反日民族闘争史にはっきりとした 足跡を記した3・1人民蜂起


朝鮮人民が日本帝国主義の軍事占領に抗して展開した3・1人民蜂起があってから102年になっている。

20世紀初、朝鮮を軍事占領した日本帝国主義は至る所に殺人的な暴圧機構を大々的に設けて無辜の朝鮮人を手当たり次第に逮捕、投獄、虐殺し、朝鮮全土を一つの巨大な監獄、生き地獄にかえた。

朝鮮人民の積もりに積もったうっ憤と憤怒は1919年3月1日、ついに全民族的な反日蜂起として爆発した。

3 月1 日、平壌では正午の鐘の音を合図に数千人の青年学生と市民が将台丘にある崇徳女学校の運動場に集まり、「独立宣言書」を朗読し、朝鮮が独立国家であることを厳粛に宣言した。そのあと、「朝鮮独立万歳!」「日本人と日本軍隊は帰れ!」というスローガンを叫びながら激烈な街頭示威を断行した。

3・1人民蜂起の炎は平壌とほとんど同時に平安南道と平安北道、咸鏡南道など、各道、市、郡でも燃え上がった。

全国の13の道に拡大された3・1人民蜂起によって朝鮮全土は日本帝国主義の植民地支配に反対する闘争の場と化した。

蜂起は4月上旬に絶頂に達し、5月末までの期間にその数は200余万名を数えた。

デモ闘争は国内だけでなく、中国の東北地方と上海、沿海州、ハワイなど朝鮮人の在住していた海外の各地域にまで波及し、その余震はその後ほとんど1年間続いた。

日増しに高まる人民の闘争気勢に不安を感じた日本帝国主義は朝鮮駐屯日本軍師団と憲兵、警察を動員して蜂起を無差別に弾圧した。

3・1人民蜂起は日本帝国主義の過酷な弾圧によって失敗したものの、日本帝国主義の植民地支配に甚大な打撃を与え、外部勢力の支配を断じて許さず命を賭して抗する朝鮮民族の高い自主精神と愛国的気概、不屈の意志をあまねく誇示した一大壮挙として朝鮮人民の反日民族闘争史にはっきりとした足跡を記した。

2021-03-01

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