再び訪れることができない、あの場所ーミャンマー西部ラカイン州の思い出
各地に住む物書きが、世界のあちこちからリレーで発信するエッセイ企画「日本にいないエッセイストクラブ」。
5周めのテーマは「思い出の写真」。
初回エッセイは、東南アジア回遊中の森野バクが担当します。
末尾で、前回と次回のエッセイストを紹介いたします。
これまでの作品は、まとめてあるマガジンをご覧ください。
12年前のちょうど今頃、わたしはミャンマーにいた。当時わたしは国際協力団体で働いていて、ミャンマーでは村落開発に取り組んでいた。「村の生活ぶりを取材してきてもらえませんか」ということで、ミャンマーの西部、ラカイン州に出張することになった。
ミャンマーの雨季は6~10月。ラカイン州は豪雨地帯で、雨季には道路も冠水して交通の便が悪くなる。出発は、雨期明けを待って11月に決まった。
ラカイン州という地域
ミャンマーの面積は67万7000平方キロ。日本の約1.8倍にあたる。北は中国、東はラオス、タイ、西はインド、バングラデシュと国境を接している。南はインド洋だ。
多民族国家で、人口の7割近くのビルマ族のほか、カチン、カヤー、カレン、シャン、ラカイン、チン、モンの8つの民族集団がある。「130以上の民族」としばしば紹介されるのは、さらに細かく分けられている下位集団を指す。ミャンマーを植民地支配していたイギリスの統治と軍政にも絡むので、民族問題は政治と切り離せない。
ラカイン(RとYの発音の違いで「ヤカイン」とも)州は、紀元前からアラカン王国が栄えた土地で、ラカイン族はたいへんな誇りをもっている。王国は18世紀にビルマのコンバウン朝に征服されるまで続いたので、「辺境」どころか、古くから政治や文化の中心地だったという自負がある。ラカイン族には、上座部仏教を報じる敬虔な仏教徒が多い。
3000メートルを超すアラカン山脈があるために、ミャンマー中央部と隔てられている一方、バングラデシュと隣接しているために、人やモノの往来は多い。難民として報道されているロヒンギャは、ベンガル系のことばを話すムスリムのことだ。1990年代初頭に政治的混乱からバングラデシュに逃れた人びとが、1990年代半ばに帰還して再定着した事情もあり、ラカイン州にはベンガル語を話したり、バングラデシュにルーツをもつ人が少なくない。
外国人はどこに行っても注目の的
ミャンマーの中心都市ヤンゴンから、ラカイン州の州都シットウェーまでは空路で約1時間。目的地のマウンドー県には、シットウェーからボートに乗り換えて移動する。
治安上の理由で、マウンドー県は外国人の入域が制限されている。ビザとは別に、国内移動許可が要る地域なので、外国人は援助関係者以外見かけない。肌の色が違うので、日本人のわたしはどこに行っても目立ってしまい、ひとの視線を感じずに歩くのは難しかった。その分、「遠い外国からよくラカインに来てくれた」と歓待されることも多かった。
ミャンマー人には姓がない。呼ぶときには名前に適切な敬称をつける。年長者を敬う文化があるので、性別と年齢によっても違うのだけれど、仕事で会う関係では、男性には「ウー」、女性には「マー」という敬称で呼ぶことが多かった。
わたしの場合は、「サヤ・マー」と呼ばれた。「マー」の前に「サヤ」をつけるのは女性教師や医師・看護師などに対する敬称で、「女先生」というほどの意味か? 外国人の上に大卒ということで、ただの「~さん」づけではどうも具合が悪いらしい。
心づくしの食事をラカインの村でごちそうになる
村に調査に入ると、村人たちが食事を用意してくれる。
戸惑ったのは、村のみなさんは一緒にテーブルにつくわけではなく、そばで食事の様子を見守っていることだ。「お代わりはありませんか?」「お水はいかが?」という具合に、誰かが世話を焼いてくれるほかは、テーブルの周りを囲んで、みんなでにこにこ見ている感じ。ごちそうになるのも、少々気を遣う。
しかし、村落部は幹線道路から大きく外れているので、市場の周辺を除くと飲食店は見かけないので、村で食事をいただく以外の選択肢はあまりなさそうだ。
地元職員にこっそり尋ねると、テーブルを囲んで見ているのは客人をもてなす作法なのだそう。「できるだけたくさん食べてくださいね。お代わりもすると、みんな喜びます」。以前訪れた外国人が、せっかくの料理にほとんど手をつけなかったので、口に合わなかったのかと村人たちががっかりしたことがあったそうだ。
ミャンマーの中でも、ラカインの料理はスパイスが効いていることで有名だ。頑張ってみたが、なにしろ結構な量なので、お代わりどころか、出されたものを平らげるのはとても無理。
ただ、料理を作ってくれた方に、何とかお礼が言いたかった。「サローカウンバーデー」(おいしゅうございました)と、好みの料理を指して言うと、恥ずかしそうに微笑んでくれた。感謝の気持ちは伝わったろうか。
聞き取り調査の難しさ
支援に先立つ調査は難しい。「より必要な人を支援する」のは目標としては美しいが、必要な度合いを図るものさしは、ひとつではないからだ。
