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青島中国人民解放軍海軍博物館参観レポート②

前回の屋内展示から、今回は館内展示へ。

入ってすぐの吹き抜けの下にはJ-15、おそらくこれから作られるであろう中国の空母コーナーの目玉であろう。

おそらくZ-9C、AS 565 パンサーをライセンス生産し、改良を加えた対潜ヘリコプター中国人民解放軍海軍航空隊に配備。

第一展示場、社会主義革命と建設の時期

中国共産党が団結して中国人民を率いて28年間血を浴びて奮闘し、新中国の曙光が東方地平線に現れた。1949年4月23日、中国人民解放軍初の海軍部隊である華東軍区海軍が江蘇省泰州白馬廟に設立された。1950年4月14日、海軍指導機関が北京で設立された。人民海軍は中国共産党中央、中央軍事委員会と毛沢東の指導の下で、自力更生、奮起してつとめ励む革命精神を発揚し、作戦、建設、発展を堅持し、現代化された、攻撃及び防御力に富んだ、沿岸防衛の海上戦力建設に力を入れ、海軍航空兵、潜水艦、魚雷艇などの「空、潜、速」を主とする作戦力を発展させ、沿海の島の解放、反襲撃、反偵察、米軍機の侵入を防ぎ、占領されている諸島の奪還などの作戦を勝利裏に行い、国家主権と領土保全を断固として守った。人民海軍は徐々に海上から空中、水面から水中、海岸から島までの比較的完全な防御システムを形成し、海軍建設の発展のために堅固な基礎を築いた。

入口。

毛沢東が1953年2月20日に長江号の艦上で書いた言葉。
“为了反对帝国主义的侵略 我们一定要建立强大的海军”。
「帝国主義の侵略に反対するためには強い海軍を作らなければならない」

毛沢東の洛陽号の視察写真。

初期の海軍艦艇上で書かれた毛主席の題字。

さすがに字がきれいである。

早期の模索と実践。人民解放軍海軍は、新四軍が国民党から起義した艦艇と、八路軍の海軍支隊から始まった。当初は小規模なものであり、人員も約1500名あまりで、海軍建設の模索と実践が始まった。

国民党から離反した艦にあった鐘

毛沢東、朱徳が起義した国民党将兵へあてた電報。

黄安号が起義したときにその艦務官の鞠慶珍が使ってた時計、国父孫文デザインである。

裁縫袋と、起義した証明書。

人民解放軍の建設が決議された場面の絵画。

目前の任務についての指示1949年 毛沢東

毛沢東と朱徳による全国進軍に関する指示書の手稿。

華東地区海軍の建設。

人民海軍建設についての題字。


華東司令部で使用されていた品々。

司令部印。

当時の作戦参謀の黄勝天の功労証明書。

毛沢東と司令部員の集合写真と、建国式典に参加する海軍部隊。

最初に海軍司令部となった白馬廟の瓦。

当時のズボンベルト。

兵科章。

将校用カバン。

地方政府とのやり取り文章や入党志願書、命令書など。

1949年11月6日、広東まで到達した人民解放軍は広東軍区に司令部を開設。

1949年12月下旬に海軍の指導機関を建設、北京協和医院大ホールで結成大会が行われ、専用の建物も作られた。

最初の海軍司令官である蕭 勁光の写真とか指令書。

海軍成立大会での演説原稿とか構内への出入許可証とか。

蕭 勁光による島の視察。

ソ連海軍から贈られた蕭 勁光の双眼鏡と短剣。

同じく贈られた拳銃。

海軍建軍会議、共産党の絶対の指導の下に、工農を骨子とし、人民解放軍を基礎として大量の革命青年を吸収して、海軍人員を改造し、団結させ人民の海軍を建設することを決議。現代的な国防能力を持った海軍を目指した。
海軍への入隊試験や訓練の写真もある。

