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EVENT REPORT 「光明-Koumyou-」で対話型鑑賞×哲学対話

門前仲町にあるギャラリーFUKAGAWA GARAGEにて、tattooアーティストshakutenkoubouトモリさんの個展で対話型鑑賞×哲学対話を行いましたのでそのレポートをお伝えします。

今回の参加者はお二人で、会場内でお声かけしてご参加いただきました。
ありがとうございます。

対話型鑑賞の説明を簡単に済ませ、お二人にそれぞれ気になる作品を1つ挙げていていただき、選んだ理由を伺って対話型鑑賞スタートしました。

1作品めはこちら

選んだ方は「神社に行ったときのことを思い出した。よくわからない空気感がいいなって。でもなんでそんな気持ちになったのかはわからない」とのことでしたがみんなでみるとどうなるのでしょう?

「こないだ行った出雲大社に行ったと同じ気持ちになった」
「神聖でかつポジティブなイメージ」
「(出雲大社に対して)自分の想像を超えるもの。自分が生まれるずっとまえ。どういう歴史を刻んできたんだろう」
「だからトモリさんがなにを思って描いたのかわからない」
「神社の天井に描いてありそう」
「龍も想像の生き物」
「下地の深い緑に引き込まれそう」
「背景の薄緑は太陽のフレアみたいにみえてきた」
「輪の中に蓮の花が描いてある。蕾→開く→咲く→散る」
「真ん中の輪の周りにある青と緑のものはウイルスみたいな感じがする」
「どこまでわかって作者は描いているのかわからない」
「これはう◯こ?w → 大仏のシルエットじゃないの?」

最初は「わからない」だったけどその「わからない」にはポジティブで神聖なイメージがあることがわかりました。
また龍や蓮の花などのモチーフや細かいディテールにも注目して、鑑賞することができましたのではないでしょうか。


2作品めはこちら

『自在』

選んだ方は「この水色のところは氷山みたいにみえる。<自在>という字もいいな」とのことでしたがみんなで見たらどうなるのでしょう?

「氷山のように見えていたけど溶けて、なかに<自在>がなかに入っているような感じ」
「<自在>ってどういう意味? → 自由自在?自分がある?」
「<自在>という字が崩れてるから<自在>の逆の意味なんじゃない?」
「<自在>の在の最後の一本が踏ん張っているみたい」
「髪のセットしたあとにシャワーで洗い流した感じでかなり崩れている」
「ありのままではなくカッコつけていたのに水で落とされた?」
「どっちが見繕った形なんだろう?」
「<自在>自体がもともとかっこつけてる?」
「つくったものをまた壊す」
「自在の位置もおかしいよね → はみ出す寸前」
「なんでくっついているのか?」

文字という意味のあるものだったのであまり膨らまないかも?とちょっと不安になりましたが、そんなことまったくなく言葉がどんどんでてきました。<自在>という文字の意味、<自在>を取り囲む水色が一体何なのか、<自在>と水色の関係性や、<自在>がなぜその形になってったのかなど想像を膨らませることができました。



続いて『哲学対話』


今回は1作品めの鑑賞で出てきた「わからない」というキーワードをテーマに
「わからないことがわかるのはなぜ?」という問いで哲学対話スタート。

そもそも「わからない」ってどんな状態?
・わからないのはみるひとによって受け取り方は何通りもある
・自分の感情も作者の意図も「わからない」
・自分とその書いた人の意図があっているのか「わからない」

「わからない」のはよくない?
・わからないのがいいのかもしれない
・想像できるからわからなくていい
・自分の都合よく考えられる

自分の感情はわかるけど作者の意図はわからない
自分の気持ち/作者の意図の両方わからないパターン
・自分の気持ちはわかるけど作者の意図はわからないパターン
・二重構造になっている
・自分の解釈で完結できる

わからないものは神聖なもの
「わからない」は考えるのスタート
・考えるのきっかけ
・わかんなくなったらつまんなくなるかも?
・自分の感覚と作者の意図がリンクしないことが多い

わかんないがたのしい
作者との思惑と違うほうがいいけど本人に聞いてみることもある
・わかりたい、知りたいからギャップが生まれる
・わからなくていい 知らなくていい ギャップがあってもいい

30分と短い時間で、最初は「わからない」ことを考える戸惑いを感じつつもすこしずつ自分たちの実体験などから「わからない」を考えていくことができたのできました。

以上、EVENT REPORT 「光明-Koumyou-」で対話型鑑賞×哲学対話でした。
ご参加いただきましたみなさまありがとうございます。


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