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体感 差別 不安 その1

文字数:3297 字

まえがき

 急ですが、「海外体験 期待と不安と喜びと」シリーズを書いている途中なのに、巷間騒がれている女子テニスの急遽失格への変更問題を見ているうちに、海外体験で私自身が体感したことを、私の心の中の問題として記事にしてみようと思いました。
 過去のことばかりで、今までの記事の中にも書いてきたこともありますが、少しだけ掘り下げてみたくなりました。思いつくままにランダムに書くので統一性はない。そこは許していただきたい。
 どうしても書きたいのが、「Fortnum and Mason」(これは記事の名前ではなく、百貨店の名前だ)での出来事だ。
 すでに差別に関する記述をしていそうな記事には次のようなものがある。 
 「留学はきつい、楽しい」シリーズ、「ワクワク ガックシ ルンルン一人旅」シリーズ、「黄色いラッパ水仙」「私の旅日記とその周辺」、「差別をする」、「New York見聞記シリーズ」など

1. やはりミシガン大学から

 ある日授業が終わると、クラスメート(日本人)が映画に行こう、と言い出した。私は日本にいるときはほとんど映画に行ったことがない。数年に1度くらいだ。ところが留学中は勉強のストレス解消に毎週のように映画に行っていた。何しろ安いからだ。99セントなのだ。タイトルも知らずに行ったものだ。帰国してから、相当知名度のある映画をたくさん見ていたことを知った。
 この日の映画はその後もそのタイトルすら出会ったことがない。
 映画館に着くとすでに始まっていた。薄暗い中を邪魔にならないように腰をかがめて通路側の空いた席を探して座った。3人分の席を探すのは苦労だった。それほどぎっしり詰まっていたのだ。
 映画の内容がよくわからない。覚えてもいない。シリアスな社会問題を扱っている映画だった。登場人物がすべて黒人ということが不思議だった記憶がある。笑いもたくさんあって館内の笑い声は、なかなかのものだった。もちろん私たちも安心して大声で笑った。
 小一時間も経った頃、トイレ休憩の時間があった。画面だったか、アナウンスだったか覚えていないが、休憩室でコーヒーがあるから楽しんでね、というサービスに私たち3人も立ち上がった。
 私はコーヒーが好きだ。今はネットで生豆を買って自分で焙煎するし、ブレンドもする。毎日違うテーストのコーヒーを飲むといえばかっこいいが、本当は味の違いなどなかなか分からないのだ。
 館内に照明がついて驚いた。観客はほとんど全てが黒人ばかりだったのだ。違うのはもしかすると私たちだけだったのかもしれない、と思うほどだ。
 私は急に怖くなってきた。それでもコーヒーを飲みに休憩室に行った。一人でなくてよかった、と思ったものだ。休憩室も当たり前のように黒人ばかりで、彼らにじろじろ見られている気がした。
 「なんだか居心地が悪いですね」
 クラスメートの一人が私にささやいた。私はうなずいた。同じ気持ちだったからだ。コーヒータイムが終了して、3人で元の席に着いた。照明が暗くなるとほっとした気分になっていた。
 映画が終わると、私たちはさっと席を立って急いで映画館から出た。すでに外は真っ暗だ。
 私は兄の注意を覚えていた。
 「夜はむやみに一人で歩いたりしたら危ないからね。キャンパスでも気を付けて」
 その言葉を思い出した。一人じゃないから、ま、いいか。などと自分への言い訳を考えながら、寮に向かった。
 「どこかで軽食でも食べないか? 今日の映画の反省会をしようよ」
 私は乗り気でない、と伝えた。もう一人も同じ気持ちのようだった。 
 「じゃあ、明日の放課後にしようか」
 提案者はすぐに同意して寮に帰ることになった。