海軍建造三か年計画と、海軍建軍決議書、その報道。

入隊試験の写真。

国民党海軍からの転向組。

六分儀の教習。

当時の軍服類。

当時の使われていたものたち。

司令部の電話と卓上ライト。

水上艦部隊の結成、魚雷艇の戦隊などが作られた。

司令部の書類類、司令部印や拳銃、統一艦艇名称の決定書。

ソ連の海軍学校の卒業証、初期はソ連へ行って訓練していた。

長春の艦歴書と中ソ友好の書類。

初期の艦名プレートと命名書と船の模型。

ソ連からの艦艇引き渡しとか、司令官の視察とか、第六艦隊の結成式とか。

潜水艦隊建設に関する命令書とか。

ソ連からの潜水艦の引き渡しや人民海軍旗の掲揚。

潜水艦部隊の印章やレコード、毛布など。

1951年から54年にかけて旅順においてソ連の指導の下潜水艦部隊が建設された、写真は毛沢東の視察の場面。

航空訓練弾、計算尺、模型、信号銃など。

海軍飛行隊の装備と資料、名前は機密なのかまだ隠されていてびっくり。

沿岸防衛部隊の建設、1950年10月23日に建設。

沿岸防衛隊のppsh41。

迫撃砲。

海軍陸戦隊の建設、1953年4月20日に建設を開始し、1954年の12月9日に二個連隊が完成した。

当時の装備、モシンナガン、SKS、Akなど。

歩兵装備など。

毛沢東が海軍視察の時に使った品々。

集合写真や望遠鏡など。

毛主席関係のもの。写真と画集。

毛主席の海軍視察のジオラマ。

続々と建設される海軍学校。

海軍党大会の決議書や教本、日誌、身分証、精華大学在学中に海軍へ志願した人の書類。

当時の教材類。

海軍の会測定学校の卒業証書。

当時の優秀学生の証書。

学校関係のノート。

当時の教材。指揮機械、電気計算機原理。

東南北三艦隊の成立。

英雄的に善戦して海上国境を守る、砲火の中に生まれた人民海軍は、一に苦を恐れず、二に死を恐れずの精神で、海上国境を守るために奮戦した。

沿岸防衛用の機雷。

沿岸島嶼の解放、国民党に支配されている中国沿岸の島々の解放。長江の航路に敷設された機雷の掃海などを行った。

旅順港基地での条約締結の様子。

ソ連軍の帰国をスターリン広場で祝う市民たち。

条約が結ばれた机と中ソ両国の国旗。

1955年5月14日、国防省の命令で正式に旅順海軍基地が成立し、儀仗隊が組織された。

万山海戦、国民党が支配する万山群島の48の島々で激戦が繰り広げられ、人民解放軍は72日間の戦闘ののちに勝利した。

先鋒一号艇の碇。

動員、上陸と国民党将校の捕虜。

殊勲艦と海上先鋒艇の任命式典。

海上先鋒任命の命令書とか、解放号の乗員名簿とか、万山群島の解放の記念帳。

対空戦闘を行う船員や参加艦艇。

林文虎、戦闘中に壮烈な戦士を遂げて戦闘英雄に叙せられた。

革命軍人証明書。

栄光の家、立功証明書や証明写真。偉勲を立てた証明書類。

英雄の遺品。

林文虎の乗っていた解放号と所持していた拳銃。

東磯列島上陸作戦と三門湾海空戦闘。犠牲を出しながらも人民海軍は善戦した。

東磯列島戦役の戦闘機搭乗員がかぶっていた飛行帽。

仕事の履歴書と、功績証明書。

仕事のノートと、沿岸警備部隊の印。

アメリカ戦闘機の模型と司令部印。

嵊泗列島上陸作戦、二日で完全に開放した。

灘滸山島上陸作戦、杭州湾で抵抗する国民党部隊を撃滅し島を解放した。

魚雷艇による洞庭号撃沈の絵。

江山戦役の戦闘序列。国民党はアメリカとの相互防衛協定で抵抗しようとしたが、中央軍事委員会は華東軍区海軍に命令して、艦艇190隻、2個沿岸砲兵連隊、5個飛行団(爆撃機18機戦闘機38機)、の大兵力を集めて敵を打ち破った。

爆撃機装備の標準機や命令書、賞状、国旗など。

当時の魚雷。沿岸部では魚雷艇による激しい戦いが繰り広げられていた。

前線指揮所や航空視察、爆撃機など。

烈士の記念碑や殊勲艦、海図や占領した写真。

共産主義戦士安業民の胸像。

今でも時たま話題になる、台湾を占拠するテロリスト集団が侵略の拠点として使用した福建省の島金門島で激しい砲撃戦を展開した。

当時の生活用品などの資料と砲弾片など。

激しい砲撃戦の絵画。

人民英雄安業民の宣伝本と、人民大衆が彼に贈った記念品。

英雄董在瑞の本と彼の使った拳銃。

入党申請書。

王崑烈士の証書と勲章。朝鮮戦争系の勲章が多い。

模型や航空英雄の報道と拳銃。

飛行バック、日記や英雄の認定証。

中国本土での激しい航空戦が展開され、殉職者も多い。

八六海戦、1965年8月6日に中国福建省漳州市東山島沖で発生した、中華民国海軍と中国人民解放軍との戦闘である。中国沿岸上陸を気とした国民党軍が全滅し、司令官の胡嘉恒少将も戦死するなど大損害を被った。

