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【別れ】を選んでよかったこと

自分で選んでよかったことをテーマに…と思って、思わずこれだ!と思って書き出しました。


断捨離は人間関係にもあること。

仏教では「執着を捨てよ」という教えがありますが、今は文言を変えながらも、余分なものを手放す動きが再起しているように思えます。

バブル期に「消費は美徳」の価値観が浸透されましたが、バブル崩壊、リーマンショック、自然災害、増税等の不幸な出来事が、バブル期の価値観から今の価値観へと変遷されつつあります。

いくら経済的にカツカツと言えども、たまには奮発して贅沢したいという気持ちは失っていませんけどね。。。


執着を捨てよ


執着を捨てよ。

元々は、あの世に行ったら財産は持っていくことが出来ないという理由があるこの言葉。

私は仏教徒ではないので、仏教の教えが云々という話は割愛します。

特に現代人はお金に対する執着が強いですよね?

お金がないと生活が出来ないから、これは致し方ないことですけどね。

しかし、執着とは、「多額の財産を所持することに執着する」だけに限ったことではありません。

大手企業に長年勤務し、部長クラス以上の肩書を獲得し、世間から一目置かれる存在となった。

自分の子供を自分の所有物だと思い込む。

車でショッピングセンターに行けば、店舗入り口の近くに車を停めることに拘る。

一方的に別れを告げられた元恋人に、どんなに嫌がれようと、関係を取り戻したい。

独特の信条、固定観念。


この他にも執着として思い当たるものは沢山あると思いますが、以下のものも執着なのでは?と考えてしまうのではないのでしょうか。

  • 本当に出会えて良かったと思える友人

  • 家族や友人との思い出

  • 旅先で巡り合えた素敵な出会いや風景、思い出

  • 勤務条件がそこそこ良く、人間関係に恵まれた職場で働くことが出来たこと

執着を捨てよと言われたから、これらも忘却しなければならないのかと言うと、そんなことはないんです。

自分の固執したいものでも、お互いがウィンウィンで癒される関係であれば、心の財産として残しておいても良いと思うんですよね。


一方、自分の地位や名誉、子供の私物化、会社の私物化といったものは、執着する者にとっては有利にはなるものの、相手にとっては不快なものが数多くあります。

これらはあの世に持っていけないものでもあるという点でも一理あるのですが、この執着は相手を傷つけるとともに、本人も傷つけるものなのです。

社会的地位は特に当てはまります。
大企業に40年勤務して管理職の肩書を得られれば、権威性はあるし、周囲は大企業の管理職と聞いただけで当人を一目置きます。

しかし、当人が定年退職を迎え、一般時になった途端に「ただのおっさん」となってしまい、周囲から掌返しを受けます。

独立開業をしたら失敗したというのでよくあるのがこのケースです。

また、子供が大きくなって独立し家を出た時、「心にぽっかり穴が開いてしまった」という親御さんもいます。

もし、思い当たる節があるとすれば、貴方は毒親の可能性がありますよ…

…と言われると、親としてショックなことかもしれませんが、これは、子供に対して精神的に依存している可能性が大きいのです。

親に依存された子供は、自然なふるまいが出来なく、健全に育っていきません。


とは言うものの、執着を捨てなければならないと極端に戒律的になることも、結局自分の首を苦しめるだけになります。

最終的に悩み、苦しむという良からぬ結果にコミットしないように…

だから執着を捨てよと理論づけられるのでしょう。


別れとストーカー

これは本当に選んでよかったと思ったいう話です。

20代の頃…考えれば今の年齢の半分の頃です(笑)。

当時、その相手とは3年以上付き合っていました。

その年の夏の終わりに、遠方へドライブに行った時のことです。

日中、車内の会話は弾んでいたのですが…

帰りが遅くなり、夕飯を食べるために飲食店を探したが、閉まっている店が多く中々見つかりませんでした。

この時、相手は「休む店側がバカなんだよ!」と子供がだだをこねるように暴言を吐いて怒り出したんです。

このようなことは何度もあったのですが、この時は堪忍袋の緒が切れてしまい、「この人の子供っぽいところは一生治らないし、これから長く付き合うことになれば、自分も堕ちてしまう」と判断し、別れを考え始めました。

そして、その年末の冬に分かれを打診しました。

が…

その話を一向に受け入れてくれない上に、家にも帰してもらえません。

「性格を変えるから、付き合って下さい!」と。

しかも、こっちはストレートに別れたい気持ちをぶつけているのに、相手は私が自分に嘘をついていると解釈しているんです。

自分の性格を解ってもらえなくて悲しくなりましたね…

言っても無駄だと思い、その場を去りました。

(後日、相手と車で鉢合わせになり、尾行されましたが…)


