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「車でお遍路」別格19番札所 香西寺(寺号の変遷が歴史を物語る札所)

こんにちは、旅いこかです。

四国別格二十霊場巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、19番目のお寺は、

宝幢山ほうどうざん 地蔵院じぞういん 香西寺こうざいじ


別格18番札所の海岸寺から約30㎞、車で約50分の場所、

海岸寺への行き方は、海岸の一般道又は高松自動車道を使用する方法と2通りある。疲れていれば有料の高松自動車道が間違いなく楽ですね。

ここ香西寺で驚いたこと、それは駐車場に行こうとすると参道から山門を車でくぐるということ。

私は一旦山門の手前で車を停めて駐車場を見に行き、山門で一礼してから再度車に乗り込み山門をくぐった。
後に住職さんに聞くと「皆さん悩まれてますが大丈夫です」とのこと。

香西寺は、天平11年(739年)に行基菩薩が勝賀寺かつがじとして開基、鎌倉時代には鎌倉幕府の命により地元の豪族香西氏が再興して香西寺と改名、南北朝時代には室町幕府の守護大名細川氏の庇護を受け香西氏11代当主が地福寺と改名。
桃山時代には、讃岐国大名の生駒公が復興して高福寺と改名。
そして江戸時代、讃岐国高松藩主松平公が伽藍を整備して香西寺と改名したと幾度となく改名している。(歴史の詳細は後述)

度重なる危機を、その時代の有力者庇護の下で乗り越えるだけの魅力のあるお寺。

これまで寺域や寺号は変わっていても、地元では長く地蔵院と院号で親しまれている。

私も納経所では、「車でお越しなら20番札所大瀧寺まではカーナビだと迷うかもしれないから教えてあげる」とご丁寧に行き方を手書きの地図で教えてくださった。

なんとも有難いことかと感動。

では、寺号の変遷が歴史を物語る札所「香西寺」へ参りましょう。

香西寺 本堂


ご詠歌

南無大悲 延命地蔵 大菩薩 みちびきたまへ この世のちの世


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 天平11年(739年)、この地を巡錫中の行基菩薩が、勝賀山かつがやまの北麓に庵を結び、法幢(仏・菩薩のしるし)を彫り宝幢山勝賀寺として開基

  • 弘仁8年(817年)、この地を巡錫中の弘法大師は、現在地に移して地蔵菩薩像を彫り行基菩薩作法幢を胎内に納めて安置

  • 嵯峨天皇(在位809-823年)の勅願所となる

  • 天慶3年(939年)朱雀天皇の勅旨として僧徒学問所である讃岐四談議所(萩原寺、無量寿院、極楽寺)の一つとなる。

  • 鎌倉時代(12世紀後半-1333年)、鎌倉幕府の命により地元の豪族・香西氏が再興して香西寺と改名、その後香西氏の庇護を受ける

  • 南北朝時代(14世紀半-末)室町幕府の守護大名細川氏の庇護を受け香西氏11代当主が地福寺と改名

  • 天正年間(1573-1592年)天正の兵火に遭い、伽藍が焼亡

  • 桃山時代(16世紀後半)讃岐国大名の生駒公が復興して高福寺と改名

  • 万治元年(1658年)、失火により伽藍を焼失

  • 寛文9年(1669年)讃岐国高松藩主松平公が伽藍を整備して香西寺と改名

  • その後も失火に見舞われ再建、現在に至る


大師伝説


寺号について

  • 山号について
    ・・・行基菩薩が法幢を彫ったことから命名したと思われる

  • 院号について
    ・・・御本尊が延命地蔵菩薩

  • 寺号について
    ・・・香西氏庇護の下で発展してきたことからと思われる


ご利益

  • 御本尊の地蔵菩薩
    ・・・すべての生命を育む大地を司る菩薩で、現世と来世に幸福をもたらす善男善女のための28種のご利益天龍鬼神のための7種のご利益があると言われる
    子供を守ることで知られているが、他には例えば、苦悩からの救済、無病息災、交通安全、五穀豊穣、安産、水子供養、子授け、などさまざまなご利益がある

  • 毘沙門堂御本尊の毘沙門天像
    ・・・世の中のあらゆる災難を退散してくださるご利益


御本尊・ご真言

御本尊:地蔵菩薩
ご真言:おん かかかび さんまえい そわか


見どころ

  • 山門(仁王門)
    ・・・阿吽の金剛力士像が睨みを利かせているが、駐車場へはこの山門を通り左手にある。

  • 本堂 
    ・・・見惚れるほどの荘厳で見事な佇まい 御本尊に延命地蔵尊、脇侍に愛染明王と毘沙門天を祀る

  • 大師堂
    ・・・御本尊に弘法大師、脇侍に八幡菩薩と不動明王を祀る

  • 毘沙門堂
    ・・・平安時代中期の作、像高101㎝檜の一木造りの木造毘沙門天立像【重要文化財】を祀る

  • 境内の石像
    ・・・境内には、厄除弘法大師、ぼけ封じ観世音菩薩、水子地蔵尊、目治し地蔵菩薩、耳治し如意輪観音、足治し地蔵菩薩、波切不動尊、 など数多くの石像が祀られている

境内の大樹の下には多くの石像が祀られている
20番札所大瀧寺に向かう途中、高松市塩江町安原上東で見つけた行基の湯
(約1300年前の奈良時代に行基菩薩によって発見、弘法大師が湯治の湯として広めたという)


写真


次は、別格霊場結願札所である別格第20番札所大瀧寺おおたきじへ参ります。

合掌

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