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長旅は、自分の身の丈を教えてくれる

20代の終わりに差しかかるころ、わたしは会社を辞めて、長い旅に出た。

残業続きで忙しかったけれど、わたしは本をつくる仕事がとても好きだったし、同僚との関係にも恵まれていて、気の合う仲間同士、家を訪ね合ったりするような間柄だった。

それでも、休暇を使って海外旅行を繰り返すうちに感じる物足りなさは、膨らむ一方だった。島国の日本は、どこへ行くにも海を越える時間がかかる。短い休暇の範囲では、せいぜい首都と有名観光地だけの訪問になりがちだ。

たとえば東京と、京都や大阪だけを見て、日本がわかったと言えるのか?
地方都市出身のわたしは、そうではないことを知っていた。だから、二年近く貯金した末に、会社を辞めることにした。
もっと自由に歩くために。

バックパックひとつが全財産

20キロ分の荷物だけをバックパックに詰めた、シンプルな生活が始まった。行き先は、東南アジア。
多少の英語は話せても、それぞれの国のことばや習慣まではわからないので、毎日が未知の連続だ。

ムスッとして見えたおじさんは、実はちゃんとポーズをとってくれていた
(マレーシア)

そういえば英語の travel はラテン語から来ていて、もともとの意味は「苦労して旅をする」 だったという。ホテルも交通機関もまだ十分にないころ、移動は危険が伴う、苦労の多いものだったはずだ。

それに比べたら現代は、飛行機で長距離を移動することもできるし、電車やバスは整備されている。観光も立派な産業になっていて、観光客を誘致するための情報発信も盛んだ。インターネットを使えば、日本にいても、外国の情報がわけなく手に入る。

それでもわたしが旅に出たのは、なぜなのだろう。

ガイドブックに導かれるのではなく、自分でデザインする旅

旅行ガイドブックや観光地図はとても便利だけれど、お勧めの場所やレストランを取捨選択している時点で、作っている人のフィルターがどこかに忍び込む。

わたしが、観光コースをはずれて、ごく普通の町を歩いてみたいのは、誰かに導かれた安全な道を歩くのでなく、自分で動き方を決めたいからだ。

タイを起点に始めた旅は、マレーシア、インドネシア、シンガポール、ブルネイと続き、再びタイに戻ってミャンマー、ラオス、中国、ベトナム、カンボジアと続いた。

伝統衣装を身に着けた女性たち(カンボジア)

東南アジアは、世界でも有数の豊かな染織文化がある。タイのマットミー(絣)、ラオスの浮織、カンボジアのピダン(絵絣)、インドネシアのバティック(ろうけつ染め)、マレーシア・イバン族のプア(絵絣)…。

以前からテーマがある旅がしたかったので、各地の染物や織物などを見て歩いた。専門書を頼りに工房を訪ねては、職人に話を聞いたり、作業の手順や身につけ方を教えてもらったりもした。制作体験コースに通って、自分でもいくつか染物をつくってみた。

一口に東南アジアといっても多様な文化があることを、布を通じて具体的に感じ取れたのは大きな収穫だった。

大変だった旅ほど、記憶に残る

不思議なもので、大変だった旅の方が、あとで覚えていることが多い。
相場を知らずに買い物をしてしまったことは何度もあるし、感染症にかかって高熱を出し、そのまま入院したこともある。
乗り継ぎのバスを待って大きな樹の下で夜明かしをしたこともあれば、連続19時間バスに乗って、へとへとになりながら次の町に移動したこともある。

便利で安全な日本にいたら、きっとこんな思いをしないで済んだだろう。
しかし、軸足を置いている場所を移すから出会う人もあり、見えてくるものがある。

大変な思いをして心細いときこそ、ひとの親切は身にしみる。それが見知らぬ人だからこそ、一層ありがたく感じる。

「撮っていいわよ」と声をかけたくれた花屋のおばさん(ベトナム)

「どこから来たの?」
周りに誰も知っている人がいない旅では、すべての人間関係は、まっさらな状態で始まる。

外見は隠しようもないので、「日本人」と「女」いう看板こそついて回るけれど、どこの出身で、どんな学校を出て、どの会社で働いているといった、日本での経歴や所属はほとんど何の意味もないので、自分に貼り付けられたラベルが、ひとつひとつはがされていくような気分だ。
旅は、ひとを解放していく。

自分を試してみる時間

長期旅行というと、なぜか「自分探しの旅ですね」とひとに言われることがある。別に探しに旅に出なくても、「自分」はいつもここにいる。
ただ、自分がどういう人間なのか、旅に出て身の丈を知ることは確かにあると思う。

布の話を聞かせてくれた、バティック店のおばさん(インドネシア)

貯金を使い果たしたので、わたしの旅は1年半で終わった。
留学でも赴任でもない、完全に無所属の状態での長期滞在だったから、職歴上は大きな空白になり、日本での再就職は困難を極めた。
けれどもわたしは、よほど楽天的にできているのか、一度もあの旅を後悔したことがない。

長い旅はなんの資格にもならないし、他人に評価されなくても構わないけれど、たぶんわたしはバックパックひとつあれば動けるし、必要があれば、いつでも場所を移せるという自信がついたからだ。

自分がどこまでできるか、周りを気にせずに試せる時間をもてたのは、幸運だったと思っている。



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