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タクシー乗り場 その2

文字数:6450字

まえがき

 New Yorkのタクシーと言えば、イェローキャブの呼称で愛されている(かどうかは、人それぞれ・・・)タクシーが横行している。5番街など歩いていると、イェローキャブ以外は知っていないのではないか、と思えるほど(思えるわけがないのだが)どこを見ても走り回っている。
 そんなNew Yorkでのタクシー経験は、いろいろある。そのうちで、思い出深いものをぐだぐだ語ってみたい。
 表紙にした画像は、私がHigh Lineを訪れた時に、下を見下ろしビデオに写り込んでいたものだ。(「High Line」というタイトルで記事を書いています)私はほとんどビデオ撮影だったので、その動画のコマドリで取り込んだものだ。そのせいで、画像がぼやけている。どこかの記事で述べたことがあるが、そのぼやけた画像こそ現代的なものとして利用できるのだ。それは個人の表情がぼやけて個人情報を守ることにもなるからだ。

1.Hotel Edisonでのベルボーイの活躍

  1988年の16日間のアメリカへの妻との旅、自分にとっても初の体験が多かった気がする。New York自体は私にとっては2度目だ。その経験が妻を連れて行くという計画につながったというわけだ。訪問都市の順番や宿泊日数は定かには覚えていない。行った場所は、カナダのバッファロー、ナイアガラだ(1泊)。New Yorkは5泊。ワシントンDCに3泊。ロサンジェルス(含:アナハイム)(3泊)。ホノルル(3泊)。

 Hotel Edison(エジソンホテル)はNew Yorkのタイムズスクウェアのごく近くにある。当時私の気持ちの中ではタクシーは怖い、というイメージがあったので、空港からはGrand Central 駅までのバスを使った。グランドセントラル・ステーションは42番街に面している。「フォーティーセカンドストリート」というタイトルのブロードウェイミュージカルになっている。超ロングランのミュージカルだ。
 私たちは7番街辺りで下車したのではないだろうか。
 もしタクシーに乗ったなら、ドライバーに「7番街の47番通り」と言えば運んでくれることにはなっている。しかし、私はタクシーでホテル前まで運ばれた経験は一度しかない。孫娘2人を連れた2017年の時だけだ。運がよかったに違いない。
 ワンウェイ(一方通行)が多いマンハッタンでは、ホテル前まで行くのが面倒なのだ。ドライバーにとっては時間との勝負だからだ。中には道をよく知らないドライバーもいる。英語もよく話せないドライバーすらいるような気がする。
 
 私たちは、少し歩かないといけないのだが、妻にとっては初めてのニューヨークを体感できたと思う。

 エジソンホテルはそれなりに高級なホテルだ。有名な老舗ホテルだ。その後改修してさらに高級になって高いため、私は2度と泊ったことがない。

 私の一人旅での怖い経験は、New Yorkがやはり一番だ。妻を連れて行ったときは、怖さは増す。いざとなった時に、まさか自分だけで逃げるわけにはいかないからだ。

 この記事ではタクシーにまつわる話題のはずだ。
 妻との旅では、ワシントンDCに向かうためにアムトラックという鉄道を利用することにしていた。そこまで歩くのは疲れるので、タクシーに乗るつもりだった。
 ホテルの前には常にタクシーが客の奪い合いをしていた。それを見ただけでタクシーをやめて歩こうかと思ったほどだ。しかしウェブサイドを荷物を持って移動するのは、当時はとても勇気がいる。

 ホテルの前で、ドライバーが近寄ってくる。私たちのスーツケースを奪うようにして運ぼうとする。私は必死になって手を離さないようにした。こんなドライバーのタクシーには絶対に乗らないぞっ、という強い気持ちだ。

 そこにやってきたのがベルボーイだ。
 ドライバーから私のスーツケースを奪い返すと、そのドライバーを強く突き放して私たちからひきはなしてくれた。

 「このタクシーに乗ってください」

 彼は安全なドライバーを呼び込んで、私たちが乗れるようにドアを開けてくれた。
 「良い旅を・・・」
 「ありがとう。助かりました」
 私はチップを渡すのを忘れてしまっていることに帰国してから気が付いた。
 体格のいいあのベルボーイの頼りがいのある姿を、今に至っても忘れてはいない。

2.孫娘と乗ったタクシー

 2017年にNew Yorkに孫娘2人を連れて行った時の話は、「孫娘と行くNew Yorkの店」で語っている。

 この時乗ったタクシーは、どの空港のタクシー乗り場からだったか思い出せない。マンハッタン周辺には主としてラガーディア、ジョン・F・ケネディー、ニューアーク・リバティーと3つの国際空港がある。

 チケットを購入するときにどの空港に着陸するかなど、考えたことは一度もない。降りたらタクシー乗り場を探すというのが最初にする作業だ。
 私は安全第一なので、午前中に到着する便を探す。そうすれば、万一のことがあっても(よほどのことがない限り)夜到着ということが避けられるからだ。
 私としては、孫娘を安心安全に連れて歩きたかったので、何とかホテル前まで行ってくれないかなと気が気ではなかった。彼らは初めての海外への旅だったからだ。

