見出し画像

ワクワク ホームステイこぼれ話 2   カルチャーショック

文字数:14010字

10.電話のベル

 生徒たちが1人ずつホストファミリーに引き取られて行った後、残った1人と私は、フォスターさんの車に乗り換えた。迎えのなかった生徒は、何となくしょんぼりだ。心配しなくても大丈夫、と元気づけるのも大変だ。
 彼女をホストファミリーに引き渡す。広い空き地風の地域に道路が1本。そこをくねくね曲がってしばらく進むと、住宅地に入る。自分の経験から新興住宅地とみた。広い道路の両脇には、家々がゆったりと建ち並ぶ。
 前庭の芝生。玄関までの短い通路脇の花壇。激しい夏の光を浴びて喘いでいる。その向こうは樹の塀に囲まれた城がある。城の裏にも芝生だ。そしてプールだ。そんなに大きくはないが、それでも深さは十分ある。
 土足で入ったら、いきなりのリビング。まずソファーに腰掛ける。ほんの暫くの憩い。ゆったりと伸びをする。それからお決まりのフォスター家巡りのツアーだ。
 対面式のキッチン。台所のうしろがバスルーム。その後ろに2人の男の子の部屋がある。2段ベッド。散らかったおもちゃ。何やら生き物の入ったプラスチックの入れ物。
 この部屋の隣が私の部屋だ。部屋の真ん中に狭苦しそうにのさばっているダブルベッド。手で触れてみる。ピチャピチャ。ピチャピチャ。ベッドが揺れる。今では日本でも珍しくないウォーターベッドだ。私の部屋とリビングの間にある部屋には、ワープロや事務机がある。ミセス・フォスターの仕事部屋である。ジャニスと言う名の27才になる私のホストマザーだ。
 キッチンを出たところから階段。下に降りて行くと、ひんやりとした憩いの部屋。夫婦の寝室。そしてもう1つのバスルーム。地下の涼しさは格別だ。熱さを逃れて逃げて行く猛暑シェルターだ。
 その地下室でわずかな手土産を披露する。
 
 リリリリン。リリリリン。リリリリン。

 電話のベルだ。ジャニスが大きな体を機敏に動かす。彼女の部屋へ走る。
 「ちょっと来て。手伝って。お願い、生徒のことみたい」
 あるホストファミリーからの電話だ。Denver滞在中に、ジャニスが何度となく助けを求めた第1回目となった。
 電話の向こうでは、ホストマザーが困ったという様子で何事か言っているに違いない。ジャニスに代わって受話器を取る。ホームステイの初日は、まだ昼を回ったばかりだ。何を聞いても生徒が返事をしてくれないのだと言う。どうしてほしいのか教えてほしいと、すごい剣幕だ。
 「返事ができないだけなんですよ。ゆっくり話してみてあげてください。それから生徒と代わっていただけますか?」
 夕食は何がいいのか聞いているのに、返事をしてくれないのよ。どこに連れて行ったらいいのか分からなくて困っているの。ノブコと代わるから、よく説明をしてあげてね。ノブコ、ユワ ティーチャー」
 「もしもし、先生?英語がさっぱり分かりません。何か食べ物のことを言ってるのだってことは分かるけど・・・。もうくたくた」
 やれやれだ。初日からこれでは、これからが大変だ。ため息が出る。 
 いつの間にか8才になるライアンがそばに来ている。母親にどうしたのか、と聞く。それに対して、丁寧に答えてやっている。こんな時、日本の母親なら、普通いい加減に返事をするのにとか、子供には関係ないと言ってしまうのにと思いながら、そのやり取りを聞く。
 到着初日はこんな電話が5,6本キャバーサス家を襲った。それ以外の電話も数本あったから、ジャニスは誠に忙しかった。
 そんなジャニスを見ても、夫のジョウは平気の平左だ。何事も起こっていないかのように振る舞う。こんなことは日常茶飯事のことらしい。コミュニティー・カウンセラーをやるようになってからはいつもこうだよ、と言う。ジャニスは、また別の電話に出ている。
 「彼女にはその才能があるのさ」
 次から次へとジャニスに関する自慢話だ。でも自慢をひけらかす感じの話し方とは全く違う。頼みもしないのによくしゃべる。おかげで気を使わなくて済む。最後はジャニスの料理自慢だ。彼女は料理がうまいんだよ、とフォスター家に来て初めて笑顔で私を見る。それを聞いてほっとする。

