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「車でお遍路」第73番札所 出釈迦寺(大師ゆかり捨身誓願の霊場)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、73番目のお寺は、

我拝師山がはいしざん 求聞持院ぐもんじいん 出釈迦寺しゅっしゃかじ


72番札所の曼荼羅寺から約0.3㎞、車で約5分の場所、

出釈迦寺は、第72番札所曼荼羅寺からみかん畑と田園地帯の一本道を南へ約300m走った場所、曼荼羅寺と山号も同じ善通寺五岳山の一つ我拝師山がはいしざん(標高481m)の北側麓に位置する。

その我拝師山には、弘法大師の仏門への原点ともいう伝説、出釈迦寺奥の院捨身ヶ嶽禅定しゃしんがだけぜんじょうがある。

弘法大師の幼少期に体験した仏門入信の原点を知り、さらに大師の偉大さを認識します。

では、弘法大師の原点を知る札所「出釈迦寺」へ参りましょう。

IMG_4873 73.出釈迦寺〇
駐車場から境内へ向かう参道には修行大師2尊がお出迎え 後ろの山は捨身ヶ嶽禅定のある我拝師山
IMG_4891 73.出釈迦寺
捨身ヶ嶽禅定の説明文

ご詠歌

迷いぬる 六道衆生 すくわんと 尊き山に 出づる釈迦寺


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 780~781年頃弘法大師(当時は、佐伯真魚さえきのまお)が幼少の7歳の時、仏道に入り救済の誓願をすべく倭斯濃山わしのやま(現在の我拝師山)の山頂で祈念して断崖から身を投じた(後述)
    その際、釈迦如来が出現して「一生成仏」と告げられたことに感謝

  • その後、大師が青年の頃に訪れ、虚空蔵求聞持法こくうぞうぐもんじほうの秘法を修し、倭斯濃山わしのやま我拝師山に改名、そして捨身ヶ嶽に堂宇を建立し御本尊に釈迦如来像を彫って安置、寺号を「出釈迦寺」とした

  • 1600年代半ば、現在の地である我拝師山の麓に寺院を建立

  • 大正9年(1920年)、奥の院にあった札所は、現在の地に移した


大師伝説

7歳だった弘法大師(当時は、佐伯真魚さえきのまお)は、
標高481mの倭斯濃山わしのやま(現在の我拝師山)の山頂に登り、
「私は仏道に入り人々の救済をしたく、願わくば釈迦如来さまに姿を現していただきたい。もし願いが叶わないのであれば、私の命を仏に捧げます」
と祈念して断崖絶壁から谷底へ身を投じたという。

そうすると、紫雲が湧き起き釈迦如来が蓮華に座し出現、そして羽衣を身に纏った天女と共に舞い降りてきて、真魚(弘法大師)を抱きとめ「一生成仏」と告げた。

真魚(弘法大師)の願いが成就したのです。


寺号について

  • 山号について
    ・・・我拝師山は、善通寺五岳山(香色山、筆ノ山、我拝師山、中山、火上山)の一つで最も標高の高い山(481.0m)の名前
    もとは、倭斯濃山わしのやまだったが、弘法大師はと仰ぐ釈迦如来をむということで「我拝師山」改名した

  • 院号について
    ・・・大師が虚空蔵求聞持法こくうぞうぐもんじほうを修したことから「求聞持院」とした

  • 寺号について
    ・・・弘法大師が、捨身ヶ嶽から身を投じた際に、釈迦如来が出現したことから、出釈迦寺しゅっしゃかじとした


ご利益

  • 御本尊の釈迦如来
    ・・・悟りを開くために導いてくれるというご利益
    ご利益は、何かに特化したものでなく仏教を信ずれば誰にでも望むものは何でも与えてくれるという教え

  • 求聞持大師ぐもんじたいし(虚空蔵菩薩)
    ・・・学業成就、物忘れの多い方にご利益


御本尊・ご真言

御本尊:釈迦如来
ご真言:のうまく さんまんだ ぼだなん ばく


見どころ

私はうっかり捨身ヶ嶽禅定を参拝し忘れたのですが、必ず参拝すべき場所だったことを後悔してます。残念ながら詳しい歴史は不明瞭でした。

  • 本堂
    ・・・弘法大師が彫った御本尊の釈迦如来像、脇侍に不動明王像、虚空蔵菩薩像が安置されている

  • 捨身ヶ嶽禅定
    ・・・弘法大師の伝説がある場所(上述)

  • 求聞持大師ぐもんじたいし
    ・・・虚空蔵菩薩のご真言を百万遍お唱えする虚空蔵求聞持法を修された大師のお姿。

  • 山門からの絶景
    ・・・瀬戸内海方向に絶景が広がる

参拝後、6脚の山門をくぐります
山門をくぐり一礼して出ると絶景が待ってます(大師の後ろ姿も)


写真


次は、第74番札所甲山寺こうやまじへ参ります。

2022年7月29日投稿
2022年10月11日改訂

合掌

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