 しかも、(先の記事で書いたように)日本の空港での手続き上のミスで、搭乗券が発行されない事態の中でこの旅が始まっていたのだ。当時私たちだけではなく多くの人たちが同じ事態に陥っていた。私たちはカナダのバンクーバー経由だったために更に状態は悪かったのである。つまり、それまでは不必要だったカナダのビザが必要だったのだ。しかもカナダ当局がその年の4月から、乗り換えであってもデジタルビザを前もって手に入れておかなければならないという規則を突然決めたのだ。
 慌てて空港のパソコンを使って、慌ててカナダのデジタルビザを搭乗時間締め切り5分前に取得出来たという、初めてで最大の事件を乗り越えての出発だったのだ。
 これも書いているが、New Yorkの空港で3人ともスーツケースが出てこなかったのだが、無事タクシーに乗り込むことができた。おそらくこのビザ騒動のせいだ。ところが、ある意味、手荷物だけなので、移動が楽だったことでラッキーだったかもしれない。

 どの空港からであってもマンハッタンへは、橋を通るかトンネルを通ることになる。その辺りから、どの道を通るつもりなのかが気になってくる。私はスマホを持って海外へ行くことはしない。そもそもスマホを初めて購入したのは2,019年の夏だ。私が使用していたガラケーが終了ということになったからだ。悔しい?ので、別の携帯会社に乗り換えたついでだった。

 窓の外を見ながら、どこそこの道を通るのだろう、などと思いめぐらす。6thアベニュー/ウェスト39thストリートのレジデンス イン バイ マリオット ニューヨーク マンハッタン/タイムズスクウェア というホテルだ。
 ドライバーが変な場所に停まって、あとは自分で行けよ、などと言おうものなら、受け入れるつもりはなかった。どうしてもホテルの前に停まってほしかったのだ。孫たちの旅を少しでも楽しくしたかったのだ。自分一人なら、どこに停まって降ろされようと構わない。それはそれでいい経験を生み出すことを経験知としてわかっていたからだ。
 
 ところが、ドライバーは実に巧みに目的地に向かっているのだ。ワンウェイも熟知していた。イェローキャブのドライバーと言えども、道を知らない人もいるのだ。昨日運転許可がもらえた、などと言うドライバーのタクシーに乗ったこともある。
 思った通りで、私たち3人が乗ったタクシーは見事にこの長たらしいホテルの玄関前にするりと停車してくれたのだ。私の方が驚いたほどだ。

 到着してからもあれこれと小さな事件に見舞われたのだが、2,3日で全て解決し、残りの数日を快適に過ごすことができた。次回ニューヨークに行くことがあれば、同じホテルに滞在する気になっていた。
 しかし、残念ながら、その機会はいまだに訪れてはいない。コロナのせいだ。私の年齢的なせいだ。孫息子を連れて行くタイミングが難しくなってしまったせいだ。大学生になってからなどと考えると、その頃は私は既においぼれの度合いが増してしまっているのだ。
 これからは行くこともないだろうが、万一行くとしても、タクシーのお世話になる機会が増大するだろう。アメリカのタクシーは安いからありがたいとは思う。

3.ジュリアード音楽院へ

 私は全く興味がなかったのだが、連れて行った知人がどうしても行きたいというので、仕方なくタクシーで向かった。時間があまりなかったので地下鉄を使うのが面倒だったのだ。
 その日は、その人の希望でカーネギーホール(7th Aven./ West 57th St. ) にも行ったのだ。このホールは日本でも有名だ。著名な歌手などがこのホールで活躍したなどとよく耳にしたことがある。
 残念ながら、この日は工事中で中には入れなかった。私としてはジュリアード音楽院よりはこのカーネギーホールの方が中に入って見学をしてみたかったものだ。
 滞在日程が積んでいたので、いったんホテルに戻ってからタクシーを拾うことにした。タクシーを拾うことはそれほど難しいことではない。いくらでも走っているからだ。

 私はイェローキャブに乗るとまずすることがある。
 ドライバーに気づいてもらえるように、動作を大げさにしてドライバーの氏名、車の番号、ドライバーの番号等をメモするのだ。それも黙ってするのではなく、声に出しながら書くのだ。後部座席に座ると、すぐ目の前にそれらの情報が記されているのだ。
 私がそれらをメモするのは、ぼったくりを防ぐためだ。彼らは、自分のそういった行為を報告されるのを極端に恐れているのだ。報告が届くと、彼らは職を追われることになるからだ。

 空港で客を乗せるときには、係の警備員が全て記録しているのだ。

 この日も、タクシーに乗り込むと氏名などを声出しで記録した。そして、ルームミラーで見えるように手帳に書き留めているところを見せつけるのだ。変なことをするなよ、という私からの警告のつもりだ。
 「セブンスアベニュー、ウェスト フィフティーセブンス ストリート、プリーズ」
 私はこの日のタクシーは、何となく警戒をしていた。油断せずに進み具合を気にしていたのだ。初めて行く地域だったので、どんな具合の地域なのかを知らなかったからだ。知人が突然音楽院にどうしても行きたいと言い出したからだ。
 案の定、ドライバーは怪しい道どりをしているような気がしてきた。そこで私がそこを左、などと注意をしたのだ。ドライバーは知らぬ顔で真っすぐの道を進んだ。それはつまりその時点では目に見えていない音楽院を通り越すということを示していたのである。
 そして、また次の角を左・・・と命じた。それも無視する運転だ。とうとう私は強めに同じ指示を与えた。
 ようやく言うことを聞いたのだ。

