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今の笑ってよかったの?

「悪性です」って宣告された時。
ガーン。。。!って言いたかった(もしくは言ってしまった) がん患者さんってどのくらい居るんだろう?笑

「あなた不謹慎です」って思わせてしまった場合は、本当にごめんなさい。でもダメですかね?だって本当に漫画の吹き出しや、バラエティのテロップだったらば、やっぱりその瞬間は「ガーン」な人は少なくはないと思うんです。私はそうでしたし。

「あなたは初期のガンで、今元気だからこそそんなこと言えるんです」って思わせてしまった場合は、本当にごめんなさい。でも一番最初に「悪性です」と言われる瞬間ってどんな患者さんでも同じ瞬間だと思うんです。ガンはガン。走馬燈とは違うかもしれないですが、本当あの時はこれからのことが一瞬でドドドドドドドッと駆け抜けました。私の場合は、人が話す声があきらかに遠くなりましたし、目の前がなんだか白くなりましたし。


社会の中で、がん患者はがん患者らしくなければならない??? 
「がん患者らしく」とは、はてさてなんぞや?

この現代において(いろんな啓発が言われている世の中という意)、「私、乳がんでした!」って伝えて以後あきらかに態度が変わった人がいます。態度が変わる人が自分の周囲に存在するなんて思ってなかったんですが、事実居ます。まあそんなもんか。でも逆に「私もこれでいいんだ!元気と勇気をいただきました!」というがんサバイバーも、想像以上にたくさん現れました。

「がん患者である前に、ヒトとして生きてるんだもの」

あれ?このセリフいろんな場面でよく聞きますね???ジェンダー問題、LGBTQ、宗教に肌の色。がんに限らずさまざまな病気の患者さんたちや、俗に言う障害者とカテゴリーされてしまう人々や。。。!「当事者」と呼ばれる人々全てに当てはまる!

認知こそ最大の思いやり(かも)

すべての人が平等に生き易く居られる日常って、「認知」から始まるものなんだな、とつくづく感じています。病気それぞれにそれぞれのリスクがあるとわかっちゃいてもピンと来ない。例えば乳がんなら、内臓の手術ではないし「切ったら終わり!」と思っていたら、え?終わらないの?一生続くの。。? 退院後のリスクが(日常生活で付き合わなければいけないリスクが)こんなにあるのっ?!と、いうのは自分が患者にならなければ知らないことばかりでした。

当事者はサイレントになる(周囲に伝えない)場合も多いし、啓発活動って思ってる以上に進まないものなんだなと実感。啓発で大切な部分て結局「病気やリスクを知ってもらうこと」なのでは?と。しかも日常生活の中で必要な知識こそ、ひとりでも多くの人が知ってることで生活クオリティがずいぶん変わってくるんだろうな、と思います。全ての病気を知ることは難しいというか、むしろありえないんですが、身近な人に何が起こっているのか?を、ひとつでも知ることができたらそれでバッチリなのかな?と。

コンプライアンス

コンプライアンスとは本来「法令遵守」のことですが、昨今では倫理観や公序良俗などの社会的な規範に従い"公正・公平であるために"の名のもとに、呼んで無い「ポリス」が出現したりするので、それを躱(かわ)すためにコンプライアンスコンプライアンス言ってる人や企業も多い、あのコンプライアンスのことです。

「〇〇の事情考えたら、それは禁句でしょ?」っていう"和" を重んじすぎる昨今の日本の現状はむしろ別の歪みを"生んで"たり、「事実と向き合わせない何か?」が原因で"膿んで"しまうことも少なく無い気がします。それも啓発を阻んでいるひとつの要因なのではないかな?と考えます。

例えばブラックユーモア。ちょこっとの発言もだいぶ難しくなってますよね?昭和40年代50年代が子供だった世代が観ていたテレビ番組が、もし今この2022年に放送されたら、炎上炎上炎上なのかなあ?笑 確かに問題がないとは言えないかもしれないけれど、考えさせられるときは考えて、しょーもないことはしょーもないなりに、そのメリハリが面白かったんだよなあ、とふと思い出すことがあります。

がん患者なんだけど、がん患者なりのユーモアに、もっとフツーに笑って欲しいんだけどなあ、って。だってなりたくてなったガンじゃないってことは、イコール自然発生的なこととも取れるわけで。それをまんま受け入れる。ガン患者であることに誇りを持つというか。誇りを持つって表現おかしいかな。でも自然な感覚でいたいんですよね。 

え?がん患者らしくしろって?
ガーン

「今の笑ってよかったの?」
「え?笑っちゃいけないの?」

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