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2年ぶりに再会した一枚の布

どうしても忘れられない、一枚の布があった。

インドネシアのジャカルタの店で見かけた手描きのバティック(ろうけつ染め)で、チレボンのものだ。古典柄とはいえないけれど、きっちり描き込んである細かい柄で、印象的な赤とほかの色の組み合わせが好ましく、線描きの細かさも気に入った。

ただ、有名産地のチレボンは一種のブランドになっているので、少し価格帯が高い。その布は、熟練の職人が数か月はかかっただろうという仕事で、値段もわたしには安くはなかった。そのときは決めかねて、後ろ髪を引かれるような思いでジャカルタを後にした。

きれいなだけではない、布の引力

インドネシアに出かけたときには、それこそ一度に何千枚もバティックを見て歩くので、きれいな布には何度も出会う。

ただ、市場に出回っているバティックの大半は安価なプリントだ。つまり、伝統的な作り方をした、ろうけつ染めではない。布を探すときには、その点も注意が要るし、確認を怠ることができない。

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ジャカルタの布市場には、色とりどりのバティックが並ぶ

伝統バティックの柄にはひとつひとつに意味があり、化学染料でないものは染料に使った植物や染め方でも色の出方が違うので、自分の勉強のために買い求めるものもある。

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バティック専門店。気に入った布を選び、一枚ずつ広げさせてもらう。

それとは別に、見た瞬間にぐっと心をつかまれるようなときがあって、その布がそうだった。決心がつかなくて買わずに帰ってきたものの、ふとしたときに心に浮かんできてしまう。深い印象的な赤、流れるようになめらかな線、ほとんど限界まで描き込まれた背景の模様が素晴らしかったな…。

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2年経っても忘れられず、今年ジャカルタに行ったときに、あの布を置いてある店を訪ねてみた。幸運なことに、布はまだそこにあった。服に仕立てるには少し値が張るので、質がよいものだけに、かえって動きにくかったのかもしれなかった。

連れて帰ろう。今度は、迷わなかった。

居間の主人公になったバティック

わたしの家の居間には、壁に布のためのスペースがある。それほど広い家ではないので、模様替えのたびに本棚や家具に占領されそうになるけれど、せめてバティックを一枚、ハンガーにかけておける場所はほしいので、なんとかその壁面を確保している。

「バティックは、絵を見るように眺めなさい」というのが、著名なコレクターでもあるインドネシアの友人の口癖だ。何が描いてあるのか、その意味を読み取るためには知識も必要だし、結構時間もかかる。

体調を崩して思うように外出できないときには、家にいるほかなかったので布を眺めて過ごしたが、いい勉強時間になった。それ以上に、布のうつくしさにどれだけ心が慰められたことか。

博物館や美術館が所蔵品をデジタル・アーカイブで公開している今、インターネットに接続さえすれば、世界中のいろいろな地域の、昔のものまでさかのぼって名品を見ることができる。

ただ、どうもわたしはアナログな人間のようで、デジタルな情報を資料として活用することはあっても、布とは生活のなかでかかわりたい。手で触って風合いを確かめるとか、風をはらんで動く様子を楽しんでいたい。

もともと身につけるものだったバティックには、木綿の肌当たりのよさや、使ってこそわかるデザインの魅力がある。買ってよかったと思えるのは、手元にあれば、五感を使って布を楽しめるからだ。


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