見出し画像

退職エントリ外伝:SIerでの業務経歴

SIerに勤務しました。トップ画像のようなキラキラ素敵なオフィスではなかったですが、まずまず好きなオフィスでした。

大企業では、仕事が細分化されていて、各自の持ち場は範囲が狭いです。
その間に「転職か!」と思うほどの大きな職種転換がありました。このnoteでは自分の職歴を整理をします。

(0)配属するまで

大学の紹介でSIerに入社。就職氷河期にたいした就活もせずに入社しました。いまだから言えることは、「そんな大企業だって知らなかった」です。当時は名古屋の支社だけを見ており、会う先輩方も地場で育って地場で就職した方ばかりだったので、東京の本社はイメージできておらず、全体の大きさを実感できていませんでした。いま思うと、恥ずかしいくらい何も考えていませんでした。

IT超ど素人が入社して研修。初めての東京生活、通勤電車、大都会に圧倒されました。とはいえ、研修は私にとって難易度が高すぎて、一生懸命やるしかなかったので、思えば東京をそんなに満喫しなかったように思います。

新人研修の最後に、当時お世話をしてくれた事務局の方から「そんなペースで仕事をしては、息切れをする。もたない。」と言われて実感がありませんでした。既にあの方は、私が仕事に全力投入するのをわかっていたのだと、いまさら感心しました。ですが、20年は持ちました。

(1)アプリケーションエンジニア

プログラマから、徐々にウォーターフォール型開発の上流工程として、アプリケーション(AP)の企画設計へ。一貫して業務寄りではなく技術寄り。Webアプリのアーキテクトなどもやったり開発と運用保守が一体の部署だったので、保守エンジニアとして日々の改善などにも携わりました。

やりたいホーダイの時代でした。当時は職場に女性が少なかったことを言ことに、だいぶ横柄でした...。勉強は好きだったし、もともとマニアックな性格も相まって、自分の範囲では技術では誰にも負けない と思ってました。仕事で活かすための学びの型を体得しました。また、人材育成・PMOと職種が変わっても使うことができる、IT・プロジェクトのベースを培いました。

(2)インフラエンジニア(挫折)

いろいろあったりなかったりを経て、事業所内で異動。アプリケーションからインフラ領域の部署に異動しました。インフラ領域の部署といっても、一部アプリケーション開発をする部署で、当時はWebアプリのフレームワークが「APインフラ」に分類されていたので、それほど違和感なく合流。

行けるじゃーんと思っていましたが、徐々にミドルウェア・OSとなってくると、全く歯が立ちませんでした。当時の上司はその事業所のインフラをすべてを担うような人。せっかくすごい人に師事したのに、申し訳なさ過ぎました。上司には「これから先、絶対にインフラだけはやるな」といただきました。
(退職に至る伏線がこの辺にも・・・)

(3)人材育成

エンジニア時代から、社内の研修に携わったご縁で、人事部に異動。人事では主に内定者~新入社員研修を担当しました。担当した新人は合計1,500人超、自分に残るビジネススキルのほとんどが、研修の企画設計・運用を通じて磨かれました。
いや、ほんとマジで一番いろんな人に叱られ怒られた時期でした。それは、人が物を作ることで利益を上げる当社グループにとって、新人はまさに「宝」であり「人財」です。さらに教育は全ての人に持論があるといわれている分野。叱られ怒られる中で、多くの方の価値観に触れました。

一番社外で学んだ時期でもありました。SE時代の自分の能力では全く歯が立たない仕事なうえに、自習できる気がしない。外から学ぼうと、目についたセミナーをどんどん受ける時期がありました。受講料は200万円を超えるくらいじゃないでしょうか。そこで得た知識・経験・人間関係は今でも自分を支えています。

(4)PMO

おそらく管理スタッフには向いてなかったのでしょう、管理スタッフの王道には入らず、現場に異動になりました。部署は(2)で「絶対にやるな」と言われたインフラ系。

PMOとは、日本PMO協会HPの説明がわかりやすいので参照します。

PMOとは"Project Management Office(*1)"の略です。日本語では「プロジェクトマネジメントオフィス」、「プログラムマネジメントオフィス」と一般的に呼ばれます。PMOは、組織内における個々のプロジェクトマネジメントの支援を横断的に行う部門や構造システムを言います。

プロジェクトを円滑に実行・組織全体で管理するために必要なルールの設定、設定したルールによる活動を実行するのが主な仕事。活動の実行は、人事の新入社員研修で培った事務局としての力、交渉力をフル活用。また、メンバーと会話するには、エンジニアとして養ったIT基本スキルに助けられました。今まで身に着けた力をすべて使うような業務でした。

その中で、プロジェクトにどっぷり入ってのPMO活動。それが、SIerでの最後の仕事となりました。

まとめ

APエンジニア⇒インフラエンジニア(挫折)⇒人事⇒PMO と全く違う職種を経験しました。「多くの職種がある」「未経験メンバを受け入れても傾かない」企業だったからこそできたことでした。

どんな仕事をしてきたの?と言われて一言では表せない経験をしました。そのため、何か1つの自慢できる得意なスキルはありません。1つのことをやり続けてきた人にはかないません。だからあえて言えば、総合力とどこでも使える問題解決力が身に着けたことでしょうか。

この記事が参加している募集

退職エントリ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?