11. やれやれ、まだ続くのか~い

 私はアメリカの食事に不信感を持っている。まずい寮の食事を一年間我慢したせいだと思う。好き嫌いが無きに等しいから、何でも食べてはきた。それでも食事はおいしいに越したことはない。これはよい家に招かれたとほくそ笑んで、ジョーに笑顔を返す。
 夕方、そろそろ食事時だ。料理上手の食事にありつける。
 チリン、チリン。
 網戸付きの玄関のドアが開く音。玄関というイメージではない。外からリビングに入る戸、という方がそれをイメージできる。
 電話を終えたジャニスが迎える。
 「どうしたの? 何かあったの?」
 「あの~・・・」
 どうやら生徒のことらしい。慌てて地上へ。階段を上がると目の前にドアがある。そのドアに向かってジャニスが立っている。その身体の向こうに2人の人物がいる。まだ地上は暑い。2人を地下へ招き入れる。先ほど電話で話した生徒とそのホストマザーだ。
 「どうしたの? 何かあったの?」
 心配。不安。はらはら。
 彼女のホストファミリーは少し興奮気味に早口でしゃべる。聞いていると、結局夕食を何にしたらよいのか分からないのだ。あれにしようかと言っても、生徒は色よい返事をしない。それならばと、これにしようかと提案しても、返事が返ってこない。そこでしびれが切れたのだ。
 「ここまで車で来たの?」
 「いいえ、歩いてきました」
 「えっ、歩いて? 近いの?」
 「はい、この家のすぐ前です」
 「ああ、それはよかった」
 その間も、彼女のホストマザーは一人でしゃべりまくっている。私とジャニスを代わる代わる見ながら・・・。
 「どうやら夕食を何にするか聞いても答えてくれないって言ってるよ。返事しなかったの?」
 「だってわからないし、何でもいいから」
 「だから言ったじゃない。ここは日本じゃないんだから、自分の意見をはっきり伝えないと。何でもいいじゃぁ返事にならない国なんだから。私はこれがいいとかあれがいいとかはっきりさせなくっちゃ」
 「でも・・・・」
 考えれば、無理もない。今まで自分の意思を持たなくても生きてこられたのだから。自分の意思を持たない方がうまくいくことも多かったのだから。しかし、ここは何事もはっきりさせる国なのだ。
 ボールが自分に投げられたら、ボールに気づいても知らん顔できる日本ではないのだ。何事にも責任逃れは許されないのだ。大人なら皆そうだ。そして子供の時から大人扱いをされる。ボールが投げられたら、必ず自分の責任においてボールを投げ返さなければ、付き合っていけないのだ。
 「とにかく今日のところは、マクドナルドにしてくださいと言いなさい。日頃はマクドナルドは高いから連れて行ってもらえないかもしれないから。それに食べた後、日本にもマクドナルドがあるとか、やっぱりアメリカの方がおいしいとか、大きいとか話すことが出来るだろうからね」
 「マクドナルドがいいです」
 ついに彼女は英語を使う。自分で初めて使う英語だ。覚えたり練習をしたのではない英語だ。小学1年生が、自分の名前を呼ばれて初めて返事をするのに似ている。練習をしたと言えばアクセントだ。マクドナルドではなく、マクド―ナルドと言わなければ通じない。
 「まあ、そうだったの」
 ホストマザーの顔が明るく変化する。話せるじゃないの、と言いたげだ。じゃあ今日はマクド―ナルドにしましょうね、と言って2人は出て行く。私とジャニスは顔を見合わせて肩をすくめる。
 ほんのちょっとした言葉の行き違いで大騒動になる。でもそんな大騒動も、小さな努力であっという間に解決する。そんな時、ホームステイする方にも、迎える方にも、温かい心が芽生える。1度そんな温かさを經驗してしまえば、その後に出くわす関門も楽に乗り切ることが出来るのだ。解決法が分かるからだ。少なくともどこから手をつければ道が開けるかが分かる。相手に対する信頼が基礎部分にできているからだ。

