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カザン行き夜行列車からの手紙 ロシアワールドカップ旅日記7

僕はいま、シベリア鉄道に乗っています。

なんていうと、まるでウラジオストクからモスクワまで、ロシア横断の大旅行をしているように聞こえるかもしれません。そうではなく、僕が乗っているのはシベリア鉄道の一部、エカテリンブルクという街からカザンという街へ至る区間なのです。

とはいえ、700kmあまり、15時間もの道のりなのですから、大旅行と言ってもいいのでしょう。日本ではこれだけ長く、ひとつの列車に乗る機会はそうないのですから。

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いま、時刻は10時過ぎ。西へ西へと列車は走り続け、ようやくあと1時間ほどで、目的地のカザンに到着します。

窓の外には、ロシアの美しい丘陵地帯が広がっています。途中に通りかかった小さな村では、農家の人の運搬手段として、なんと馬がいまも使われていました。ここは21世紀の世界なのかと、疑ってみたくなります。

ガタンゴトンという揺れとともに、少し開いた窓からは、初夏の風が部屋に吹き込んできます。2段ベッドの上段に寝そべりながら、この手紙を書いていると、その風の心地よさに、思わずウトウトしてしまいそうになります。

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それにしても、昨夜は面白いことが連続して起きました。

エカテリンブルクの駅で、予定していた列車に乗り遅れ、ようやく次の列車に乗れたのが4時間後。列車が出発すると、すぐに日は暮れ、窓の外は闇に包まれました。

僕の部屋は、2段ベッドが2台ある、4人部屋でした。チケットを見ると、僕の寝台は下段。僕は寝相が悪いので、上段ではないことにホッとしました。これでゆっくり安心して寝られる、と。

ところが、です。

僕と同じ部屋の乗客は、ロシア人の家族でした。50代くらいの夫婦と、30代くらいの息子。僕が部屋に入ると、みんな握手を求めてきました。

「どこまで行くの?」

そう聞くと、お父さんはこう答えました。

「ヤナウル」

聞いたことのない街の名前です。どうやら、そのヤナウルという田舎町へ、家族で帰るところのようでした。

僕も彼らに、質問攻めにあいました。

どこの国から来たのか、これからどこへ行くのか、学生なのか、何歳か、結婚はしているか……。もちろんロシア語なので、スマホの翻訳アプリを使って、「会話」をしたのです。

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一通り答え終わると、別の部屋から娘さんもやってきて、ウォッカの酒瓶を出しました。そして、みんなで夜の酒盛りが始まったのです。

「お前も呑め」

お父さんが言うので、ウォッカを一口頂くと、これがすごく強い。喉がカッと焼けるような、熱さを感じるお酒です。すると、お父さんが怒ります。

「そうじゃない。一気に全部呑むんだ」

コップに入れたウォッカを一気に呑め、と言うのです。僕は頑張って、一気にウォッカを喉の奥に流し入れました。

これで一安心、と思いきや、家族で順番に回し呑みしたあと、再び僕に言います。

「お前の番だ。呑め」

このローテーションが何度くり返されたことでしょう。拒否するとお父さんが怒るので、僕は頑張って呑み続け、最後には顔が赤くなるほどになってしまいました。

エカテリンブルクの駅で買っておいたミネラルウォーターを飲もうとすると、なぜか空になっています。どうやら、お父さんが勝手に飲んでしまったようなのです。これには思わず苦笑いをしてしまいました。

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やがて0時を過ぎ、ウォッカの酒瓶もからっぽになり、家族も眠くなってきたようです。それぞれが布団に入ったので、僕も寝ることにしました。

ところが、僕のベッドであるはずの下段に、なぜかお母さんが寝ています。

「ここは僕のベッドなのですが……」

身振り手振りでそう示すと、お母さんも負けじと、手を振り回して主張します。

「あなたは上のベッドで寝なさい」

そう言うと、お母さんはさっさと下段のベッドで寝てしまいました。

やれやれ。村上春樹ではないけれど、思わずそんな言葉を呟きたくもなります。

仕方なく上段のベッドへ上がり、僕はそこで寝ました。もちろん柵はあるのですが、なんとなく不安定な気がして、ちょっと怖かったりもしました。

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5時を過ぎた頃、大きな荷物を動かすうるさい音で、目が覚めました。窓の外には、薄い朝焼けの空。どうやら、家族の暮らす町、ヤナウルに到着するようです。

「荷物を一緒に運んでくれる?」

お母さんに言われ、何が入ってるのか見当もつかない大荷物を、ヤナウルの駅のホームまで運びました。

ヤナウルは、とても小さな田舎町のようでした。たぶん、ロシアにはこんな田舎町が、無数に存在するのでしょう。

「さようなら」

僕が言うと、家族も手を振りながら言いました。

「さようなら」

朝の霞の向こうに消えていく家族の姿を見ていると、ふと寂しさが込み上げてくるのを感じました。きっともう、あの家族に出会うことは永遠にないのだろうな、と。

ちょっと自分勝手な家族だったけれど、気づけば僕も、彼らに仲間意識を抱いていたようなのです。僕に何度もウォッカを勧めてくれたのも、彼らなりのおもてなしだったのだと、そのとき気づけたのかもしれません。

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でも、と思うのです。

そもそも、僕がエカテリンブルクで最初の列車に乗り遅れていなければ、あの家族に出会うことはなかったはずだと。列車に乗り遅れたおかげで、あの家族と出会い、ウォッカを呑み交わすことができたのです。

一生出会うことはなかったはずの家族と、偶然出会うことができた。それはなんだか、旅の不思議に満ちた、美しい出来事のように思うのです……。

ちょっと感傷的になってしまいました。

あと30分ほどで、カザンに着くようです。窓の外には相変わらず、水色の空と、緑の森、そして丘が広がっています。

カザンという街も、エカテリンブルクのように、美しい街だといいのですが……。

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旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!