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「自分らしさ」に囚われない

 CMは、「『自分らしさ』を取り戻す」と繰り返す。それがどんな意味を含んでいて、何故使われるのかを、気づいたら考えずにいてもいいなんて、あんまりじゃないか。なんてこと、商品が売れる事が大事な人にとっては、きっと重要じゃない。

 電車の優先席あたりの脱毛広告。学生を狙ってか、割引されていた。後は、指環のラグジュアリーだったり、人生の一度キリの体験だったり、旅行だったり、それらが「自分らしさ」を作りますよと訴えている気がする。「モノ」から「コト」へ、みたいなことなんだろう。

 でも、「自分らしさ」って何なのだろう。これはここ数十年で語りつくされたことなのかもしれないけど、ちゃんと考えてみたくなった。

 キーワードとして思い浮かぶのが、「他人の軸に囚われない」とか、「自分を貫く」だろう。自分を律して、自分の基準で生きていく、みたいなことだろか。そりゃ、大層なことだと思う。

 もう男女という二項対立で語る時代ではないから、自分のどんどん稼いでいくという行動とか、恋とか結婚とかも、周りに流されてはしないとか。でも、安易に他人に依存しないということではないと思う。

 どうしても自分だけじゃ生きていくことが難しい時ってあるでしょ。急に仕事がなくなったり、養ってくれていた親がなくなったり、まぁ都合は色々。だからこそ、独りで生きていける能力は持って居ようってことなんだろうけど、そこで誰かに頼れることも大事だと思う。

 そこで、「自分らしさ」って、極論を言ってしまうんだけど、私は要らないって思った。敢えて言うとだけど。例外やグラデーションはある。「自分らしさ」を、「自分を最優先にする」という前提におくとしたら、私には合わないなぁと思ってしまう。

 そもそも、私たち人間は「社会」の中で生きてる。弱い者同士が集まって、お互いを支え合うために。

 でもさ、別にお洒落に着飾ったっていいんだよ。歯列矯正をして、素敵な笑顔を目指していいし、お肌をつやつやにするために化粧品も必要だと思う。脱毛して、キレイでいたいという思いも否定されていいとは思わない。体を鍛えて、健康寿命を延ばすのも万々歳。一緒に居る人を選んでも問題ない。

 そこに、「他者を思いやったり、慮る気持ち」があるなら。

 自分らしさの追求が、他者を阻害したり、蹴落としたりしない限りにおいてなされるなら、私は大いに構わないと思う。これが極論になると、「他人への思いやりを忘れる自分らしさの追求」なんて要らない!ということになるのかなと。

 自分らしくいたい!のが悪いわけじゃない。それをあおってくる広告は嫌だけど。人によるだろうて。ただ、自分自分を考えすぎて、支えてくれている周りの人をないがしろにしたなら、それは自分がないがしろにされても文句は言えないと思うのだなー。

 車の運転と一緒。譲り合いが大事。自分先行ではなく、「相手もどうぞ」という心の余裕があれば、私は人としてもう立派だと思う。誰かに親切にすれば、周り回って自分に帰ってくる気がしない?そう考えると、「情けは人の為ならず」っていうのも、金言だなあ。

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