1970年のSouth Quard寮
2002年のSouth Quard寮

 人通りもまばらな中をキャンパスに戻ったことで少しほっとしていた。そこで早く寮の中に入ろうということになり(上記の)左側の入り口に近づいた。もう一つ入り口があって、写真に写っていないが、もっと左側にあるのだ。エル字型の建物なのは、下の写真でわかる。ただし、建て替えたのか、上の写真よりは階数が異なっている。
 兎に角、左側の入り口が近いのでそちらに3人で行こうとしたときに、背の高い黒人が寮から乱暴に出てきた。私はしまった、と思った。夜の外出はするべきじゃなかった、と咄嗟に思ったのだ。
 他の2人も同じ気持ちだ。
 3人で慌ててもう一つの入り口目指して急ぎ足だ。無事に入れた時には本当にほっとしたものだ。それぞれの部屋に戻ってから、電話をかけて無事を確認するほどの念の入れようだ。

ちょっと分かりづらいが右上の壁にかかっているのが電話

 結局次の日の映画反省会はお流れとなってしまった。みんなテンションダダ下がりだったのだ。
 私は心の中で、「自分は黒人差別をしている」と感じて嫌な自分を見た気がした。

2. ナイアガラで聞いた教え子の述懐

 1980年代後半にアメリカに行った時、同僚を案内した。
 そのことをCleveland(エリー湖の少し南)だったと思うが、ご主人が研究のために留学していた卒業生に手紙で伝えた。会いたいということで、ナイアガラで合流することになった。彼らは車でやってくるというのだ。そして「海外体験 期待と不安と喜びと」シリーズのどれかで書いた回転レストランで食事をしたのだ。
 食事をしながら、見学するためのデッキで滝を見ながら、歩きながら、彼女が私に話してくれたことが耳に残っている。その時に「やはりミシガン大学から」に書いた内容を話した覚えがある。

 彼女はとにかく優しい人柄で、思いもよらないことを話したりする。彼女は大学を卒業してから、同僚として私が教えていた学校で教師としてやってきた。教科も同じ英語だ。
 彼女がまだ結婚する前の話がある。
 職員室の隣に仕事をしたりお茶をしたりするスペースがあった。そこで数人がコーヒータイムをおしゃべりで埋め尽くしていた時のことだ。その一人が紙のコーヒーフィルターでドリップコーヒーを作っているとき、真面目な顔をしてこう言ったのだ。
 「へぇ~、ドリップするのに紙もあるんですね。私、初めて見ました。うちのは布でドリップコーヒーを作っていまっす」
 「それって、自慢?」
 「いえいえ、紙だったからびっくりしただけですよ」
 彼女は実はお嬢様なのだ。
 「私もたまには布フィルターを使うけど、あとで洗わないといけないのが面倒だから、紙を使うことが多いよ」(これは私の発言)
 「えっ! 布だと洗わないといけないんですか? 洗ってから捨てるんですか?」 
 「あんた、布フィルターを一度使っただけで捨ててるの?」
 それまで別の話に花を咲かせていた周りの教員が参戦してきた。
 「え? 洗ってまた使うんですか?」
 この続きは書くのが面倒だ。ただ、そこにいた全員が大笑いだ。
 「私、知りませんでした。明日からは洗って使います。」
 その時の彼女の驚いた顔と笑顔が今でも思い出される。
 またもやわき道を歩いてしまった。話の脱線は私の常とう手段だ。
 
 彼女は夫の留学についていったのだが、買い物に一人で出かけたのだそうだ。ダウンタウンのスーパーで、黒人客がたくさんいて、怖かったと話していた。詳しいことは忘れてしまったのだが、彼女はとても落ち込んだそうだ。
 それというのが、自分が黒人というだけでその男性を差別の目で見てしまったというのだ。日本にいるときはほとんどそんな場面に出くわさない。彼女は人を差別するような人ではないことは、私自身が証明してもいいほどだ。
 その後そういう生活にも慣れたのだと思うが、私もデトロイトの町で同じような緊張を感じたことがあったから、人のことはとやかく言えない。
 
 最初、この記事はこれだけにするつもりだったが、最初に書いたように「Fortnum &Mason」でのことだけは最低でも書かなければならないので「その2」として独立させるために、この記事を「その1」としたのだ。

   完



 
 


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