…と、当時の別れの状況をざっくり掻い摘んで書きました。

その後の出会いが思う通りにいったかと言えば、そうではありませんが、この別れを選んだことは、間違っていないと確信しています。


良からぬ執着の原因

  • 大手企業に長年勤務し、部長クラス以上の肩書を獲得し、世間から一目置かれる存在になる

  • 自分の子供は自分の所有物だ

  • 店舗入り口の近くの駐車場は自分のものだ(身体に障害がある場合を除く)

  • 一方的に別れを告げられた元恋人に、どんなに嫌がれようと、関係を取り戻してやる

  • 私の意見はとにかく正しい!私に反する者は悪だ


執着は上記以外にも該当するものがありますが、このようなものは当然ながら相手を不幸にするものです。

が…

自分自身を傷つける行為であること先述しました。

何故、しっぺ返しを喰らうのかとういと、自分勝手が故に周囲との不調和を招くからです。

自分勝手…つまり、精神年齢が低いということ。

それと同時に、一人の人間として自立できていないから、このような執着を起こすのです。

社会的地位を獲得しているから、立派な大人じゃないの?

って反論する人もいるかもしれませんが、残念ながら彼らはコトナなんです。

社会的地位を獲得し、世間から一目を受けている人が独立すると、何故、堕落するのか?

独立して事業に失敗するという話は、よく耳にすると思いますが、これはメディアの洗脳手段としてこのような報道を流している場合があるのです。

  1. 庶民には企業に就職することがメリットが多いと思わせ、企業に上手く搾取されるように導く

  2. 会社で強制健康診断を受けて引っかかれば病院受診を強要して、検査や薬物処方に繋げ、一部の者達が利益を得る

情報を収集したら、その情報がどこまで真かは、自分の頭で考える…のこの世の中なんです。


社会的地位を獲得してマウントを取る奴も多いけど、わずかに謙虚な人も存在します。

ところが、この事業失敗のリスクは両者にもあるわけです。

これは心がキレイだから、汚いからとかは関係なしなんです。


私は会社に頼っていないと生きていけない。

実は、この価値観が執着を呼び、自身を不幸に追い込んでいるんです。

自身と顧客との信頼関係を構築することよりも、会社の方針に忠実に従い、会社のお偉い方から認められ、出世して安定した収入を得ようとする考えを優先すれば、上司に可愛がられ、何かトラブルに巻き込まれそうになった時は守られます。

しかし、このような価値観を持つことは、会社に依存する生き方になり、どんなに社会人経験が豊富なベテランで優秀な人材であっても、本当の意味での自立にはなりません。

今や個人の時代に移行していますが、時代のトレンドに関わらず、クライアントに誠実に対応し、一人の担当スタッフとして信頼関係を育み、問題が生じたら早急に対応し、お客様から見たら、この人に末永くお付き合いしてもらいたいと思える程の姿勢で臨むことが、自立した人間がとるべき態度なのではないのでしょうか?

相手にマウントを取るのは当然ながら論外ですけどね💧


毒親問題でも、その魂胆は親が自分の子供に依存していたり、本来親が解決すべき問題を子供に投げつけていると、このような執着が発生します。


ところで、駐車場が云々という話は自立した大人とは関係なくね?って突っ込む人がいるかもしれません。

混んでいる商業施設で、店舗の近くの駐車場に拘る人ってよく見ると思いますが、このような人は「自分さえ良ければ他の人が犠牲になっても良い」という考え方があります。

中には世帯持ちで自分の子供がいる人もいるわけで…

「子供を作って親になった人が大人だ」という価値観を持っているアホも世の中にいるのですが、これが精神年齢の高い人の行動なのかは、各自考えて下さい。

ここにもある種の依存があるわけです。

それは大変なことはだれかにやってもらえばいい…

親に甘やかされて育てれた証拠なんです。

おねだりをすれば何でも買ってくれる。
人に迷惑をかけたり、相手に意地悪をしても叱られたことがない。
要望を言えば何でも願いが叶う。

こんな教育を受けて、人から注意されれば、暴言、暴力で自分の保身に走ります。

一見強いようで、実はノミの心臓ってやつ。


それでは、私の意見はとにかく正しい!私に反する者は悪との価値観を持っている人は自立した大人ではないのか?

結論を言えば「自分は正しいと思い込む」ことと「自分を持っている」とは全くもって別のものです。

両者の間には、精神年齢に大きな違いがあり、前者は精神的に稚拙です。

そこには「自分さえ良ければいい」「自分の思う通りにしたい」という魂胆があります。

これが上手い具合に自分の思い通りに現実化しているのは、当人がサイコパスであり、話術力に長けているからです。

一見筋の通ったことを発言するけど、思い返してみると、叩けば埃が出るように言動の矛盾が見られます。

もし、自分の思うようにいかないことが発生した時に、「自分を持っている」人は臨機応変に対応しますが、「自分が正しい」の人間は、思うようにいかなくなると癇癪を起し、酷い場合は相手にとんでもない暴言を吐きます。

