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差別をする

文字数:3147字

まえがき

 私は1989年に自分の留学体験記ともいえる本を自費出版した。その本の中でアメリカでの人種差別についての項目を設けた。差別の心は潜在的な存在であることもあれば、悪意に満ちた場合もある。そのどちらも人の心を傷つける。
 私の処女作ともなったその本から一部を抜粋してみる。 (103頁~108頁)
注:『   』の中が引用部分

『ネイティヴ・サン』(リチャード・ライト著)

 『その日の題材は、リチャード・ライトという黒人作家の『ネイティヴ・サン』という400ページほどのペーパーバックだった。
 主人公のビガー・トマスは、二十歳の黒人で貧しい。金持ちの白人のお抱え運転手として働くうちに、白人の金持ちと、自分たちの生活のギャップのあまりの大きさに驚く。初仕事で、雇い主の娘を大学に送るが、彼女は大学へは行かず、酒に酔いつぶれてしまう。それがもとで誤解を恐れたビガーは、この娘を殺してしまう。彼は逃亡するが、その途中、自分の身を守るために、自分の恋人をも殺してしまう。
 結局捕まるが、裁判で彼は、死刑の宣告を受ける。その過程で、ビガーは、自分の家族が社会的に追い込まれていることを知る。弁護士は、この事件は、白人社会の黒人社会への差別が遠因にあると、陳述する。そして、ビガーの雇い主の虚偽を暴くことによって、情状酌量を得ようとする』

突然ゴングが・・・

 私は予習をしながら、これは凄いと思った。アメリカの恥部を見事にえぐり取っている。しかし、1940年の作品であるから、今とは違う。クラスメイトは、きっと冷静に読んでいるのだろう。唯一の黒人のクラスメイトも、ビガーの時代のように、黒人用の席という屈辱を味わうことは今は皆無のはずだ
 「あんたたち、白人のせいよ」
 黒人女性がいきなり始めた。
 「あんたたちは、平気で私たち黒人を踏みにじってきたのよ」
 「違うわ。ビガーは貧乏だったから卑屈になっていたのよ。きちんと話せば誤解なんかされなかったはずよ」
 とオバチャン。 (注)オバチャンについてはトマトのオバチャンとして登場済み。60才のクラスメイト:「留学中の事件の数々 1」「トマトのオバチャン」というタイトルで言及。また「留学ってきつい、楽しい その2」でも同じタイトルで言及。
 「だから、あんたたち白人はダメなのよ。どうして貧乏なのよ。どうして誤解されたくなかったのよ。ビガーが黒人だったからよ。話したって、白人は貧乏な黒人の話なんか信用しやしないのよ」
 私はまるで、先生に叱られる生徒だ。顔を上げることもできない。彼女の凄まじさに、教室にいることもはばかられる気になっている。
 「でも、この作品は40年も前に書かれた物よ。今とは全然違うわ」
 もう一人の白人。私はそっと教授の顔を覗く。真剣な顔つき。黙って成り行きを見守っている。
 「冗談じゃないわよ。私の子供時代は、ビガーと同じよ。兄弟が多くて、アパートに家族が身を寄せ合って・・・・・・。働いても働いても生活は楽にならなくて・・・・。私が大学に来たのも、貧乏から抜け出すため。大学に来れるだけ私はましよ。私が白人だったら、こんな目にはあっていないはずよ」
 クラスはしーんとなっている。
 彼女は一番後ろの席に座っている。よく見えなかったが、私には、彼女が涙を流しているように思えた。それでも彼女は決して下を向かない。裸になっても、プライドが彼女をそうさせているのだ。教授を、オバチャンを、他の白人学生を見ながら話す。ついに私とは、その時間中、目を合わすことはなかった。           
   (注) 「裸」という表現については本の数頁前に言及済み