12.ウォーターベッド

 「今夜映画でも見ないか?」
 夕食後にジョーが声をかけてくれる。近くに映画館がありそうにもなかったのにといぶかりながら、そうしようと答える。それなのにいつまでも出かける素振りも見せない。
 しばらくしてから、何が見たいかと聞かれる。何が上映されているのかと聞いてみる。いろいろあるぞ、と次から次へと映画のタイトルを言ってくれる。トップガンにしようと答える。実は聞いた映画のタイトルの名前で耳に残ったのがそれだけだったのだ。日本語のタイトルと英語のタイトルが違うことが多いのだから仕方ない。しかも日本では私は映画をほとんど見ない。今まで生きてきた中で日本で見た映画の数はアメリカで観た数に比べたら恐らく半分以下だ。留学中は毎週金曜日が映画の日と決めていたからだ。
 ジョーは私がトップガンと言ったことに満足の表情だ。それもそのはず、デンバーはアメリカ有数の空軍基地のメッカなのだ。
 彼は地下に降りて行く。何のことはない。ムービーというのはホームビデオのムービーだったのだ。見ているうちに疲れが出たのか、うつらうつらしてしまう。
 「すみません、眠くて眠くて・・・。きっと疲れているんだと思います」
 「いいよいいよ、気にするな。おやすみ」
 映画の途中で席を立つ。アメリカでは行動を起こすときには必ず理由を言うのが良い。理由なしだと意味不明の行動になってしまう。私たち日本人のように相手の行動を推理する術にたけていない。誤解の元にしかなr無いのだ。
 Denverの夜は寒い。昼間は35度くらいすぐに上がるのに、夜はシャツ1枚だと風邪を引きそうだ。自分の部屋に引きこもると、ドッと疲れが出る。
 初めてのウォーターベッド。また手で触ってみる。ベッド全体が揺れる。留学していた1981年ごろ、流行を始めていたベッドだ。よく眠れるからだったようだ。何人かのアメリカ人に聞いてみたが、なかなかのものだと言った。値段も高い。
 体もふわふわしたのが好きな国民だからあベッドもふわふわがいいのだろうと、これは私の推測だ。便利な点はどんなに寒くても毛布1枚で済むことだ。ベッドの中は文字通り水が入っている。伝記でその水を温めさえすれば出来上がりだ。
 体をのせる。ゆらゆら揺れる。海の上にマットを乗せて寝そべったような感じだ。
 寝返りを打ってみる。まるで宇宙遊泳だ。自分の意思とは関係なく体が動く。これでは寝られそうにない。留学時代、マットの上にべニア板を敷いて寝たほどの私だ。寝られるはずがない、などと思っているうちにいつの間にか熟睡だ。
 生徒たちの中にもウォーターベッドを經驗した者がいたようだ。とてもよく寝られたというものもいたが、とんでもないという者も多くいた。わたしはと言うと、最初の予想に反して熟睡を招くベッドだった。
 こんな人気のあるベッドにも欠点があると耳にした。私の心配の一つでもあった。水はもらないのかという素朴な疑問だ。そして答えは指すがアメリカ。イエスなのだ。漏ることがあるのだ。持っても修理すればいいじゃないか、と言うのがアメリカ人の割り切り方なのだ。
 当時の話だが、だから日本と自動車戦争で負けるのだy、と言ってやりたくなる。日本車は左半あゝアドルにして売っているじゃないか。何故アメリカ車は右ハンドルにして売らないのだ。もう少し車を小さくすればいいのに。ガソリンだって日本はアメリカの倍近くするのだから。もっといろいろ区d¥風をして勝負をかけなければ勝てるものか。日本車はダンピングだとか何とかいちゃもんつける前に、車を安上がりに作る努力をしなさいよ、などと口にはしないが心で思う。(勿論今は昔の物語ではある)
 そんなことを思っているといつの間にか夢の中だ。

