Joji Sawasaki

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コーヒー業界に蔓延る「インテリ風思考」という癌

 我々コーヒー業界の人間は何故か、自分を飲食関係だと思っていない。ラーメン屋や牛丼屋とジャンル上は同じ仕事という自覚がない、もしくは、気づかないふりをしている。  いや、コーヒー屋としての特殊技能がある点で普通の飲食とは違う。我々には接客や抽出、焙煎の技術がある。と反論があるかもしれない。  なるほど、しかし技能面を差別化にあげるとするならば、牛丼屋と私達の間に賃金格差がないことはすなわち「我々の技術に金銭的価値がない」ことを意味するだろう。  考えれば考えるほど、我々の仕事

    • 我々は生きているのだろうか?

       より良く生きる、それは我々が掲げる偉大なるテーマのひとつであろう。そのために必要な、結婚、趣味、ワーク・ライフ・バランス、そして仕事のやりがいなど、あらゆることを気にして『いかなければいけない』。  元来私達は、『必死』だった。感染病や(今の価値観からすれば)早すぎる寿命で死にゆく隣人を見て、誰にも必ず訪れる死を意識しながらも、生きて『いかなければいけな』かった。なぜ生きていかなければいけないか、そんなこと説明する必要はないくらい、生きるのに懸命だった。  古くは縄文時代、

      • 美味しくないコーヒー

         私が『美味しくないコーヒーは飲むべきではない』というときと、『美味しくないコーヒーは存在する意味がない』というときの、『美味しくないコーヒー』という語の意味はそれぞれ異なる。  主観的な存在であるコーヒーにおいて、まさに主観的形容詞である『美味しくない』という表現が直接なされていても、その評価の中にはある種の客観性が含まれているように見える。  『美味しくないコーヒーは飲むべきではない』の『美味しくないコーヒー』は、私の主観的な『美味しくない』という語に内包されている、

        • 気づいたらコーヒー屋さんになっていた。

           僕はいつからコーヒーが好きになったんだろうか。具体的な日にちはわからないが、つよがって深煎りのブレンドを飲み干した日が、はじまりだった。大量消費社会の歴史の中で、当然のように目の前に現れたそれは、とても苦くて、飲み口の分厚いマグカップの中に、誇らしげにゆらめいていた。  その時僕は、間違いなくそのコーヒーより格下だった。わたしを飲める?と聞かれているようで、うん、美味しい、というような表情をしながら、僕はかろうじてその偉そうなコーヒーに対抗してみせた。  苦くて、本当は好き

        コーヒー業界に蔓延る「インテリ風思考」という癌