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琵琶湖一周 未遂旅 #1(近江八幡編)
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関西の水がめ・滋賀県の琵琶湖には、湖の縁を沿うように3つの路線が走っている。京都から長浜を結ぶ琵琶湖線、長浜から敦賀以北を走る北陸本線、敦賀から京都を結ぶ湖西線である。別称「琵琶湖環状線」とも呼ばれるこの3路線を今回は途中下車ししながら一周する。
戦国時代の情景を思い浮かべるも、こどもが飛び出してきてごちゃまぜに
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まず途中下車したのは近江八幡駅。
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この街は豊臣秀吉のおいである豊臣秀次が城下町を築き、商業都市として発展してきた街で近江商人の発祥の地でもある。その時代の街並みが令和の現世にも残っているので見に行くことにした。駅からは離れているのでバスに乗って10分。新町バス停で下車。
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訪れたのは朝の8時。朝の自然な空気が流れ、まだ人通りが少ない中を散策する。
そもそも八幡堀が作られたのはどういった経緯なんだろうか。とウィキペディアを読んでみたが、いまいちよくわからないのでそのまま受け売りすると・・・。
安土桃山時代に豊臣秀次が八幡山城を築城した際、市街地と琵琶湖を連結するために造られた。城下町の都市計画として整備され、城を防御する軍事的な役割と、当時の物流の要であった琵琶湖の水運を利用する商業的役割を兼ね備えた。八幡堀により船や人の往来が増えたことで商業が発達し、八幡山城廃城後の江戸時代には、近江商人(八幡商人)による町の発展に大きな役割を果たした。
とのことらしい。
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学生時代に歴史の授業でよく寝ていたことを後悔することにして、石畳と色づいた木々がを見渡すと、幕府があったころの街並みを想像することができる。きっと活気にあふれた街だったんだろう。この水路を活かして時代劇のドラマ撮影も行われているらしい。ロケハンの人が惹かれるのもうなずける、きれいな風景であった。
八幡堀を離れてバスの停留所に戻ろうとしたする、スマホを取り出し、時間を確認していると、私の視覚にこどもの看板が飛び出してきた。
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・・・うなぎをつかんでいる理由は分からないが、この看板、通称飛び出し坊ややら飛び出し小僧やらとび太くんやらいろいろと呼ばれているが、この看板の発祥も滋賀県である。設置数も日本一らしい。
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特に近江八幡市を中心とする周辺の街では町おこしの一環でいたるところにデザイン性がある飛び出し坊やが設置されており、飛び出し坊やを収集するサイトまである。世の中にはいろんなひとがいるんだなぁ。
つぶらで大きな瞳の坊やが、きょうも日本の交通事故を防ぐために活動している。ていうか、まずうなぎがどびさないように頑張って押さえないと。飛び出し坊や君。
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