13.ウェルカムパーティー

 誰もいない芝生の公園。広い。中央付近のピクニックテーブルに荷物を置く。かなりの数のテーブル。予定の1時間前。アメリカでの陣取り。場所取りの先発隊だ。
 退屈まぎれに芝生に寝そべる。芝生の香り。懐かしい感触。疲れた体を横たえてひと時を過ごした留学中の芝生での昼寝を思い出す。逃げ足の速いストレス。心にまでしみ込んでくる自然の優しさ。
 がやがやと人の声。贅沢な昼寝を妨げられる。仕方なく体を起こす。声のする方に目をやる。5,6人の人たち。その後ろにも人々が続く。ホストファミリーのオンパレードだ。みんなの手に運ばれるサラダボウル。深鍋。大皿。盛鉢。タッパー。ポット。クーラー。それらが所狭しとテーブルに並べられる。
 ウェルカムパーティーだ。
 生徒たちの叫び声。キャーキャーと甲高い。みんなおめかしをしている。精一杯の背伸びをしたおしゃれだ。私はと言えば穴のあいたTシャツだ。
 生徒同士の再会はことのほか大仰だ。肩をたたき合い、手を絡め合い、抱き合う。嬉しさの表現に不満がある様子だ。もっと再会の喜びを表現できないものかと悩んでいる動作だ。
 そんな間も口はお互い動きっぱなしだ。生まれてから一度も人と喋ったことがない人のようだ。次から次へと出てくる話は、前の日からのホストファミリーとの出来事。本当はそんなことを言うのが目的ではない。日本語を使いたくてたまらないのだ。日本語を使えることの喜びの発露なのだ。日本語を使うことを、こんなに新鮮に感じたのは初めてではなかろうか、と思えるほどなのだ。だから何でもいい、しゃべり続ける。
 周りにホストファミリーがいても知るものか。さっぱり分からないという顔をされたって気にならない。ただ喋っていたいのだ。だからホストファミリーが嫌な顔をチラッと見せても気にならない。自分たちは今までそんな目にあってきたのだ、という横着な気持ちもない。ただ喋っていたいだけなのだ。だからホストファミリーが嫌な顔をちらっと見せても気が付かない。ホストファミリーがいる時に日本語をしゃべらないようにと言う、出発前の注意は簡単に破られる。
 ぞろぞろやって来るホストファミリーと挨拶をする。ホストファミリー同士も挨拶を交わす。
 握手。笑顔。会話。挨拶の3点セットだ。
 みんな揃ったところでジャニスの登場だ。コウオーディネイターとしてパーティーの進行役を務める。こんな時のジャニスは頼りになりそうな気がする。マイクがるわけではないから精いっぱいの大声になる。
 「この度、日本の高校のホームステイプログラムに協力して下さってありがとうございます。このことを通してアメリカと日本の相互理解の役に立てたらと願っています。ところでお互いまだ知らない同士も多いことなので、今日はパーティーで和やかなひと時を過ごしていただきたいと思います。まずは食事をとりましょう」
 その後ジャニスのお祈りが続く。彼女はクリスチャンなのだ。
 待ちきれないように列ができる。それぞれの家族が自慢の腕を振るって作ってきた御馳走だ。長い長い列。前の人と、後ろの人と、向こうにいる人と、それぞれが話し相手に事欠かない。
 生徒たちの様子をうかがう。友達に自分のホストファミリーを紹介している。結構うまくやっている。学校では決まり文句しか言えないのに、適当にコメントをつけての紹介になっている。文法はめちゃくちゃだが、問題なく言いたいことを通じさせてしまっている。ホストファミリーも、前日の初対面の時とは違ってゆっくりした英語だ。
 たった一日で逞しくなっている生徒たち。相手が分かってくれないと懲りずに何度も同じことを言う。ホストファミリーはそのたびにいろいろ表現を変えて、生徒の言おうとしていることを理解しようとしてくれている。さぞかし根気のいる仕事だろう。前の日からその作業の連続だったと思う。それでもめげずに努力してくれるのだ。そして通じ合った喜びを共有するのだ。
 その間も列は食事を求めて少しずつ移動していく。
 大きな紙でできた皿。今ならダイソーで簡単に手に入る。プラスチックのナイフやフォーク。これだってどこかの100円ショップで手に入れることが出来る。しかし当時は珍しかったかもしれない。そして紙コップ。全てパーティー用品だ。アメリカの合理主義の代表格だ。
 合理主義の代表格を手にすれば、あとは大量の食事群が待っている。
 やたらと量で勝負するチキン。ただぶち込んだだけではないかと思えるボウルの中のサラダ。何やら不気味にドロドロしているヌードゥル。犬飯にも見えないではないおかゆ状のコメ。とてもご飯の類ではない。バサッとした感じのターキー。山と積まれたマッシュトゥポテト。おいしそうな牛肉。ピーナツバターをふんだんに塗り付けたセロリー。口中が甘く唾液を誘うケーキ類の数々。
 見ただけで口に合いそうなものもあれば、とても皿にとる勇気を引き出せない物もある。幸い私はどれがおいしくてどれがおいしくないかを予想できる。見かけではうまくいかない。しかし生徒にはいちいち教える気もない。おいしくないものを山盛り取るもよしだ。
 それがホームステイ体験なのだ。そこから話題が生まれてくるのだ。そこから相手を知る糸口がつかめてくるのだ。そこから自分を知ってもらうチャンスが巡って来るのだ。
 食事を皿に盛ると適当に芝生に座り込む。ピクニックマットなどというしゃれたものは持ってこなくてもいい。おめかししなければ済むことだ。公園で食べるには、芝生の絨毯が何よりだ。
 生徒はパーティーという言葉に騙されている。座るところがない。テーブルに付き添っている備え付けの椅子だと楽しい会話が弾まない。わざわざ大きな椅子を持ってくるホストファミリーも多い。もう家族毎の単位は崩れている。あちらこちらに文字通りの三三五五だ。
 「彼女たちはよくしゃべりますね。こんなにおしゃべりだとは気が付きませんでしたよ。恥ずかしがり屋で話すのが嫌いなのかなと思っていました。私たちのところにいて楽しくないのかしら」
 「そんなことはありませんよ。いま話していることも、お宅での楽しい話ばかりですよ。ただ英語で表現できないから話すのに勇気がいるのです。ですから我慢してあげてください。そのうち話せるようになってきますから」
 「それならばよかったわ。安心しました」
 ホストファミリーは自分が預かった生徒が楽しくないのではという不安を、しばしば私に打ち明けた。もしそうなら、それは彼らにとっても不幸だからだ。私がアメリカ人高校生にホームステイしてもらった時にも、同じ心境になっていたからよく分かる。
 その不安を打ち払ってくれるのは、前述したように、明るい笑顔が一番だ。その次に大事なのは、ホストファミリーとのコミュニケーションだ。通じても通じなくても、英語で話しかける努力だ。
 アメリカ人は、表面に出ている顔の表情や言葉で相手を理解する。私たち日本人のように、相手の心の中まで積極的に理解しようとはしてくれない。実は日本人の欠陥は、相手の心を勝手に推し量ることだと思う。相手の本心を知らないのに、知っていると錯覚してしまうのだ。いやならいやと言えるほうが、当世の国際人と言えるのではなかろうか。
 そうは言っても、生徒同士になった時のあのおしゃべりの洪水に巻き込まれたなら、どんなアメリカ人でもあまりの変化に戸惑うはずだ。やはり楽しくないのかな、と思ってしまう。
 彼らは、「楽しくない」という表現に、「アンハッピー」を使う。そんなことはない。彼女たちはハッピーなんですよと、そのたびに説明しなければいけない。それでもそう伝えるだけで、ホストファミリーがほっとする表情を読み取ることが出来る。そして彼らもハッピーになれる。

