見出し画像

そこは最高の展望台。飛行機の窓から見た、忘れられない「5つの風景」

海外へ旅に出るとして、航空券を買うとき、ふっと迷うことがある。

窓側の席にしようか、通路側の席にしようか……?

快適さを重視するなら、通路側の方がいいのかもしれない。開放感があるし、自由に席を立てる。とくに長距離の国際線なら、通路側に座るメリットは大きい。

それをわかっているのに、僕はいつも、窓側の席を選ぶ。

その理由は単純で、飛行機の窓から外の風景を眺めるのが好きだからだ。

いや、もうちょっと正確に言えば、窓の外の風景を眺めながら、心が揺れ動いていくのが好きなのだ。そしてそれこそが、機内で過ごす時間に彩りをくれる、大切な「旅」のワンシーンになっている……。

香港

画像1

飛行機の窓の外に、初めて香港の街並みが見えた感動は、今も忘れられない。

それは2度目の海外一人旅で、まだ旅慣れていない頃だった。羽田から飛行機に乗ったときも、どこか不安に包まれていた。

4時間あまりのフライトを経て、やがて窓の向こうに、香港の街並みが広がった。

『深夜特急』を読み耽った僕にとって、香港は憧れの街だった。そのためだろうか、翡翠色をしたヴィクトリア・ハーバーも、香港島や九龍の高層ビル群も、すべてが不思議と輝いて見えた。

摩天楼のような街並みを眺めているうちに、不安よりも、期待が高まりつつあるのを感じた。

夢にまで見たこの香港で、どんな旅が始まっていくんだろう。そして、どんな出会いが待ってるんだろう。

窓の向こうに広がる香港には、旅の無限の可能性が秘められている気がした……。

旅が始まるワクワク感を胸に、これから旅する街を見つめる。そんな窓側の席の「特権」に気づいたのは、まさにその瞬間だった。

ブラジル・サンパウロ

画像2

飛行機の窓から見た風景で、最も印象に残っているのはどこか。

そう聞かれたら、きっと迷うことなく、ブラジルのサンパウロと答える。

それは夜のフライトで、もうすぐサンパウロの空港へ着く頃だった。

ふと窓の外を見て、思わず息を呑んだ。まるでオレンジの宝石を敷き詰めたみたいに、どこまでも光り輝く街並みが広がっていたからだ。

網の目のような街路が眩しく煌めき、それが幾重にも重なるように、果てしない「光の街」を生み出している。この街が大都会であることを象徴する、美しい夜景だった。

でも、やがてサンパウロに降り立った僕は、不思議な気持ちに包まれることになる。そこにあったのは、眩しくもなければ煌めきもない、とても暗い街だったからだ。

どこか危険な香りのする夜の街を歩きながら、夢を思い返すような気分で、何度も思った。

こんなにも暗い街なのに、空から見た夜のサンパウロは、どうしてあんなに光り輝いていたんだろう、と。

ギリシャ・ペロポネソス半島

画像3

飛行機の窓側の席は、ときに人生の儚さを教えてくれる。

UAEのアブダビから、イタリアのローマへ行くフライトに乗ったときのことだ。

エーゲ海を越えると、眼下にギリシャのペロポネソス半島が広がった。山間のところどころに、小さな町が見える。観光地でもなんでもない、静かな町のようだった。

その美しい風景を見つめながら、心の小さな痛みとともに、ふっと思った。

たぶん、あのギリシャの町を僕が訪れることは、永遠にないのだろうな、と。

もちろん、ギリシャを訪れることは、いつかあるかもしれない。でも、眼下に今見えている、名前も知らないギリシャの町を訪れることは、たぶん人生で永遠にない。

手が届くような距離に見えているのに、人生で訪れることのない町。きっと世界には、そんな町が無数に存在するのだろう。

人生の儚さと、儚いからこその静かな煌めき。飛行機の窓の向こうには、それに気づかせてくれる風景が、ときに現れる。

韓国・ソウル

画像5

行きに乗る飛行機に比べると、帰りに乗る飛行機は、窓側の席に座るメリットが小さいかもしれない。旅立ちのドキドキ感はないし、長旅の疲れで寝てしまうことも多いからだ。

それでも僕は、帰りの飛行機で窓側に座る。旅した国へ、「別れの挨拶」がしたいからだ。

もしも通路側を選ぶなら、飛行機に乗り込んだ瞬間、旅した国とは別れてしまうことになる。もう自分の目で、その国を見ることはできないはずだから。

でも窓側の席なら、飛行機に乗り込んで、空港を飛び立って、やがて雲の向こうへ消えていくまで、旅した国を眺められる。

たとえば韓国のソウルだったら、山々に囲まれた街並みと流れる漢江を眺めながら、心の中でそっと呟く……。

ありがとう。そして、また来るね、と。

たったそれだけのために、僕は帰りの飛行機で窓側に座る。

信じているからだ。挨拶をして別れれば、きっとまたすぐに、その国へ戻ってこられるということを。

ロシア・ヴォルガ川

画像5

ロシアのカザンから、ヴォルゴグラードへと飛行機は飛び立った。あるいはそれは、サッカーワールドカップの観戦という目的がなかったら、一生乗ることのない路線だったかもしれない。

やがて緑の大地の向こうに、一筋の大河が見えてきた。

信じられないくらいに川幅が広く、時が止まったみたいに穏やかな流れ。それは「ロシアの母なる川」と呼ばれる、ヴォルガ川だった。

窓の外を夢中で見つめながら、子供の頃から何も変わってない自分の姿に、ふと気づいた。

家族旅行で飛行機や新幹線に乗ると、いつも目を輝かせながら、窓の向こうを眺めていた。そんな子供の頃の自分と、ロシアの風景を見つめている自分は、たぶん何も変わってない。

旅で人は変わるというけれど、人は変わらないことに気づかせてくれるのも、また旅なのだ。

でも、それでいい。変わる素晴らしさがあるように、変わらない素晴らしさもある。

雄大なロシアの風景を見つめていると、その窓に映った自分の姿に、子供の頃の自分が透けて見える気がした。

そこはきっと、最高の展望台

画像6

海外へ行く飛行機に乗ると、いつも窓側の席に座る。それは確かに、いいことばかりではない。

自由にトイレへ行けなくて困ることもあれば、あまりの窮屈さにうんざりすることもある。

それでも窓側の席を選んでしまうのは、窓の向こうを見つめていれば、ときに心を揺れ動かしてくれる、「旅の風景」に出会えるからだ。

……もしかしたら、僕は信じているのかもしれない。

飛行機の窓側の席こそ、その向こうに世界中の風景が広がる、最高の展望台なのだ、と。

旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!