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神様がくれたラストシーン ロシアワールドカップ旅日記18

7月3日(火)ロストフ・ナ・ドヌ→モスクワ

列車を降りると、モスクワの気温の低さにびっくりした。ほんの少し離れていただけなのに、夕暮れのモスクワは春に逆戻りしたみたいな寒さだった。

あとはもう、観る試合もなければ、移動すべき都市もなかった。明日の昼には、このロシアを発つのだ。

僕の足は自然と、赤の広場へ向かっていった。この旅は、赤の広場を訪れることから始まった。だから同じ場所で、旅の終わりを迎えたかったのだ。

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その途中、日本のユニフォームを着た僕の姿を見て、ロシアの人や各国のサポーターが声を掛けてきた。

「昨日のベルギーとの試合、素晴らしかったね!」

「日本の戦いぶりに感動したよ!」

こんな言葉を掛けられるのは、この旅で初めてのことだった。日本は負けたけれど、それだけ記憶に残る試合をしたのかもしれない。

赤の広場へ着くと、僕は不思議な気持ちになった。

この美しい広場から旅を始めたのは、わずか10日前のことだった。でもなぜだか、それがはるか遠い昔のように思える。あれは本当に、たった10日前のことだったのだろうか……。

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ワールドカップの公式ショップでお土産を買ったあと、赤の広場へ戻ると、すっかり夜になっていた。

すると、ボイスレコーダーを手にした若い男性と女性に声を掛けられた。

「ロシアのラジオ局です。少しインタビューをさせてもらってもいいですか?」

日本語で答えて、あとでロシア語に訳して放送するという。僕はインタビューに答えることにした。

「どこの国から来ましたか?」

「日本からです」

「何日間の旅ですか?」

「10日間ほど」

「どこの都市へ行きましたか?」

「モスクワとエカテリンブルク、カザン、ヴォルゴグラード、ロストフ・ナ・ドヌへ」

「ロシア語で知っている言葉はありますか?」

「スパシーバ!(ありがとう!)」

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そして彼らは最後に、こんな質問をした。

「ロシアのどんなところが好きですか?」

僕は少し考えてから、こう答えた。

「ロシアの『人』が好きです。ロシアの人はとても優しくて、ボランティアの人や現地の人たちに助けられながら、ここまで旅をしてきました。本当に感謝しています」

そしてもう1度、「スパシーバ」と言った。

本当にそうだったのだ。この旅では、ロシアの優しい人々との出会いがたくさんあった。

エカテリンブルクで夜行列車に乗り遅れた僕を、最後までサポートしてくれた女の子。その夜行列車の中で、ウォッカを何杯もご馳走してくれた家族。ヴォルゴグラードでひとり悩む僕を、真剣に心配してくれた母娘……。

彼らが助けてくれたから、僕はこのモスクワへ無事に戻ってくることができたのだ。

ラジオ局の2人はその答えを聞くと、嬉しそうな表情で帰っていった。

はたしてそのラジオを、どれほどのロシア人が聴くのかはわからない。けれど、僕の素直な思いが、1人でも多くロシアの人々に届いてくれたら、こんなに嬉しいことはない。

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最後に自分の思いを伝えられてよかった。そう満足しながら、ライトアップされた赤の広場を歩いているときだった。

2人の若い女の子に声を掛けられた。日本人である僕が珍しいらしく、一緒に写真を撮ってほしいとのことだった。

どちらもロシアらしい、顔立ちの美しい女の子だった。ひとりは黒髪、ひとりは金髪で、その長い髪がモスクワの夜風にそよいでいた。

写真を撮り終えて、別れようとしたときだ。

金髪の方の女の子が、僕の肩にそっと手を置いた。そして何を思ったのか、僕の右の頬に、キスをした。

唐突なキスにびっくりしていると、金髪の女の子はあどけない笑顔を残して、黒髪の女の子とともに、手を振って去っていった。

思わず周囲を見回したが、幸いにも日本人の姿はないようだった。こんなところを他の日本人に見られたら、どんな誤解をされるかわからない。

ロシアでは、女の子に突然キスされるのは、よくあることなのだろうか? しかし、そんな話はあまり聞いたことがない。

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グム百貨店の煌めきに照らされながら、僕はいまの出来事を、ゆっくりと反芻してみた。

声を掛けてきた女の子。さりげないキス。そして別れ……。

そのとき、もしかしたら、と思った。

あるいはそれは、旅の神様がくれた、この旅のラストシーンだったのかもしれない、と。

ついさっき、僕はラジオのインタビューで、ロシアの人々への感謝を口にした。それがきっと、この旅をずっと見守ってくれた、旅の神様に伝わったのだ。

この旅は本当に、不思議なドラマの連続だった。だとすれば、最後にもうひとつくらい、不思議なことが起きてもおかしくはない。

きっとあれは、ロシアという国に、いやロシアの人々に、小さな「恋」をしてしまった自分への、ささやかな別れのキスだったのだ……。

旅は終わったんだ、と思った。たぶん、あの瞬間、旅はラストシーンを迎えたのだ。静かに、でも確かに。

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夜の赤の広場には、まるでどこかのテーマパークみたいに、きらきらした光が溢れていた。でもきっと、どれだけ待っていても、もうドラマが起きることはないだろう。

モスクワの夜空の下、広場の出口へ向かって歩きながら、僕は心の中で呟いていた。

ありがとう。

そして、さようなら、と。


*** 完 ***


「ロシアワールドカップ旅日記」を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました!

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