14.カウンセラー

 私はホームステイのカウンセラーに変身する。入れ代わり立ち代わりにホストファミリーが相談にやって来る。何も知らないということは、知っている側からするととてもおかしい。
 「あなたはその子たちの先生でしょ? 英語を話せるのでしょ?」
 「ええ、分かりますよ。何かあったらどうぞ仰ってください」
 元気のいい女性だ。あまり背も高くない。日本人とほぼ同じ体格の女性だ。身振り手振り話すその話し方は、聞いていて楽しい。彼女も不満一杯で話しているわけではないのが分かる。
 彼女の友達も一緒だ。顔立ちからしてメキシカンらしい。陽気なその笑顔もこの女性の説明を楽しんでいる風だ。
 身振り手振りがとても面白い。目を大きく見開き、私と彼女の友達とを交互に見ながら話す。そして時折、自分の話し方に自分でおかしくなるのだろうか、一人で笑いながら話を続飽きない話し方話し方だ。ハスキーな声が話に興を添える。
 「サキコに私の英語を分からせるのは、それは大変なのよ。ジェスチャーゲームのようなものよ。今朝なんかも、いろいろ言ったけどきょとんとするだけなの。洗濯をする日だから、洗濯物を出しなさいって言ったのよ。それでも何も言わないから、どうしたと思う?」
 かのメキシカンらしき人は、ゆっくりと首を左右に振る。顔はニコニコと次の言葉を待っている。私ももちろん同じだ。ちょっとだけ、日本側の責任者という自覚から心配な気持ちもあった。
 「どのようにされたのですか?」
 「下着は洗わなくても大丈夫なのって聞いたの。『下着』がわからないようだから、この私のスカートを・・・」
 何と彼女は目の前で、その時したしぐさを大笑いしながらするのだ。彼女の友達のメキシカンは笑い転げる。そんなことをこんな所でしなくてもいいのにと言っている。
 「こんな風にめくり上げて自分の下着を指さしてゆっくり言ったのよ。そしたらサキコはびっくりして、目をこんなに大きくして・・・」
 メキシカンがまた大笑いする場面だ。精一杯、目を見開いて彼女自身も笑っている。
 「本当はこれ以上大きい目をしてたのよ。サキコもやっと意味が分かってくれて、2人で大笑いをしたの」
 「先生、私、本当にびっくりしました。だっていきなりスカートをまくり上げて、指さしながら何か英語を何度も何度も言うんだから。こっちは恥ずかしくって恥ずかしくってどうしようかと思ったんですよ。この人変なんじゃないかと思ってしまって・・・」
 彼女のふり付きの話に気が付いて、いつの間にかサキコが話の中に入っている。メキシカンがサキコを見てまた大笑いする。

