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もう会えないから、忘れられない。旅で得た「心の財産」

以前どこかで、海外ひとり旅の魅力を紹介する記事の中に、こんな一項を見たことがあった。

「世界中に友達ができる」

それを見たとき、そんな魅力が海外ひとり旅にはあったのか、とびっくりした。

というのも、自慢ではないけれど、今まで30ヶ国ほど旅してきたはずの僕は、旅先で友達ができたことなんて、ただの一度もないからだ。

少なくとも、帰ってきてから再会したり、たびたび連絡を取り合ったりするような人は、日本人も外国人も、まったく一人もいない。

もちろん、旅での人との出会いが嫌いなわけではない。

いや、むしろ、思いがけない人との出会いこそ、海外ひとり旅の最高の魅力だと思っている。

でも、僕はどこかで、こんなふうに考えているのだ。

旅での人との出会いは、そこから何かが始まるのではなく、何かが終わっていくからこそ、忘れられないものになるのではないか、と。

出会って、別れる。ハロー、グッドバイ。

そんなシンプルな出会いが好きなんだと気づいたのは、この秋のウズベキスタンの旅だった。

朝から夜まで、11時間に及ぶ長い移動だった。

ウズベキスタンの西部にあるヒヴァから、「青の都」として有名なサマルカンドまで。9時過ぎに発った寝台列車がサマルカンドに着くのは、なんと20時過ぎだった。

短期の旅なのに、丸1日列車に揺られているだけなんて、少しもったいないかな、と思わないでもなかった。

でも、人生のたった1日くらい、ただ列車に揺られるだけで終わる1日もあっていいのではないか……。

そう思った僕は、夜行ではなく、あえて日中に走るこの列車に乗ることにしたのだ。

僕の寝台は、4号車の23番だった。行ってみると、2段の寝台が向かい合った4人部屋で、23番は右下の寝台だった。

列車がヒヴァを出発しても、部屋には誰もやってこない。寂しさと気楽さを同時に感じていると、30分後に着いたウルゲンチの駅で、初めて同室の客が乗ってきた。

向かいの寝台に座った30代の彼は、僕と同じサマルカンドまで行くという。今はウルゲンチに住んでいるが、生まれはロシアのカザンらしい。

僕は驚いた。カザンといえば、5年前にサッカーワールドカップの観戦で訪れた町だったからだ。

スマホで写真を見せながら、カザンを旅した経験があることを伝えた。意外にも、彼はびっくりするでもなく、ごく当たり前のことのように喜んでくれた。

あるいは、このウズベキスタンを走る列車では、旅の偶然なんてそんなものなのかもしれなかった。

それでも、彼は僕に親近感を抱いてくれたのか、部屋を出て温かいコーヒーを淹れてきてくれたり、持ってきたパンやお菓子を分けてくれたりした。

「ここに広がるのは綿花の畑なんだ」

「今渡っているのがアムダリヤ川だ」

車窓を流れる風景を、僕にもわかる簡単な英語で説明してくれる。

僕は不思議な気持ちになった。

この日の、この列車の、この車両の、この部屋だったからこそ、彼とこうして出会うことができた……。もしも、何かがひとつでも違っていたら、彼と会話することなんてなかっただろう。たぶん、永遠に。

やがて、ハザラスプという小さな駅に着くと、上の寝台の2人が乗ってきた。

まだ若い彼らは、東部のアンディジャンという町の大学で、経済学を学んでいる学生だった。

家族でアンディジャンまで帰るらしく、たまに隣の部屋から、年の離れた弟と妹が遊びにきたりもした。彼らはその度に、抱っこしながらキスしてあげたり、不思議なおもちゃで遊んであげたりして、弟と妹思いのお兄ちゃんのようだった。

