シンガポール図書館_note

わかりやすく、は正しいか

最近はライターとしてかかわることの方が多いけれど、大学を卒業してからずっと書籍や雑誌の編集をしてきたので、文章とかかわる仕事を続けて三十年近くなる。

最近感じるのは、日本のメディアが要求する「わかりやすく」が年々強まっていること。ほとんど本を読まない、ウェブメディアで育った世代の編集者が現場に出てきてから、そう感じることが増えた。率直にいうと、過剰の域に入っていると思う。

新聞記者に文章を添削してもらって学んだこと

学生時代、わたしは新聞記者に憧れていた。同じ志望の大学生たちが集まる勉強会に参加して、毎週お題をもらって文章を書き、新聞社の現役デスクに添削してもらっていた。添削された文章は仲間と回し読みするから、各人の文章のくせや言い回しにも意見がついた。

新聞というメディアは極端に文字が限られるので、冗長な文章は好まれない。ようやく字が読めるようになった子どもから、お年寄りまで目にする媒体だから、使う漢字は基本的に常用漢字の範囲で、わかりにくい表現は避けるし、少し専門的な用語には注釈をつける。何よりも、ひとりよがりな論理展開は支持されない。

就職したのは出版社だけれど、そういう過程を経ているので、わたしは衒学的な文章は書かないし、書けない。広報誌やプレスリリースのライターもしてきたので、意味のつかみにくいカタカナ語は極力使わないし、迷う漢字は必ず『用字用語辞典』に当たるから、固有名詞を除いて常用漢字外を使うこともほとんどない。しかし、最近言われる「わかりにくさ」はそういうことではない。

増幅する「わからないと読まれない」という不安

差し障りがあるので少々変えてあるが、書いた記事に対して、実際に編集者が言ってくるのはこんなことだ。
「シンガポールって、どこかわからない人もいると思うんですよね。“東南アジアの” って説明がほしいかなと」
「トルストイを知らない人にも読んでほしいので、“ロシアの作家の” と補足しておきますね」
「”産業革命” は歴史の授業で習っただけで、うちの読者には難しいかと…」
「戦争の話はちょっと…。政治や宗教はNGなんで。すみません」
「ここ、写真はありませんかね? いえ、記事に出てくる場所でなくても、イメージ的なのでいいんですけど」

編集者たちが懸念しているのは、ウェブメディアの場合、わからないと途中で読むのをやめてしまう読者が多いことだ。寄稿記事の評価の指標は閲覧数なので、数字を伸ばすために助言してくれているのは、わたしにもわかる。見聞には世代差もあるだろうから、若い読者がなじみのないことには、喜んで補足説明もする。だけど…。

こういう「わかりやすく」への要求が続くと、“明治時代の日本の作家、夏目漱石(そうせき)”と書かなければならなくなるのは、もうすぐそこのような気がする。いえ、子どもや、日本語学習者向けの媒体ではなくて、おとなの社会人向けの媒体で。本当にそれでいいのか?

「わかりやすさ」のためにこぼれ落ちていくもの

新聞ほど厳しくはないけれど、ウェブ媒体にも指定の文字数は一応あって、記事の執筆は、800字だとか1500字だとかで依頼される。わたしたちライターは、その文字数を頭に入れて、媒体の読み手が求める情報や、どんな内容が盛り込めるか、大まかな柱を立てて文章を構成していく。

わたしの場合は、長めの文章を一気に書いて、指定の字数まで削っていくスタイルだから、どこを削るか、それで前後のつながりが悪くならないか、推敲を重ねる。ひとりよがりなところ、調子づいて冗長なところ、重複する表現はこの段階で削ぎ落としていく。

そんな風にして出した原稿だが、編集者の手に渡った段階で、先のような「わかりやすく」が優先されると、本来そこで書きたい内容が、字数の関係で入れられなくなってしまうことがある。

それをどうにかするのがあなたの仕事でしょう、と言われればそうなのだけれど、ちょっとした体験談、寄り道的な小話を削らなくてはならなくて、残念に思うことが何度かあった。別な視点からの見方を紹介したら、「読者が混乱する」と削除されたこともある。

「食らいつく」行動的知性を信じたい

言うまでもなく、読者の理解を妨げないという意味で、わかりやすい文章や構成を考えるのは大切だ。ただわたしは、「この程度でいいだろう」という、読者を見下ろすような文章は書きたくない。

英語には spoon fed という言い方がある。口元までスプーンで食べ物を運んでもらう、甘やかされた状態をいう。そういう食べ方はたぶん安全だけど、自分で食べたいものを選ぶこともできず、熱々の天ぷらにかぶりつく喜びも、きりりと冷えた和え物を味わう楽しみもないだろう。

文章を読んだり書いたりするのは知的な営みだ。たまたまそれまで出会う機会がなかった事柄だとしても、興味をもったら自分で調べたり、考えたりする読者がいると信じたい。勉強は学生時代で終わりではないと、未知のことを学ぶのをやめないおとなの存在を感じたい。

ありがとう、note。ここで出会った魅力的な記事と、読んでくれるみなさんからもらう、日々の「スキ」や温かいメッセージに、最近のわたしは支えられている。

*写真 シンガポールの公立図書館


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