更に「自分は正しい」の人は、世渡りが上手なので、管理職にまで出世出来る人も多く、その社会的地位に依存します。


結局、良からぬ執着心を持っている人に共通するところは、何かに依存しているから故に、立場、年齢関わらず、一人の人間として確立されていないということなのです。


人間関係の断捨離

人生は出会いと別れの繰り返し。

理想の出会いと言うけれど、自分にとって不快な出会いもあるものです。

良い出会いに巡り合えるように、自分を高めなければ…と思っている人もいることでしょう。

でも、自分の心のコントロールって案外難しいものであり、あまり関わりを持ちたくない人を引き寄せてしまうことがあります。

これが自然消滅すればそれに越したことはありませんが、自分から関係を断ったにも関わらず、関係を固執されることはツライもの。


10年以上前に、あるSNSに登録していた頃、私は沢山の人との良い出会いがありました。

遠方の人が多いので、直接会うことは難しいけど、周りは素敵な人が多かったし、仲良くなった人とは直接メールのやり取りもしました。

中には同級生ということがきっかけで知り合った人もいました。相手は沢山フォロワーがいる人気のユーザーでしたが、私とは親友のような関係でした。

しかし、仲良くなったユーザーの一人が当該SNSを退会してから、私を取り巻く環境が変わりました。
記事を更新してもフォロワーが増えないし、私に絡むユーザーの質が落ちたりと…

そんな中、私に何度かオフ会の誘いのメールを送ってきた人がいました。その人はフォロワーは多いですが、私はあまり絡みがなかったので、スルーしていました。…が、別のユーザーからのお誘いを通してオフ会に参加したら、私にお誘いをかけた人も一緒に参加していたんです。(たまたまなんですが…)

このオフ会のメンバーとは2度会いましたが、2回目に会った時に何故か違和感を感じてしまったんですよ…(2回目の時はオフ会のメールを送ったユーザーは参加していなかったが)

何故か?

何か嫌な事をされたわけでもなかったんです。

2度目に会った時に、何故か?今まで仲良くなっていた人が私から離れてしまい、周囲の人間関係がすり替わってしまうのではないかと、不安にかられました。

この時、ふと、あの時のオフ会のメンバーが、某オレンジ色の球団のように寄せ集めであることにうすうす感じたのです。

私もある種のドラフトを受けていたし、私の周りの人気ユーザーも寄せ集めって感じで…

当時は何の根拠もなく違和感を感じていたが、人工的で人気ユーザーに依存した仲間の寄せ集めに何等かの嫌悪感を抱いていたんだなーと今になって思いました。


結局、このサイトは退会し、今は一切関わっていません。

しかし、当時の私にはある種の執着があったのです。

それは、私より先に退会した、仲良くなったユーザーのことだったんです。

このユーザーには本当にお世話になり、辛い時には話を聞いてもらっていました。

相手は昭和47年生まれ、所謂R35世代であり、ジェネレーション的には私とほぼ同じ。私は当時R33でしたが…

本人が当該サイトを利用していた時は、メールのやり取りを頻繁にしていたし、いずれリア友になるのではないかの勢いだったんですよ。

実はお互いに「好き」を伝えた関係だったので…

しかし、相手がサイトを退会してから、関係はだんだんと薄れ、やがて、こちらからメールを送っても相手からは返信がありませんでした。

(このユーザーがサイトを辞めた理由には複雑な背景もあったのですが、ここでは割愛します)

「好き」を伝えてくれたのに何故?

思い返せば、当人がいたから、あのサイトを楽しめた…との依存があったのでした。

時が経った今では、復縁よりも、本人が順調に生活できていればそれで良しと考えています。


違和感に気付く…これが自分にとっての環境整備

環境整備というと部屋の片づけのイメージがあるかもしれませんが、人間関係、心の面でのいる、いらないの仕分けをすることで気持ちの整理に繋がるんじゃないかなーと思います。

日本人の多くが「~しなければならない 」の価値観のもと、理不尽な状況に適応し、自分が可愛がられようと保身に走ります。

また、相手が合わない人間であろうと、何とか合わせようと努力をしたり、欠点を直さなければならないと思い、義務感を伴った努力をします。

これは、子供のころから、長年の義務教育を受けてきた結果の現れでもありますが、これを解放して自身の道を切り開くことが、良い結果に繋がることが多くあります。

自分にも相手にも、ついて良い嘘とついてはいけない嘘があります。

でも、その根本は自分を許すことから。

周囲の調和を乱すものに巻かれても、結局自分が分からなくなるだけなんです。

自分はもっと気楽に生きていいんだ…

この気づきが自身の解放とともに、環境整備にも繋がります。

違和感を感じるというのは、心のどこかで自分に嘘をついているシグナルかもしれません。


今だに、20代の頃に付き合っていた交際相手と別れて良かったと思っています。

続けたところでお互いが苦しむことになり、心が縛られたまま、年齢を重ねてしまったのかもしれないので…


#自分で選んでよかったこと

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