たとえ、もっと治安が悪かったり、社会基盤(インフラストラクチャー)が整っていなかったり、経済的に困窮していたり、健康を損なっていたりする人がいたとしても、目の前の人や地域が困っていないわけではまったくない。それでも、人も資金も有限である以上、どこかで優先順位をつけたり、選別する必要が出てくる。神ならぬ身でそれを判断するのは容易ではない。
調査者の立場で苦しいのは、「困っていることはありませんか」「必要なものはありませんか」と尋ねることそのものが、期待を呼んでしまうことだ。現状に満足しているのでない限り、こうなったらいいな、これがあったらいいな、というのは誰にだって(わたしにも)ある。
ただ、支援団体はサンタクロースにはなれない。希望を聞き取ったところで、それが実行可能かどうかは、その時点ではわからないのだ。資金(民間の寄付や政府ほかの助成金)が集まらないかもしれない。援助実施国の許可が下りないかもしれない。物資なら輸送や配布という物理的な条件が整わないかもしれない。
同じ国際協力の仲間には、排外的な過激派に襲撃されて職員が命を落とした団体もある。滞在国で内戦が起き、涙を飲んで事業を撤収したところもある。もっと小さなグループの対立によって、活動自体が難しくなることもある。
ことばにすることで意識化する、目的が明確になるのはこの場合もそうだ。けれど、期待に沿えないかもしれない可能性は常にある。それを相手にも説明しながら、調査に協力してもらうことになる。
揺れ動くラカイン州
ミャンマーでは、2011年に民政に移管、長かった軍事政権が終わった。しかしラカイン州は、その後も大きく揺れ動いた。
2012年6月には、仏教徒とムスリムの間で100人を超す死者が出る大規模な衝突が起き、非常事態宣言が出された。2017年8月には、武装勢力アラカン・ロヒンギャ救世軍が複数の警察署を襲撃したことを受けて治安部隊が掃討作戦を実施、治安が悪化した。たくさんの家が焼き討ちされ、ミャンマー国民として認められていないラカインのムスリムは、強制的にキャンプに移された。対立で、仏教徒コミュニティの側にも深い傷が残った。
出張のときに面倒をみてくれた地元スタッフや、調査に入った村の人びとには仏教徒もムスリムもいた。それまでうまくやってきた人たちの間にも、衝突を繰り返すうちに相互不信と大きな亀裂が生まれた。この間の混乱でなくなってしまった村や、国外に逃れた人も大勢いるはずだ。
少数派のムスリムは、約70万人がバングラデシュに逃れたほか、安全な土地を求めてインド、タイ、マレーシアなどに脱出し、これがロヒンギャ難民として報道される、大きな人の動きになった。
新型コロナウイルスの感染拡大で、今はどこも自由な移動ができない。治安が不安定なラカイン州は、そもそも外国人の立ち入りが制限されているので、ウイルス禍とはかかわりなく、訪問が難しい状態が続いている。わたし自身も国際協力の仕事を離れたので、ミャンマー政府から移動許可を得ること自体もうないだろう。
半月ばかりの滞在で、その土地を深く理解できたとは思わないし、ずいぶん前のことで記憶も断片的だけれど、「思い出の写真」として、ラカイン出張のことを書いてみたかった。政治や民族という問題より、もっともっと小さな、自分の会った人や訪ねた場所の記憶として。その地ゆかりの誰もが安心して暮らせるようになることを祈りたい。
【海外エッセイ募集】
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これまで決まったメンバーでリレーをつないできましたが、海外でのお話を書いてみたい方、ハッシュタグ「 #日本にいないエッセイストクラブ 」でご参加ください。メンバーが招待させていただくこともあります。
「日本にいないエッセイストクラブ」、4周目のリレーエッセイの最後は、在アルゼンチンの奥川駿平さんです。
旅行でも生活でもそうですが、場所を変えると、出会うものが変わるんですよね。元いた環境を手放すことで、初めて新しい環境に入れるようなところがあって、それを不安に思ったりストレスに感じるか、新しいものと出会って世界が広がったと受け止めるかで、道は分かれるような気もします。さて、奥川さんがそれまでの22年間、一度もしたことがなかったこと、とは?
世界各地の物書きによる「日本にいないエッセイストクラブ」、次回エッセイストはスイス在住のアリサさんです。
前回はスイスの各家庭で受け継がれているチーズフォンデュのお話でしたが、今度は何を書いてくださるのかな? ご期待ください。
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本リレーエッセイ企画、わたしはこんなテーマで寄稿しています。
1周目 「はじめての」
2周目 「忘れられない人」
3周目 「思い出の一品」
4週目 「お腹が空く話」
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