 「すみませんが、あなたはこのグループの英語の先生ですか? お名前をお聞きしてもいいですか」
 「勿論ですよ。○○と言います。初めまして。 何か気になることでもありますか」
 「その通り」
 今度は男性の相談者だ。
 「サチヨが部屋に入ったきり出てこなかったんですよ。昨日家に帰ってから、しばらくはお土産をくれたりなどしていましたがね。話が途切れたら部屋に入ってそれっきりでしたよ。夕食には出てきましたが、目が少し赤くなっていたから、多分泣いていたのだと思います。もし私たちの家族に不満でもあるのなら言ってほしいんですよ。先生、サチヨに聞いてみていただけませんか」
 「それはいけませんね。早速聞いてみましょう。多分大したことではないと思いますけどね」
 「妻はホームシックにでもなったんじゃないかと言うんですがね」
 急にサチヨと言われても、どの生徒のことかさっぱり見当がつかないので困る。近くの生徒にサチヨって言うのは誰のことかを聞く。名字でしか頭に入っていないのだ。飛行機の中で、顔写真のコピーを見ながら一生懸命覚えたのだ。うかつだった。アメリカに行くのだということを忘れていた。ファーストネイムの国なのだ。
 「先生、河合さんのことだと思いますが。確かあの人は、河合幸代だったと思います」
 「悪いけど探してきて」
 しばらくして連れてくる。
 「こうこうこういうわけだけど、部屋にこもってどうしたの。随分心配しているよ」
 かの紳士は私と生徒の話をじっと聞いている。彼女と目が合うと即座ににっこりする。緊張しないようにとの配慮だ。
 「この家族が悪いんじゃぁないんです。とっても良くしてくれるのに、それを英語で表現できない自分が情けなくって。それで部屋でちょっとだけ泣いていたんです」
 「いくらそうでも、部屋にこもるのは良くないよ。日本を発つ前にそれだけはしないようにと言ったはずなのにね。部屋のドアを閉めるということは、相手を拒否することなんだから。寝る時とか、着替えをする時とか以外はドアを少し開けておきなさい。こんなに心配してくれてるのだからね」
 「ごめんなさい。しんぱいしないでいいです。みなさん、とてもよくしてくださってます。わたしはハッピーなんです」
 たどたどしい英語だった。しかし真実がこもった英語だった。
 彼女の肩を抱く紳士の手は大きい。2人の顔には安堵の笑顔が一杯。本当にいいホストファミリーに恵まれたものだ。空になった紙の皿をゴミ箱に捨てて、新しい皿を取る。そして2人並んでお代わりだ。今度はお目当てのものに一直線だ。結構何か話しているじゃないかと、2人の後ろ姿を見ながら思う。