鹵獲したM60機関銃やRPD機関銃など。

東山諸島防空で使われた機関砲。

トンプソンやグリースガンなどのアメリカ銃器。

鹵獲国民党兵器一覧。

賞状類。報告書はまだ黒塗りがある。英雄会測定の称号をもらったという証書もある。

毛主席が86海戦の報告書を読んでいる宣伝画。

顕彰の命令書や、後方勤務部隊による負傷者の回復状況の報告。

表彰大会と毛沢東による謁見。

各国語での英雄の顕彰。

剣門号の捕虜の写真と、611艇への海上英雄称号の授与。

国民党偵察機の撃墜。毛主席が直接表彰したほか、周恩来なども詳しく空戦の様子を聞いた。

偵察機の部品。

インカム、毛布、拳銃などの護身用武器等。

海上国境の安全を守る。

何度も行われたアメリカ軍機による領空侵犯に対して人民解放軍海軍飛行隊は反撃を行い、ついに撃墜することに成功した。

アメリカ軍機を撃墜した機についていた30ミリ機関砲。

毛主席が九回大会に出席した時に使ったマッチとネームプレート。

海上猛虎艇の表彰旗。

崇武海戦、八六海戦以降の大規模海戦で、中華民国軍艦艇一隻を撃沈。

当時の使用されていた物品。

活躍した戦闘機。

命令書とか、スライド映写機のフィルムとか。

活躍した猛虎艇の模型。

海上猛虎精神とそのモデル艦588艇の写真。

588号の鐘とか連装機銃や弾丸。

撃墜したアメリカ軍機の破片と機関砲。

特等射手の記章。

海南島におけるアメリカ軍偵察機と中国軍機の追いかけっこ。

飛行記録とか功績証明書とか。

海軍航空隊雄鷹団銘々大会と毛主席による題字。

建国パレードや運動会への英雄の招待状。

海上雄鷹団の旗。

機関砲。

1974年1月に陸海空三軍と民兵の共同の下に南ベトナム傀儡政権に占領された西沙諸島の、珊瑚、金銀、甘泉の三つの諸島を奪還した。

参加した281艇の模型や装備品など。

賞状

南ベトナムの捕虜う48人、アメリカ領事館の連絡官1人を捕虜にした・
写真は勝利大会と2018年の烈士慰霊式。

鹵獲したアメリカ製拳銃。

南ベトナム傀儡政権の船は4隻、中国艦艇が6隻参加した。

掃海の機雷処理写真。

海戦図。

ベトナム政府援助としての食糧供給や米軍機の撃墜、掃海中に亡くなった解放軍烈士はベトナムでも功臣に叙されている。

ベトナムで行われた感謝の宴会への招待状。

ベトナム政府よりもらった賞状。

掃海図と機器。

中国の援助兵士に贈られた勲章。

ホーチミンの言葉が書かれた友好記念盾。

撃墜したアメリカ軍機の破片で作った櫛。

撃墜したF-105で作った記念品。アメリカ製の毛主席グッズである。

アメリカ軍砲弾の破片など。

アメリカ軍爆撃機の残骸で作った毛主席像。

海軍現代化建設の基礎を自力更生で建設したという展示。

朝鮮戦争従軍関係の勲章や証書類。

勲章章記。

抗米援朝鮮記念章と朝鮮民主主義人民共和国勲章。

愛艦艇、愛島嶼、愛海洋。
海軍政治工作会議での精神教育スローガンとして採用されたものである。そのほか創造の模範となる功績を上げるや、文化体躯運動を展開することなども決議された。

人民解放軍海軍新聞の創刊。解放軍報ではなく独自の新聞ができた。

珊瑚の歌や人民海軍は前進するなどの海軍歌曲のレコード。

海軍新入隊員の教育教材や戦闘教訓集。

重症でも最後まで戦闘を行って部隊に帰ってきた英雄徐悲鴻の写真。

英雄名簿。

海軍の初めての英雄大会の記念章。

海軍の第一回党大会、毛主席の著作を学び強大で強いだけではなく文化的な素養のある海軍を作成することが決議された。

海軍の模範部隊や戦士の顕彰や、共産党の青年団との協力体制の構築。

勲章とか手紙とか。

宣伝箱とか。

運動会の記念章や毛主席著作学習積極分子大会の代表証。

艦の装備の一部の展示。

砲弾。

海軍の将官服。

少将礼服。

大将礼服。

立派である。

帽章に錨が入っている。

海軍艦艇一覧表と命名書。

最初の艦艇の命名式。

毛沢東思想を指針として、自分を主人とし、人民解放軍の練兵の伝統を恢復・発揚しようを指導思想として、堅固に質を高め、穏やかに進み、質と安全を第一にすると言う訓練方針のもと、訓練を行った。

