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エカテリンブルクの天使 ロシアワールドカップ旅日記6

6月25日(月)エカテリンブルク→(カザン)

夜行列車に乗り遅れてしまったのは、どこかに油断があったのかもしれない。ここまで旅が順調にきていたので、気持ちが緩んでいた気もするのだ。

この日、のんびりと朝食を終えて、ホテルを出たのは11時過ぎ。カザン行きの夜行列車は18時17分発なので、それまではエカテリンブルクの街を散策することにした。

エカテリンブルクは、やはり絵に描いたように美しい街だった。スカイブルーの外壁が美しい小さな聖堂に、金色のドームが輝く血の上の聖堂……。露店で買ったアイスクリームを食べながら、街の真ん中にある湖を眺めているだけで、気持ちがゆったりと解れてくる。

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街のトラムに乗ったときは、ちょっと嬉しい出来事もあった。車掌さんに運賃を払おうとしたのだが、コインが1ルーブル足りない。どうしようかと困惑していると、後ろの席にいたロシアの女性が、さっと1ルーブルを手渡してくれた。

「どうぞ」

「……いいんですか?」

「いいわよ」

「……ありがとう」

スパシーバ、とお礼を言って、僕はその1ルーブルを車掌さんに渡した。

1ルーブルといえば、わずか2円ほどに過ぎない。けれど、その1ルーブルのプレゼントには、女性の優しさがそっと込められているような気がした。

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17時を過ぎたので、そろそろエカテリンブルクの駅へ向かうため、タクシーを呼ぶことにした。

「ヤンデックスタクシー」という、ウーバーのロシア版みたいなアプリで、タクシーを呼んだ。しかし、である。アプリのリアルタイム地図で見ていると、呼んだはずのタクシーが、途中で事故だか渋滞だかに巻き込まれたらしく、ストップしてしまっている。

10分経っても、20分経っても、タクシーはやってこない。仕方ないので、街を走るタクシーを止めようとするが、なかなか停まってくれるタクシーに出会えない。

ようやくタクシーが停まり、エカテリンブルクの駅へ急いでもらうが、やはり渋滞に巻き込まれ、なかなか駅に着かない。

やっとの思いで駅に着いたのは、夜行列車が出発する5分前。走って駅へと向かうが、荷物検査があったり、駅の入り口が遠かったりで、構内に入ったときにはすでに夜行列車が出発したあとだった。

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カザン行きの列車に乗り遅れてしまった!

どうしよう。僕がどうしていいかわからずに、呆然と運行案内板を眺めていると、突然声を掛けられた。

「タクシー?」

振り向くと、そこにいたのは老齢の男だった。どうやら、「タクシーで行かないか?」と勧誘しているらしい。

冗談じゃない、と思った。エカテリンブルクからカザンなんて、夜行列車で15時間もかかる距離なのだ。タクシーでなんて行けるわけがない。

「結構です」

僕が強い口調で言って歩き去ると、タクシー男はまだついてきて、ロシア語でしつこくまくし立てる。何を言っているのかはよくわからないが、どうにかして僕をタクシーに乗せたいらしい。

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どうしていいかわからずに、タクシー男に追いかけられながら、駅の構内を歩き回っているときだった。

「どうかしましたか?」

再び声を掛けられて振り向くと、そこにいたのは、ワールドカップのボランティアの女の子だった。大学生だろうか、エマ・ワトソンを少し幼くしたような、ハッとするほどの美少女だった。

「夜行列車に乗り遅れてしまって……」

僕が拙い英語で説明すると、女の子は流暢な英語で言った。

「では、一緒に窓口へ行きましょう」

女の子に連れられて駅の窓口へ向かうと、なぜかタクシー男も一緒についてきて、まだ何かをまくし立てる。カザンまでタクシーで行けるわけがないのに、この男は何を言っているのだろう。

すると、痺れを切らしたらしい女の子が、タクシー男に強い口調で何かを言った。それを聞いたタクシー男は、しゅんっ……とした顔つきになり、すまなかったというポーズをして歩き去っていった。どうやら、女の子がタクシー男を撃退してくれたらしい。

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30分以上も待ってから順番が来ると、女の子が窓口の女性に熱心に説明してくれた。女の子によると、乗り遅れた夜行列車のチケットは半額しか払戻しされないが、22時33分発の夜行列車のチケットを取ることができるという。僕はそれで了解し、女の子はチケットの払戻しと新たなチケットの購入をしてくれた。

「本当にありがとう」

僕は何度もお礼を言った。もしも女の子が現れなかったら、僕はいつまでもタクシー男に追いかけられて、どうしていいかわからなかったことだろう。まさに、10歳以上も年下の女の子に、助けてもらうことになったのだ。

「どういたしまして」

女の子は、可憐な笑顔を残して去っていった。

ところが、である。この話、実はまだここで終わらないのだ。

新たな夜行列車の出発まで3時間近くもあるので、僕は広々とした待合室にあるテレビで、ウルグアイvsロシア戦を観ながら過ごした。

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ロシアが0-3で完敗し、待合室の人々の間にも暗い雰囲気が漂う中、今度は駅構内のスタローバヤへ入り、夕食をとった。出発まで30分以上もあるので、まだ大丈夫だろう。

……と、そのときだった。再び僕の前に、あの女の子が現れたのだ。

「もうそろそろ行かないと!」

まだ食事が少し残っていたけれど、僕は女の子に引っ張られるようにして、駅のホームへと向かった。どうやらロシアの鉄道では、出発の30分くらい前にはホームへ行くのが当たり前らしい。

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果てしなく長いホームに着くと、女の子は僕のチケットを手に、列車の中へと入り、部屋まで案内してくれた。

「ここがあなたの部屋よ」

正直、僕はびっくりした。まさかロシアのボランティアの女の子が、ここまで親切にしてくれるとは思ってもみなかったから。

「本当にありがとう」

僕はまた同じ言葉をくり返し、女の子は可愛さがさらにアップした笑顔を見せて、去っていった。

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それにしても、どうしてあの女の子は、僕がまだホームへ向かっていないことに気づいたのだろう。もしかしたら、チケットを購入した後も、どこか頼りなさげな僕のことを、気にかけてくれていたのだろうか……。

なんだか、まるで天使みたいだったな、と思った。そう、僕はたぶん、エカテリンブルクの天使に出会ったのだ。

走り出した列車に揺られ、窓の外の街並みを見つめながら、僕は胸の内で何度も呟いていた。本当にありがとう、と。

旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!