15.お金の話

こづかい

 「ハーイ、僕はマシューと言います。あなたは・・・?」
 「オウ、ハーイ。○○です。これからは○○と呼んでください」
 今度はたいしたことはなさそうだ。それでも真面目な顔だ。
  「あの子たちは、びっくりするほど現金(キャッシュ)を持ち歩いているんですね。今日もここへ来るのでお金はいらないというのに、財布を見たらなんと2、300ドルも入っていたんですよ。置いて行きなさいというのに持って行くと言ってきかないんです。あんな調子で持ち歩いてなくなりでもしたら大変ですよ」
 「あまりたくさんキャッシュに変えない方がいいとは言っておいたんですがね。キャッシュは2,30ドルもあれば十分だと言いましたが、日本人はキャッシュ民族ですから。小切手(チェック)などは使ったことのない生徒たちばかりですから」
 「でもアメリカではチェックでないと危ないですよ」
 「本当にその通りです。来る前に何度も言っておいたんですがね。お母さん方がよく分からなくて、チェックだと子供が使えないのではと心配だったのでしょう。いうことを聞いてくれれば良かったんですがね。いずれにしても、そんな生徒が多いかも知れませんから、みんなによく言っておきましょう。家を出る時には、10ドル以上は持ち歩かないこと。それ以外はトラベラーズチェックで済ますこと。残りの現金はホストファミリーに預けるかどうかすること。よくお金のことを言ってくださいました。おかげで助かります。お金を失くしたり、取られたり無くしたりしたら大変ですからね。折角のホームステイがつまらなくなるし、アメリカを誤解することになりますから」
 お金については最新の注意がいる。日本では考えられないほどだ。
 (現在ではトラベラーズチェックは銀行が発行してくれなくなっている。クレジットカードの普及によるものだ。私は最高額一枚1000ドルのチェックを持っていたことがある。10万円札を持っているようなものだ)

100ドルの行方

 留学の年の冬休みのこと。10年来手紙のやり取りをしていた友人の家に居候させてもらうことにした。テキサス州のテンプル。田舎の中都市Denverとは趣の異なる住宅地。隣の家との垣根はない。キャバーサス家のように裏庭を塀で囲ってもいない。その分広々とした雰囲気。通りの名前が和む。ロビン・ロード。こまどり町だ。今にもこまどりのさえずりが聞こえてきそうな爽やかさ。
 「明日はヒューストンへ出かけますよ」
 行きたい都市の一つだ。この足で歩いたアメリカの街は20を下らない。勿論このヒューストンもその中に数えられることになった。
 その次の日の朝。私の処女作になった書籍には詳しく書いたが、この度は悲しい目的へと急変してしまった。
 車に乗り込む。2人の子供はそれでもウキウキ気分が抜けない。友人のドンとバーブは口数が少ない。それでもしばらくするとバーブの口が滑らかになって来る。途中、銀行に寄る。100ドル紙幣を手にしてドンが銀行を出てくる。
 「こんな大金を手にしたのは久しぶりだよ。なくさないようにしなくっちゃ」
 彼は私の顔を見る。あまり笑顔を見せない男だ。その彼が珍しく顔をしわくちゃにして笑った。現金を手にして少しばかり気分が晴れたのだろうか。久しぶりに手にした100ドル札を大事そうに、ズボンのポケットに入れる。

小切手

(ISU留学時のテキサス探訪については独立した記事としてそのうち公開しようと思い立っている。その折には「記事紹介①~⑦」のいずれかでお知らせする予定にしています)

 私の2度目の留学先は、インディアナ州のテレホートという町にあるインディアナ州立大学(ISU)であった。7月末に私が勤めている同じ学校法人の短期大学からの留学生を迎えることになった。
 受け入れ側の責任者であるスミスという教授(仮名)が、私に頼みがあると言ってきた。
 「彼らが着いたら早速銀行に連れて行ってください。お金を全部チェックにするように言ってくださいね。でないとお金を失くすことになりますから」
 私の場合は小銭以外は全てトラベラーズチエックにしておいたが、それでも到着した翌日に当座預金の口座を作った。おかげで随分便利した。
 大学のブックストアにチェックを持って行く。キャッシュにしてくれと頼むと、学生証を提示するだけで換金してくれる。だから5ドル、10ドルという少額に変えてもらったりした。小切手で2ドル程度の買い物までしたことはしょっちゅうだ。当時は、当座預金にも若干の利子が付いたものまでできていた。私がいた頃は、普通預金の利子が8%から9%だ。当座預金の利子が3とか4%とかで宣伝していた。

事件発生発生

(この事件については「留学ってきつい、楽しい その1」〈2022.4.2公開〉で同じ事件について書いている。同じ事件だが文章が違うので較べてみるのも面白いかもしれない)

