旅という物語を紡ぎたくて
この1年、国内を旅しながら、何かが足りない、とずっと思っていた。
夏の九州を旅しながら、あるいは秋の東北を旅しながら、海外の旅にはあるはずの何かが足りない、と。
もちろん、国内の旅も素晴らしい。美しい風景もたくさんあるし、素敵な人との出会いも待っている。でもやはり、何かが足りないのだ。
刺激、だろうか。自由、だろうか。
それもある。けれど、もっと大事なものが、この1年の国内の旅には欠けていたような気がする。
なんだろう。10年あまり続けてきた海外の旅にはあって、この1年の国内の旅にはなかったもの……。
先日、沢木耕太郎さんの『深夜特急』を読み返していた。
仕事をすべて投げ出して、香港へと渡り、様々な人との出会いと別れを繰り返しながら、ロンドンを目指していく……。
そこにはひとつの、旅という物語があった。
そのとき、この1年の旅に欠けていたのは、「物語」だったのではないか、と思った。
自分にとって、人生の大切な記憶となるような、旅という名の物語。
思えば、10年あまり続けてきた海外の旅は、いつでも物語そのものだった。
初めて行った韓国への旅は、優しい人たちとの出会いを通じて、少しずつ韓国を好きになっていく、恋の物語だった。
ハリケーンに襲われたニューヨークの旅は、苦難を乗り越えることで感動に辿り着けた、ハッピーエンドの物語だったし、スペインとポルトガルを巡った旅は、生き方のヒントを教えてもらう、学びの物語だった。
でも、この1年の国内の旅には、物語がなかった。
いや、正確に言えば、なかったわけではない。あったけれど、薄かった。あったけれど、一生の宝物になるくらいの輝きがそこにはなかった。
それは、国内の旅だったからなのだろうか。海外の旅へ行けないから、物語が輝かなかったのだろうか。
そうではないような気がする。それは旅先の問題ではなく、自分の気持ちの問題だったような気がするのだ。
10年以上も前、夏の沖縄を旅したことがある。毎日のように汗を流しながら八重山の島々を巡ったその旅は、どこまでも青い海の記憶とともに、きらきらした物語として胸に大切に刻まれている。
その頃の僕には、なにより純粋な好奇心があった。「自由に沖縄を旅したいんだ」という気持ちのまま、一瞬一瞬を慈しむように旅を楽しんでいた。
けれど、この1年はそんな素直な気持ちで旅ができなかった。海外へ行けないから、「仕方なく」国内を旅していたように思える。そんな屈折した気持ちで旅をしても、物語が輝くはずはなかったのだ。
もっと素直な気持ちで旅をすればいいのかもしれない、とふと思う。目の前の風景と、あるいは出会った人と素直に向き合い、今しかないその瞬間を思いっきり楽しめばいいのかもしれない、と。
確かに今は、海外へ自由に行けないという大きな制限がある。でもその中で、今行ける場所へ、あの頃のような純粋な好奇心を持って向かえば、それはきっと、ひとつの旅という「物語」になり得るのではないか。
たぶん大切なのは、どこへ旅に出るかではなく、どんな気持ちで旅をするかなのだ……。
きっと、旅人の気持ちひとつで、旅は面白くもなるしつまらなくもなる。
旅という物語を美しく紡いでいけるのは、旅人の他にはいない。
だからこそ、人生の本棚にそっと仕舞っておけるような、そして誰かに語ってあげることができるような、そんな物語となる旅をしていきたい。
この春、また新しい気持ちで、旅という物語を紡いでいけたら、と思っている。
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