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愛しき牛と消費される牛、貨幣経済と貧困の出現 #2【カラモジャ日記 24-03-23】

この文章は #1 に続くものである。
https://note.com/tabatytabaty/n/n90d5fef442c6

貨幣経済の浸透だよ。誇りだった牛は市場で売り飛ばされる牛になった。そして、貧困の時代が始まった

 彼の表現はいささか文学的すぎて、僕はその意味を咀嚼するのに時間がかかった。そんな混乱した僕の目をじっと覗き込んで、ブライアンは長い話を始めた。

「ずいぶん昔のことだ。僕が小さかった頃('90年代後半か)、親からは周囲の民族間で、激しく牛を強奪し合ってきたという小昔話を聞かされた。所有している牛の数が多い方が、偉くてかっこいい。だから盗みの動機には、文化的な誇りが深く関連していた。家畜の強奪は確かにあった。それは間違っていない」
「それは間違っていないけど、正しくもない。と君は言いたい」と僕は確認するように訊いた。
 ブライアンはこっくりと首を一度だけ縦に揺らして言った。「'90年代はまだ、貨幣経済が今ほど浸透していなかった。今でも思い出せるのは、銃弾がお金のように使われていたことさ。母親が食料を買うために、銃弾を支払うのを見た記憶がある。一つの銃弾が、今でいう1,000シリング(40円)の役割を演じていた。最も、食料とお酒、家畜と銃弾など物々交換は頻繁に行われていた。もちろん貨幣だって今ほどの存在感はなかったけれど、確かにそこにあった」

「状況の変化を身にしみて感じるようになったのは、'00年代初頭、小学生にあがった頃だ」ブライアンは一瞬顔をしかめるようにして斜め上を見上げた。何かを思い出そうとするように。そして彼の表情は、確信に変わった。右手の人差し指を立てて、僕がちゃんと彼のリズムについてきているのを確認し、話を続けた。

「'00~03年頃、状況がひどくなった。窃盗団は銃を片手にあちこちで、牛を盗んだ。盗まれたら、盗み返すという強奪の連鎖が音を立てる暇もなく、広がっていった。それは貨幣経済がしっかりと地域に浸透していった時期と重なっているんだ。
 『昔の強奪』と、この頃から顕著になった『今の強奪』には決定的で確信的な目的の違いがある。牛を盗む動機は、牛を所有することへの誇りという伝統的なものではなく、生活に困った人々の生存手段になっていた市場経済の波の中で、奪った牛をすぐに市場で売って現金に変えられるようになったからね
 ブライアンは熱くなっていた。額から流れる汗が農作業によるものか、熱の入った語りによるものか、僕には見分けることができなかった。そもそも見分ける必要なんてなかったと思う。

 ブライアンがまだ幼かった'00年代初頭、ウガンダ政府もカラモジャ地域の武装解除 (銃の回収)を進めようと、国軍兵士を派遣し、カラモジャへの介入を強めていった。
 しかし、それはある意味で、さらなる混乱をもたらした。ある論文においては、介入した国軍が窃盗団に銃を転売したり、家畜の略奪にも関与し、地域内の暴力の火に油を注いだという見解がある。また政府としても、厄介な遊牧民の力を弱めて、なんとか国の一部としてカラモジャを支配したいという目論見さえあったとも言われている。

「貨幣経済の時代が来る前は、僕たちの両親、いやもっと前の先祖たちは、文字通りのその日暮らしをしていた。動物は長い時間にわたってミルクや血、肉を提供してくれる。ミルクも血も肉も、家族みんなで分け合っていた。今みたいな恒常的な飢えを口にする者なんていなかった。
 いつからか、貨幣が強い力を持つようになった。牛がお金に換金されるようになった。所有者は牛を売ってお金に変える。現金があれば短期的には豊かになれる。でもそれはすぐに尽きてしまう。家族は飢える。牛を所有しない者は、今までありつけていた恩恵さえ受けられなくなっていく。
 するとまた、牛の強奪によってお金を稼ごうとするものが増えてくる。これは誇りではない、サバイバルだ。こうして、牛の強奪は収集のつかない連続的なものへと変化していった。昔はもっと、足るを知るを実践するような生活だったんだ。動物がいたら、食べ物には困らなかった。近代化がいろんなものを変えた。文化、生活、牛の価値。そして、貧困・・・」

 僕はただ黙って、近代化の波が遊牧民のライフスタイルを飲み込んでいくさまを想像しながら、彼の話に耳を傾けていた。灼熱の太陽を浴び、顔を赤く染めながら。首筋を滴る汗を土の匂いにまみれたTシャツの袖でぬぐいながら。

 政府は、カラモジャの治安を安定させるという名目のもとで、大量の国軍兵士を送り込んだ。牛たちを駐屯地近くの囲いに閉じ込め、それらを兵隊が囲った。 彼らを除く誰も牛を盗めないようにと。

「兵士が投入されるようになって、問題はある意味でエスカレートしていった。牛を盗むことができない窃盗集団は村々の襲撃や、殺人などの一般犯罪にも手を伸ばしていった。人々の生活はより苦しくなった」とブライアンは熱のこもった教師のような口調で言った。
「そして生きるために必要な食が満たされない状況がさらなる暴力の連鎖を生み出している。今日そうであるように」と僕は確認するように言った。
 ブライアンはまた、静かに頷いて話を続けた。「ちょうどその頃だったかもしれない。食料援助を実施するNGOが地域においてプレゼンスをあげていったのは。もちろん今よりも随分と小さいスケールで、団体数も限られていた。でも蓋を開けてみれば、今や援助団体が配る食料なしで、人々は生きられなくなっている」

 エネルギー源となる飲食を提供してくれた動物たちが減り、人々の生活は苦しくなった。ショックに耐えられなくなった。そして現れた貧困という現象が人々を襲い、飢餓が蔓延した。

 彼の話は複雑な現象の中の一部を切り抜いただけに過ぎない。事実はもっと複雑だと思う。それでも本当に大事なところを、つまり問題の核心に極めて近い部分を、彼の言葉は荒削りながらもしっかりと捉えているように僕は感じた。

「君は繰り返し、貨幣経済の負の側面について熱弁してくれた。昔の生活に戻りたいと思うかい?」と最後に、僕はブライアンに尋ねた。彼の答えは少しばかり意外だった。
「ああ、もっと昔に生まれていたらそれはそれで豊かな日々があったと思う。ただ」とブライアンは言った。「昔に戻りたいと思ったことはないよ。今の生活のほうが断然便利だからね

* * *

 この文章で僕は、ブライアンの語りに沿うようにして、近代化、資本主義、開発に対して否定的なスタンスをとっている。だけどこれは、僕が開発を全否定して原理主義的な妄想を語りたいというわけではない。
 ただ、僕たちをとりまく資本主義社会の常識の中には、僕たちが知らないこと、知ろうとしないことがたくさんあるんじゃないだろうか、と問いたかっただけだ。そういうことを、職業として国際協力関わる中で、僕はよく感じている、という話だ。

わたしたちがもうたっぷり知っていると思っている物事の裏には、わたしたちが知らないことが同じくらいたくさん潜んでいるのだ。ー(中略)ー 理解というものは、常に誤解の総体に過ぎない

村上春樹著「スプートニクの恋人」より引用

散々人文科学的な話をした後に、村上春樹の小説を引用するなんてプププ。誰かの笑い声が聞こえてくる。いいんです、これが僕なりの精一杯の表現だから。

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