 ミシガン大学にいた時にも思い出がある。
 寮のキャフェテリアでのことである。3,4人でおしゃべりをしながら食事をしていた。すると隣のテーブルで一人で食事をしていた日本人が大慌てだ。どうしたのかと聞いてみる。
 「今ちょっとトイレに行って帰ってみると、テーブルに置いていたものが無くなっているんですよ。残っているのは小切手帳だけなんです。カメラやテープレコーダーがないんです」
 「勿論どちらも日本製でしょ?」
 「この国で自分のものから目を離すなんてうかつですよ。諦めるよりほかないでしょうね。一応、レジデンス・オフィスにでも届けてみるよりほかありませんね」
 私たちもつれない。他にどうしようもないのだ。アメリカで絶対にやってはいけないことをしたのだ。高いお金を払って勉強したと思うよりほかないのだ。あとで聞いたのだが、財布も置いていたらしい。気の毒なことだった。

Tシャツの穴

 「あなたはアメリカ人と同じですね。あなたの生徒さんたちとは大違いですよ」
 さっきのスカートをまくり上げて熱弁をふるった女性がまた近づいてきて話しかけてきた。私は何のことかと肩をすくめてみせる。友達も一緒だ。かわいい赤ん坊を連れている。
 「わーっ、可愛いですねぇ」
 「まぁ、ありがとう」
 嬉しそうににっこりとして赤ん坊を見せてくれる。目鼻立ちのはっきりした顔が輝く。例の女性の方をみて満足そうだ。
 「あなたのTシャツはアメリカンだ」
 Tシャツの穴の開いている部分に指を差し込む。日本製だ。私が気に入っているTシャツで着古している。色もせきっている。それでもわざわざ持って来たのだ。
 「みんなとてもいい服を着てるじゃない。私のなんかはそばにいると恥ずかしいくらい」
 始めから気が付いていた。生徒があまりに上等の服を着ているので、こちらが恥ずかしいくらいだ。自分ではなくてアメリカ人に対してだ。
 ディナーパーティーと勘違いをしているような服装。アメリカ人は安そうな普段着にジーパン。生徒はとみるとシルク。生徒の服はつやつや輝いている。ホストファミリーのは、つやがない代わりに皺だらけだ。それでも誰一人自分の着ているものに劣等感を感じていない。むしろ生徒の服装を奇異な目で見ている。
 貿易収支の赤字が大きな問題になりつつあった頃だ。その大半の攻撃目標が日本に向けられつつある頃だ。
 「日本人は毎日あんな服を着ているの? いろいろな街から日本の学生がホームステイにやって来るけれども、どの子もどの子も素晴らしい服を着てるのよ。そして毎日とっかえひっかえ、まるでファッションショーみたい。だから、あなたは私たちの味方よ」
 いつそれを言われるかと思って、内心はハラハラしていたのだ。
 「本当にすごいわね。わたしなんかはよほどの時しかいいのは着ないのよ」
 珍しくメキシカンが口を利く。
 彼らがおしゃれをしていく場所は教会だ。ここは彼らの社交場だ。ジーパンも結構見られるが、ピカピカのおしゃれジーパンだ。青年にしても、そこが彼らの伴侶を見つけられるかもしれない場所なのだ。だからおしゃれをする価値がある。でなければ普段着で結構だと考えるはずだ。
 そろそろホストファミリーのカウンセリングも終わりに近づく。テーブルの食事も大分片付いてきた。もう少しおいしいものを食べようとする。目当てのものは品切れだ。みんなおいしいと思っていたのだ。仕方なくサラダを盛る。かろうじて一枚だけ残っていたローストビーフを皿にのせる。
 ジャニスの挨拶がウェルカムパーティーの終結を告げる。ホストファミリーたちが自分たちの運んできたものを片付け始める。あっという間に元の公園に戻る。ゴミはひとまとめにされる。初めのようにまた三々五々それぞれの家族が家路につく。2時間かそこらの間に、知り合いがたくさん増えてしまったと感心させられる別れの挨拶。握手攻めだ。硬い握手が相手への親しみを伝えるのだ。
 車の立ち去る音。生徒たちはまたみなとしばしの別れとなる。
 「また日本語を使えないね」
 「明日まで頑張ろうね」

完 (2022.12.1)

( 次は「ワクワク ホームステイこぼれ話 3」です。
 または・・・留学中の冬休みに過ごしたテキサス州ヒューストンの稀有な体験をした記録を書きます。または、両者を同時に書き進めるかもーー気分次第 どちらにしても「記事紹介①~⑦」のいずれかでお知らせを致します)


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?