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「車でお遍路」別格7番札所 出石寺(絶景極楽の札所)

こんにちは、旅いこかです。

四国別格二十霊場巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、7番目のお寺は、

金山きんざん 出石寺しゅっせきじ


別格6番札所の龍光院から約60㎞、車で約80分の場所、

伊予愛媛「菩提ぼだいの道場」2番目の札所に入る
出石山の麓から約7kmほど細い道の単線を走る。出石寺への道程は比較的目印があり迷うことはない。

境内前の駐車場に車を停め、境内に入ると大きな岩と祠があり、その裏には本堂の方面を向いた大きな弘法大師像と熊野権現社。
そして、石段を上り山門へ、山門をくぐると手水舎や護摩堂。そして再び石段を上り大師堂へ、そして再々度石段を上ると出石山山頂の出石寺本堂に到着。

出石寺しゅっせきじは、標高812mの出石山いずしやま山頂にあり、境内から伊予灘、大洲盆地、石鎚山と、眺める景色は最高。

縁起によると、猟師が鹿を追いかけると、鹿が消え地鳴りが響き岩が割れ金色に輝く千手観音菩薩と地蔵菩薩が現れたという伝説がある(後述:略縁起)。

では、極楽の絶景を見ることが出来る「出石寺」へ参りましょう。

熊野権現社と弘法大師像


ご詠歌

くもりなき 二名の島の 金山に みのりの光 かがやくを見よ


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 養老2年(718年)、猟師であった作右衛門が仏門に入り、道教と名乗り堂宇を建立、岩から現れた金色に輝く千手観音菩薩を御本尊として安置して出石寺と称して開基(後述:略縁起)

  • 平安時代(794-1185年)初期、巡錫中の弘法大師がこの地を訪れた時、冬期に雪中修行を行い、後世に渡り御本尊が粗末にされ天罰が下されぬようにと石室に密閉し秘仏とした

  • 昭和16年(1941年)、大火により伽藍が焼失

  • 昭和31年(1956年)、復興して現在に至る


略縁起(御手引きの鹿伝説)

養老2年(718年)に宇和島の猟師であった作右衛門が鹿を追いかけ出石山に入った。そこで、まさに岩の上にいる鹿を矢で射ようとすると、その鹿はその場から消え暗雲が垂れ込め山中に地響きが鳴った。そしてその岩は真二つに割れ金色に光輝く千手観音菩薩と地蔵菩薩が地中から姿を現わしたという。
この光景に作右衛門は、殺生を生業とする猟師をやめ、仏門に入り名を道教と称した。
そして、この地に堂宇を建立し、この金色に光り輝く千手観音菩薩と地蔵菩薩を御本尊として安置、出石寺と命名して開基したという。


寺号について

  • 寺号について
    道教法師が開基した際に命名

  • 山号について
    当初は雲峰山であったが、この山に鉱山があることから弘法大師が金山と改めたという


ご利益

  • 御本尊の千手観世音菩薩
    ・・・災難除け、病気平癒、長寿、夫婦円満、恋愛成就などの現世利益と後世利益。


御本尊・ご真言

御本尊:千手観世音菩薩
ご真言:おん ばざら たらま きりく


見どころ

  • 本堂 
    ・・・山頂に本堂があり、御本尊に千手観世音菩薩像が祀られている 同時に現れた地蔵菩薩は千手観世音菩薩の胎内仏という

  • 銅鐘 【重要文化財】
    ・・・護摩堂に吊るしてある梵鐘は朝鮮の高麗王朝時代のものであり、藤堂高虎が朝鮮出兵で持ち帰って寄進したものという

  • 絶景
    ・・・境内から、伊予灘、大洲盆地、石鎚山、を望むことが出来る。山の麓は霧が深く極楽の様相だが、住職さんによるとかつては海面がもう少し高かったため、さらに極楽の眺めだったという。


写真


次は、別格第8番札所十夜ヶ橋とよがはしへ参ります。

合掌

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