大師堂
    ・・・堂宇の細部をよく見ると飾り瓦と天井画など細かい素晴らしい技巧が美しい

  • キリシタン燈籠(聖母マリア像)
    ・・・江戸時代に隠れキリシタンが礼拝したという

  • 観音堂
    ・・・
    関ヶ原の戦いで戦死した河野家の追善供養のために十一面観世音菩薩像を安置


その他

圓明寺には、冒頭にも書いたように四国最古の銅板製のお札が発見されているが、その発見者はなんと米国人のお遍路
そして、このお寺には隠れキリシタンのための聖母マリア像までも存在する。

弘法大師の教えは、お遍路も国際的だったと思えば、クリスチャンにも寛容で慈悲深いことが伺える

だからこそ、こじんまりとしたお寺ではあるが、地元民からも愛され「和気の圓明さん」と呼ばれているのもわかる。


写真


次は、第54番札所延命寺えんめいじへ参ります。

2022年6月18日投稿
2022年10月6日改訂

合掌

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