 「タクシーを降りたらすぐに足早に音楽院の受付まで行って。ドライバーが怒る可能性があることをするから・・・」

 ジュリアード音楽院で降りる前に、知人2人にこのことを伝えておいた。
 タクシーが着いて、私は2人を先に降ろして、もたもたとドライバーに支払いをした。できるだけ細かいお金を集めておいたのだ。
 お金を払いながら、ドライバーに、どうして言うことを聞いてくれなかったのか、と話しかけておいた。お金を数えてみたらその意味が分かるだろうと思って言ったのだ。

 チップは遠回りした分以上の金額を引いた額面を与えた。私からしたら、チップとはそのようなものなのだ。きちんとしてくれれば、場合によっては多めに払うこともある。
 私はそんなことを考えながら、ドライバーが数えている間に、素早く音楽院に滑り込んだのだ。

 これは結構怖い作戦だ。
 その怖さがアメリカだ。マンハッタンだ。人には勧められないチップ減額作戦だ。
 帰りはタクシーをやめて、バスに乗ってのんびりとマンハッタンの雰囲気を味わいつつホテルに向かった。

4.2002年の空港からホテルまで

 2002年のマンハッタン訪問は、どこかの記事でも述べているが、前年に起こった世界貿易センタービルへのテロ攻撃のその後を見ておきたかったのだ。
 2001年9月11日にその事件は起きた。
 世界中の人々の注視の中、多くの人々がさまよった。多くの人々が呆然としていた。私もその一人だった。

 これについては、主として「世界貿易センターで何が?」で記している。この時訪問した破壊された跡地近くで購入した『TERROR』(テロ)という写真集の画像を使わせてもらっている。他にも「New York見聞記 World Trade Center」でも扱っている。これは2015年、2017年に訪問した時の記念館を主体とした報告記録だ。

 この時は、空港からタクシーだ。日曜日だった。
 空港からしばらく行くと、懐かしいマンハッタンが遠目に見えてきた。
そして長いトンネルだ。
トンネルを抜けると、そこはマンハッタンのど真ん中だ。
 このタクシーのドライバーは何も言わずに大音響で音楽を流した。よくあることだ。
 いつもなら不愉快になることが多いのだが、その時は最適な曲に思えた。
 セリーヌ・ディオンの歌声が車内を満ち溢れさせたのだ。しかも、私が知っているものだ。
♬ I Will Always Love You! 🎵 ♪

 大音量だ。今、この文章を書きながらパソコンでその歌声を聞いている。あのタクシーで聞いた声だ。歌詞だ。
 歌声を聞きながら、あの日のマンハッタンの姿が目に浮かんでいる。
 あの日は日曜日だった。
 行きかう人々は着飾っていた。教会に行く人が多いからだ。
 窓の外にははるか北の方まで広い道路が続いていた。その両側はもちろん高層ビルのオンパレードだ。とは言え、ロウワーマンハッタンなので、何となく薄汚い印象だ。
 アパートには避難階段が高く続いていた。映画でみるあの階段だ。
 
 やがて’I will always love you!’の歌を聴きながら、タクシーは左折をする。
 チャイナタウンが見えたので、おそらくカナルストリートを走ってきたのだ。
 1981年にグレイハウンドバスでNew Yorkに初めて訪れた時に、歩き回った場所にチャイナタウンがあったので覚えていたのだ。ホームレスの人がダンボールに包まるようにして歩いていたことを思い出した。怖い気持ちがする雰囲気の場所だった。
 2002年のあの日、私は何というホテルに滞在したのか覚えていない。韓国人のオーナーだったことは覚えている。アジアンテイストが辺り一面にしていた。もしかして韓国人街だったのかもしれない。エンパイアステートビルがすぐ近くだったので、サードかセカンドアベニューの30何番ストリート辺りだったような気がしている。
 
 とうとうタクシーが減速した。
 案の定だ。
 ホテルに横づけなどするもんか、とでも言いたそうなドライバーだ。折角のセリーヌ・ディオンの歌声が死んでしまうじゃないか。
 
 マンハッタンは南北は1ブロック歩くのは容易い。しかし東西ともなれば、かなりの距離があるのだ。しかもホテルはそのストリートのほぼ最東部にあり、タクシーが停まったのは、その正反対の場所だ。
 スーツケースを引きづりながらようやくホテルを発見したときには疲れ切っていた。
 荷物をフロントに預けて、早速近くのエンパイアステートビルに行ってみた。20年ぶりだ。エレベーターのチケット売り場は地下だったのに、場所が変わっていて、年月の過ぎ去る姿を見る羽目になった。

タクシー乗り場 その2

     完

タクシー乗り場 その3 も考慮中
  


 
 

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