最初の勲章授与式、第一次海上第閲兵、陸海空三軍合同の上陸演習を行った。

将官に授与された独立自由勲章。

周恩来による海軍に対する題字。

海軍の教育体系の改善、技能試験での練兵を強化。

兵学校卒業記念章と技術記念章。

スライド透写機用のスライド、海戦図である。

三打、三防の訓練。飛行機、戦車、空挺兵を打ち、原爆、化学兵器、細菌兵器から人民を守る訓練。

沿岸防衛の弾道弾部隊の建設。59年の6月に試験を始めて、63年の2月に沿岸弾道弾大隊と教育部隊が建設された。
77年の7月には国産潜水艦の建造に成功した。

毛沢東の指示によって訓練が行われた。

青島で64年に研究成果発表大会が行われた。

76年の12月25日から77年1月24日にかけて、潜水艦が初めての西太平洋での遠洋航海成功。

魚雷の整備と発射訓練。

252号潜水艦。

潜水艦のバルブ。

指揮通信の確立が行われ、レーダーが改良されて全天候警戒が行えるようになった。

警戒機器。

カンテラとか工具とか。

海岸防衛建設として、軍港、海軍飛行場、沿岸砲台などが建設された。

67年には地下格納庫や弾薬庫などの核戦争向けの施設も建設されていった。

海軍研究所も様々なものを研究開発した。

国民党から鹵獲した艦艇の老朽化のために新型艦の建設を始めた。

大別山のコンプレッサーの銘板。

当時の手紙。

271号艇、人民解放軍が最初に就役させた駆潜艇

旧艦船の復旧や、ソ連より新装備の購入などを行った。

初期の対艦ミサイル。

だんだんと海軍の形が整ってきた。

ソ連っぽい巡洋艦。

中国採用のソ連型潜水艦。毛沢東が視察して栄誉艦名をいただいた。

毛沢東語録の入った時計。

成都の艦名プレート。

潜水艦の設計図。

各種装備の開発製造を自主開発で頑張り始めた。

潜水艦関係の資料と模型。

自主建造潜水艦、水雷、沿岸砲。

中国自主製造の連装機関砲、西沙諸島の戦いに参加した。

原子力潜水艦の研究開発とその成功。

ワシントン級原子力潜水艦の模型と当時の計算機とか。

長征一号、前回の記事で見た潜水艦の試験と建造時の写真である。

中国初めての潜水艦発射型弾道弾と技術者の証書。

研究所の研究ノートとか。

カバンやコップ、ライトなど。

海軍第九次党大会の出席証。

造船所への出入証。

原子力艦の制服と防護服。

対艦弾道弾。

初期護衛艦やミサイル駆逐艦の模型と装備。

魚雷の弾頭。

潜水艦とミサイル護衛艦。

水雷の模型。

海軍部隊の潜水部隊が南京長江大橋の縁節に参加した時の装備。

国を愛し、民のために働くという展示。
航路や漁船を守っている。

液体燃料式弾道弾のエンジン。

中国最初のミサイルは1970年9月に実験成功したHY-1である。

災害救助の展示、重傷を負っても民間人を助けた英雄が表彰されている。

地方委員会からの感謝の手紙や災害救助に参加した人の名簿、医療カバンなど。

電話交換手や、海洋地図作成への協力などの展示。

灯台などのライトなど。

阿波丸事件(あわまるじけん)は、太平洋戦争中の1945年昭和20年)4月1日シンガポールから日本へ向けて航行中であった貨客船阿波丸」が、アメリカ海軍潜水艦クイーンフィッシュ」の雷撃により撃沈され、2,000名以上の乗客乗員のほとんどが死亡した事件である。阿波丸は日米間の協定で安全航行を保障されていたものの、攻撃を受けた。
阿波丸の残骸は1979年4月に中国政府の手によって中国領海内の福建省沖合11海里(約20km)の地点で発見された。中国政府は阿波丸の潜水調査を実施し、回収された遺骨158柱や遺品は日本側に引き渡された。同年7月5日、霞が関の厚生省にて帰還した遺骨の拝礼式が行われ、阿波丸遺族会の遺族ら約800人が参列して法要が営まれた[5]
これはその展示である。

第一展示場の展示はここまで、次回は改革開放以降の展示になります。



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