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佐藤信弥 古代中国王朝史の誕生 感想

主に説話から最終章では武帝の司馬遷までの本である。
最初に中国の記録で南史の氏のしつこさを誉め、それを現代の方方までつなげている。私は友人が中国民兵でコロナで苦労したし、本人も方方は間違いが多いというので、もし中国にいたら彼女を批判する方だが、伝聞も載せているという点で確かに古代の歴史認識や史記などにも通じる系譜であろうということではまちがいないであろう。

歴史認識、歴史観 事実から離れてみてるような感じ。
中国批判が少ない日本の研究者にしては驚くべきところであろうと思う。パンダハガーとそしられるかもとは感じた、先の南史のあたりは、よく昔の歴史はよかったが今の中共は~が定番であろう。
一世一元などでの元号批判などもある、古勝隆一先生の中国注疏講義でも改元と天皇制の不可分と春秋をつなげているが、それよりも細かく踏み込んだ感じがある。思うに私は天皇を評価しないというのは意図的であるとは思う、中国で毛沢東を解釈できるのが共産党だけのようにわが国では秦の始皇帝のように臣下による帝王の評価を避けているのである日本風の始皇、二世といえるかもしれない。
オスプレイなど宗主国の飛行機の墜落の表記を春秋の筆法と、微言大儀とつなげる、個人的には春秋時代でほろんだ国を復活させるのはよいこととされているし、復興させていただいたら感謝するものとされている、日本とアメリカの関係は晋や楚に滅ぼされてまた復国させてもらったような中小国と同じであるがこそよくアメリアに仕えているのであろう。
興滅国、継絶世、挙逸民、天下之民帰心焉、所重民食喪祭、
というやつである。
汚染水問題などでも意見を言っている、あれは大事紀年なのか春秋の筆法なのであろうか。知識人の責任として国の責任や国益に反することに言及するのは問題かもしれない、あまり大学人として最近の風潮では国家や党に反対することはよいとされていないので少し心配である。
また翻訳の文章だけでなく取り上げる文の書き下し文がついてるのがうれしい。
ツイッターで言われていることを反映したような記述も多い。ほかの教授とかもやってるのかも、佐藤先生はツイッターでよくお見掛けするのでわかるところも多いが、ほかの先生もそうなのかは要研究である。

甲骨や金文など以外の発見されていない資料も思いを致すべき、オーラルヒストリーや戦争の語り部は現代では批判されがちであるが必要があるかもしれないと思った。

歴史叙述は歴史認識日本の歴史書にも反映が重要。実際と歴史認識の変遷が面白いと思う。ヘーゲル含め、叙事詩の有無の問題は当時の東洋観、停滞の帝国、大野英二郎先生の本などを見ればわかる気もする、植民地支配などの関係で異質の強調させる問題があったのかもしれない。神話と叙事詩のつながりも相対的なものである、中国の現代史共産党神話、物語といわれるのの反対になっているだけであろう。

 竹書紀年は逆張りか、春秋の現実にあったことを反映したものなのか、儒家の歴史観も含めての歴史認識が出てくる、現在のネット上の特定の人物へのオタクの逆張り擁護や、中国の出来事の露悪的な言い方にするのを見れば竹書紀年のこともわかりやすいのではないであろうか?

暴君の存在が必ずしも国家の破綻につながらない、トランプや習近平について述べるが、清朝や明朝でもいけるであろうこれは先生自身がTwitterであったかもしれない。日米中の事例を重ねているが、ツイッターでも日中を重ねて論じられていることは多いと思う、ふつうは中国で毛沢東の例などをとるのが通例だと思うので、日本に引き寄せるのは面白い反面政治的な危険さも感じる。

始皇帝の前にしっかりと当時の書籍について書かれているのがうれしい。

焚書坑儒と思想統制、稲葉一郎、日本でよくやられている直接規制ではなく圧力などでやめさせようというのが思想統制でないのなら、実際の焚書なども統制ではないのかもしれないが、しかし暴力を用いて占領した側が押し付けているというという面を見る必要がある、そもそも始皇帝はほかの六国の文字を奪ったのである。現在の新彊やウイグルの問題を考えれば、これは立場と向く問題によるのかもしれない。わが国でも朝鮮台湾への日本語の強制はよいこと、向こうが日本語を話すのを素朴に嬉しがる人は多いからである。これも普通話を少数民族が話せるようになることを歓迎するのと同じであろう。

史記における司馬遷の態度と歴史認識、現代の左派とつなげているのは面白いが、やや唐突に感じる。

大事紀年でコロナを取り上げている、日本では武漢肺炎だか西戎・西蛮の疫病に難ずるの年なんだかになりそうである。

最後の~の年については冒頭に述べたのであえて述べないが、私は放出に反対である。

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