印象的だったのは、彼らにこんな質問をされたときだった。

「日本のどこに住んでいるんですか?」

神奈川県に住んでいる僕は、こんなときいつも、「横浜」と答えている。

「海が美しい港町だよ」

すると、彼らはふっと目を輝かせて、感嘆した。

「それは素晴らしいね……」

もしかしたら、海のないウズベキスタンの若者たちには、海への一種の憧憬があるのかもしれなかった。

車窓には、砂の海、とでも形容すべき、真っ赤な砂漠の風景が流れていく。「赤い砂」を意味するキジルクム砂漠らしかった。

初めのうちは見慣れない砂漠の風景に感激していた僕も、気づけばその単調さに飽きてきた。スマホも圏外になり、もはやできることといえば、ひたすら砂漠を眺めるか、寝台でごろんと横になるかだ。

寝台の上に横になると、あまりに心地良い揺れに、思わずウトウトとしてしまう。

しばらく寝て、また目を覚ますと、見上げた枕元の窓を、どこまでも澄み切ったウズベキスタンの青空が流れていて、こんな幸せはないかもしれないな、と思ったりもした。

何もすることはないけれど、いや、何もすることがないからこそ、ただの贅沢な時間がそこにあった。

いつしか砂漠を抜けて、山々や緑の大地が広がる頃には、夕暮れどきを迎えていた。

観光したわけでもなく、美味しいものを食べたわけでもない1日なのに、充足感で満たされているのが不思議だった。

それは、カザンの彼と、アンディジャンの彼らという、同じ部屋で偶然1日を過ごすことになった、3人のおかげだったかもしれない。

ウズベキスタンへ旅に出て、この列車に乗らなければ、一生出会うことはなかっただろう3人と、ただ長い1日を過ごすことになった。

その列車の旅が、僕にじんわりと幸福感を与えてくれたようだった。

やがて外が暗くなり、もうすぐサマルカンドに着くという頃、アンディジャンの大学生2人が、手に果物を持ってきた。

「これを持っていってください」

リンゴにブドウ、そしてナシ。秋のウズベキスタンの、新鮮な果物だった。

思わずグッと込み上げてくるものを堪えながら、その美しい果物を僕は受け取った。

列車がサマルカンドの駅に着くと、僕とカザンの彼はホームに降りた。アンディジャンの2人も、見送りにホームへ出てきてくれた。

カザンの彼とも、アンディジャンの彼らとも、もうここでお別れだった。

不意に寂しさに包まれた僕は、3人に提案した。

「最後にみんなで写真を撮りませんか」

ホームを通りかかった乗客にスマホを渡し、4人で並んで、写真を撮ってもらった。

今朝出会ったばかりなのに、ずっと長く一緒に旅してきた仲間のように感じられて仕方なかった。

僕は3人と握手をしながら、こう言った。

「ありがとう」

そして、最後に付け加えた。

「さようなら」

アンディジャンの彼らとホームで別れ、カザンの彼と駅前で別れた。

とくに連絡先は交換しなかった。だから、アンディジャンの彼らとも、カザンの彼とも、もう2度と会うことはないだろう。

それはちょっと、寂しいような気もする。

でも、と思った。

人生で2度と会うことはなかったとしても、人生のたった1日、彼らと、彼と、こうして出会えたことは、ずっと忘れることはないだろうな、と。

サマルカンドの駅前で、僕は果物の入った袋を手に、しばらく佇んでいた。

思わず振り返ると、その暗い駅前には、アンディジャンの彼らはもちろん、カザンの彼も、どこを探してもいなかった。

たぶん、僕が海外ひとり旅で好きなのは、こんな人との出会いなんだと思う。

出会えたことの喜びと、別れることの切なさ。

コインの表と裏のような、その両面があるからこそ、旅での人との出会いに心惹かれてしまうのだ。

見知らぬ異国で、人生のほんの一瞬、誰かと出会い、別れていく。

その一瞬の交錯に、旅の神秘がある。

僕は30ヶ国を旅しても、友達なんて一人もできなかった。

でも、心の中には、今も忘れることのできない人との出会いがいっぱいある。

一緒に笑い合った人、思いがけず乾杯した人、困ったときに助けてくれた人……。

もう出会えないからこそ、忘れられない。

その記憶こそ、30ヶ国を旅して得た、何物にも代えることのできない、最高の心の財産なんだと思っている。

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