見出し画像

「車でお遍路」第72番札所 曼荼羅寺(弘法大師ご先祖さまの氏寺)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、72番目のお寺は、

我拝師山がはいしざん 延命院えんめいいん 曼荼羅寺まんだらじ


71番札所の弥谷寺から約6.5㎞、車で約15分の場所、

三豊市にある山岳霊場の弥谷寺から山を下り善通寺市に入ると市内3㎞以内に4札所、県道48号善通寺詫間線の傍に第72番札所曼荼羅寺から第75番札所善通寺までは比較的近い距離にある。

そろそろ結願が視野に入り元気が出てくる。

曼荼羅寺は推古4年(596年)、驚くことに、讃岐国で生まれた弘法大師(父は郡司の佐伯直田公さえきのあたいたぎみ)のご先祖である讃岐領主佐伯家の氏寺うじでらとして創建された四国霊場で最も古い札所という。

大師のご先祖の氏寺であることから、大師が御母の菩提寺として弔うために七堂伽藍を整え、唐から持ち帰った金剛界・胎蔵界の両曼荼羅を奉納するという大師ゆかりのお寺。

大師は、後に訪れ母の玉依御前たまよりごぜんの菩提を弔っている

これまで弘法大師を偶像的に崇拝していた気持ちが、一気に現実的な人間味が感じられ親しみを持つようになる。

では、弘法大師のルーツの札所「曼荼羅寺」へ参りましょう。

正面に見えるのは本堂
本堂の向拝柱左の袖には「弘法大師御母玉依御前菩提所」と書いてある


ご詠歌

わずかにも 曼荼羅拝む 人はただ ふたたびみたび かえらざらまし


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 推古4年(596年)弘法大師のご出身氏族である讃岐領主佐伯家氏寺うじでらとして世坂寺よさかでらという寺号で創建

  • 大同2年(807年)、唐から帰国した弘法大師は、唐から持ち帰った金剛界・胎蔵界の両曼荼羅を奉納し、御本尊に大日如来を安置して再興
    母の玉依御前たまよりごぜんの菩提を弔うために唐の青龍寺に模して七堂伽藍を3年かけて整え、「曼荼羅寺」と寺号を改称して札所に定める

  • 康平5年(1062年)頃、旅の僧によって修復

  • 平安時代(794-1192?年)末期、武士・歌人・僧侶である西行法師は寺の近くの西行庵に滞在、曼荼羅寺境内に訪れた際の「笠掛桜」「昼寝石」が残されている

  • 鎌倉時代(1192?-1333年)後堀河天皇から寺領を下賜され寺運は栄える

  • 永禄3年(1560年)、阿波の三好実休による兵火で焼失

  • 文禄年間(1592-1596年)丸亀藩主生駒氏の家老が修復

  • 慶長年間(1596-1615年)、戦火を受けたが復興

  • 貞亨9年(1692年)、本堂が再建

  • 平成14年(2002年)春、大師がお手植えした樹齢約1200年の「不老松」は、残念ながら松くい虫により枯死。お手植えご縁の名残をとどめ大師のお姿を刻み、「笠松大師」として祀っている


大師伝説


寺号について

  • 山号について
    ・・・我拝師山は、善通寺五岳山(香色山、筆ノ山、我拝師山、中山、火上山)の一つで最も標高の高い山(481.0m)の名前

  • 寺号について
    ・・・弘法大師が、金剛界・胎蔵界の両曼荼羅を奉納、世坂寺よさかでらから「曼荼羅寺」と改称


ご利益

  • 御本尊の大日如来
    ・・・大宇宙を身体としてあらゆる如来、菩薩、明王、神々を生み出す根本仏と考えられており、諸願成就の仏さま

  • 笠松大師像
    ・・・不老長寿の御利益があるという(?)


御本尊・ご真言

御本尊:大日如来
ご真言:おん あびらうんけん ばざら だとばん


見どころ

  • 本堂
    ・・・御本尊に金剛界大日如来(毎年、彼岸の入りの日に御開帳)を祀る

  • 観音堂
    ・・・木造聖観音立像(平安時代後期作の香川県指定有形文化財)と胎藏界大日如来像を拝顔できる

  • 笠松大師
    ・・・大師がお手植えした樹齢約1200年の「不老松」は巨大な笠の形に成長していたが、残念ながら平成14年(2002年)春に松くい虫により枯死。お手植えご縁の名残をとどめ大師のお姿を刻み「笠松大師」として祀る

  • 西行上人の昼寝石
    ・・・西行上人が本堂前の平らな石の上でよく昼寝をしたという石

笠松大師
参拝後、帰途に向かうと正面に讃岐の優しく丸みを帯びた山が見える


写真


次は、第73番札所出釈迦寺しゅっしゃかじへ参ります。

2022年7月28日投稿
2022年10月11日改訂

合掌

この記事が参加している募集

#私の遠征話

2,561件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?