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あの日よ、もう一度

このところ、note が表示する連続投稿の日付がおかしい。

キャプチャ 135日連続投稿-0217-trimmed

「135日連続投稿」が2月17日に出たあと、なぜか翌18日に「101日連続投稿」が表示された。

キャプチャ 101日連続投稿-0218-trimmed

19日には「102日連続投稿」が出て、以後その流れで推移している。カウンタがゼロになるというならわかりやすいのだが、100に戻ったのはなぜなのだろう。みなさんの note は正しく表示されていますか?

始めたときに、なぜ毎日投稿をする人がこんなに多いのだろうと思ったけれど、note は「スキ」の数を教えてくれたり、連続投稿をほめてくれる。面白いサービスだと思うし、それを励みにしているユーザーが多いのも、だんだんわかってきた。

続けられるうちは書きたいと思っているけれど、わたしは「毎日投稿」を誓ったユーザーではない。だから、不思議にこそ思ったけれども、実は連続投稿の日付がどうでも、それで一喜一憂することはない。

そもそも、ほかのブログ・サービスでは記念メッセージなんて出てこないのだから、これは note にしか起きない類のトラブルのような気もする。
誤動作については一週間前に note 運営に問い合わせたけれど、今のところ返事は来ていない。

24日前にタイムスリップ

たまたま、このタイミングでわたしは誕生日を迎えた。外国で暮らしているから、ふだんは会えない友達からお祝いのメッセージをもらい、同時に近況を教えてもらって、なんだか E-mail で年賀状が届いたような気分だった。

そんな事情で時の流れを感じているときに、note が不思議な動きをしたものだから、つい反応してしまった。note のカウンタが正常に機能しているなら、「連続投稿101日」は今年1月中だったはずだ。そのころわたしは一体何をしていたのか?

――これがなかなか思い出せない。まだひと月も経っていないというのに。
手帳を開いて、ようやく思い出す。そうだ、風邪をひいていたんだっけ。ああ、それでふとんの中で何冊も本を読んでいたんだ。と、こちらは読書メモを読んで記憶を引っ張り出す。

人間の記憶には長期記憶と短期記憶があり、どうも格納される引き出しが違うようだ。さっき薬を飲んだかどうかもはっきりしないお年寄りが、半世紀前の子どものころのことならしっかり覚えているのは、それが理由らしい。加齢で衰えるのは、短期記憶の方。目安になるのは「きのうの晩ごはん」だそうだが、わたしの記憶力は大丈夫なのか?

「19の春」に戻ったら

時間をさかのぼる話で、「19の春」を思い出した。
三線の音色が耳に残っていたので沖縄民謡と思っていたら、元は与論島の小唄にのせた流行歌だそうだ。



別れるのなら、あなたに会う前の19歳に戻してほしいと言う女に、時間を元に戻せるのなら、庭の枯れ木にも花が咲くし、あなたも19歳に戻れるだろうに、と男が応じる節がある。曲の女は年老いているわけではないが、歳月は戻らない、と言っているわけだ。

沖縄や奄美の離島に通っていた時期に、いろいろな人の歌で「19の春」を聴いた。わたしが好きなのは、登川誠仁のもの。速弾きで知られて「沖縄のジミ・ヘンドリックス」なんて呼ばれた人だけれど、少し枯れた声にも人生経験豊かな唄者だけがもつ情感が宿る。

若い女性が歌っている「19の春」もあるけれど、元気がよすぎて曲想に合わない。本物の19歳が歌っても、若さを手放す哀しみや、追憶のまぶしさがこちらの心に響いてこないのだ。当然だろう、大方の若者には、過去よりも未来の方が圧倒的に長い。無限にも思えるほどに。

たぶんわたしは、これまで生きた年月ほどには、これから先、生きることはないだろう。つまり人生の折り返し地点を越えたわけだ。今日と同じ明日はないかもしれないから、考えたり、感じたりすることにちょっと立ち止まりたいし、大切な間柄の人にはきちんと向き合う時間をもちたいと思う。時間は無限ではないし、取り戻すこともできないのだから。

ものを書くスタイルが変わったのは、たぶん残された時間に意識が向くようになったからのような気がする。時間が有限なら、文章を通じて出会える相手だって限られている。

結び合う、その一瞬をいとおしみたい。


*写真は、インドのカレンダー

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