トマトのオバチャン

 トマトのオバチャンは、いつものように私の斜め前に座っている。彼女は、うしろで白人社会を訴える女性ビガーをじっと見ている。眉間に寄せた皺がいつもより深く、印象深い。今もその皺が、私の脳裏に刻み込まれている。手でつかみだせるほどだ。その目は、明らかに憂いに満ちている。オバチャンには悪いが、白人が気の毒な黒人を憂えるそれだ。
 「あんたたち白人が、私たちをアフリカから、船倉にぶち込んで連行してきたからいけないのよ。自分たちが楽するため、金儲けをするために連れてきたのが、間違いの元よ。楽をしたければ、金儲けをしたければ、自分でやんなさいよ。あんたたちは、金で人を買ったのよ。家族から無理やり引き離して、奴隷にするなんて最低よ」
 ・・・・・・・・。・・・・・・・・。
 息をするのも大変だ。その音を睨みつけられそうだ。私は、一人一人の顔を目で追う。白人のどの目も、何とも言えない複雑な目になっている。
 「そんなに言うんなら、あんたたち黒人がアフリカに帰んなさいよ。私があんたをアフリカから連れて来たんじゃないわ」
 今まで一言も口を開かなかった人だ。彼女も私と同じ寮に住んでいる。彼女は絶叫した。更に重苦しい沈黙が教室をおおう。身体が凍ってしまったのか、身動き一つする者はいない。トマトのオバチャンの眉間の皺は、確実に深さを増している。憂いの目は、更に憂いを増し加える。来るべきところまできた、と思った。ここまで来たら、ディスカッションは終結だ。あとは話題を変えるタイミングだ。こんなに重い話題を変えるだけの話題があるはずもない。みんなの目は、これ以上傷口を広げたくないことを示している。いや、傷口は、当の昔に目一杯切り開かれていた。
 私は居心地が悪かった。自分はどちらに立てばいいのだろう。自分は白人でもなければ、黒人でもない。白人と黒人の問題は、彼らの問題であって、日本人の私には何の関係も無いのだ。そんなことを考えながら、その重苦しさから逃れようとしていたのかも知れない。
 しばらく続いた沈黙は、重く深かった。犯し難く、逃げおおすことが出来そうになかった。それができるのは、この場合教授だけだ。教授は淡々として話題を変えた。魔法が解けたようにみんなの身体が静かに動いた。一人の女性に釘付けになっていた目が、教授に一斉に注がれた。オバチャンの眉間から、皺が解けて消えていた。

点いた青信号

 何事もなかったかのように、授業に青信号がともっていた。
 だが、私の心の奥には、期せずして噴出した黒人の、そして白人のよどんでいた叫びが、耳鳴りのように残っていた。』
 私は初めてアメリカに短期留学した時の一つの経験を忘れることが出来ない。同じ自費出版の本の中に記している。 (93頁~94頁)
 『帰寮は11時過ぎだ。辺り一面、真っ暗闇だった。しばらく歩くと、地上13階、地下2階のサウス・クウォード寮がぼーっと姿を見せる。入口は二つある。右端の方が部屋に近いので、そちらへ足を向ける。いや、向けようとした。ギクッ。入口に背の高い黒人が一人、仁王立ちだ。私たちは恐くなって、何気ないふりをしながら、左側の入口へと急いだ。この日も私は自分の不明を恥じた。
 私に人種差別を語る資格はない。差別の問題を語る資格もない。差別をする人々を責める資格など、更にない。お前はどうなのだと言われたら、返す言葉もない。そういう意味で、学ぶことの多い短期留学ではあった』
 (この最後の引用部分は「留学中の事件の数々 2」で扱っている)

 この中での体験を基にして、私は差別について考えることになった。そして処女出版の本の中でそれについてかなりの頁を割いている。そちらも是非読んでいただきたいと思っている。

 「留学中の事件の数々 その2」の「9.人種差別」~「13.チャイナタウン」でここに述べていない部分を扱っている。むしろ、こちらを読んでからこの「差別をする」を読むほうがいいかも知らない。

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