#16 考えたことの証
社会人1年目の日記 16日目
こんばんは。だつをです。
テレビ番組やTwitter、読書、それにnoteなど、私たちはさまざまなものを通してたくさんの人のたくさんの意見を知ることができる。
その意見の中でも、自分が前々から考えていたことが今さら取り上げられているということがよくある。
でも、それを取り上げられてから発信したところで周りからは後出しジャンケンのように見えてしまう。
それでもやっぱり、あーあ、それ自分も考えていたのになって思ってしまう。しかし、それが事実かどうかは自分にしか分からないし、もしかすると自分が考えていたと錯覚しているだけかもしれない。実は少し似たようなことは考えていても違う考えだったかもしれない。
でも、こうしてnoteを書くことや日記をつけることはある時点においてそこに自分の考えがあったことの証となる。たとえ、今の意見と異なっていたとしても。
一般人がこの時、ある事象についてこういう意見を持っていたかどうかなんて、正直どうでもいい。けれどそれに拘ってしまう自分は確かにいる。ミーティングで自分の考えていたことを他の人に言われたような感覚だ。
だから周りからいくら後出しジャンケンだと言われようと、自分は自分の意見を持っていたと胸を張って言えるように、頻度は落ちようがなんだろうとこのnoteは続けていきたい。
それでは、また明日。
少しでも心に引っかかったらサポートしていただけるとありがたいです。それだけでずっと書き続けることができます。自信になります。