たは''た ゆういち(藤束)

たは''た ゆういち(藤束)

最近の記事

悲怒の行方

僕は今日の体験、得たこと、考えたことを、言葉にしなければならない。 誰に伝えるわけでもないけれど、共有しなければならない。 誰かに、届くことを祈らなくてはいけない。 「当たり前」と思ってくれたらそれで僕は報われる。 ハンセン病資料館に行った。 霜村三ニ(さんに)先生という、ハンセン病のことを小学生、教員志望、若手教員に伝え続けてきた元教師(73歳)に案内をしてもらい、水俣病にかんする教育を研究している大学院生の1つ年上の先輩と3人で、新秋津に赴いた。 ハンセン病に関する

    • 化石の僕へ

      夏は夜、月の下にはサラリーマン さそり座ちょうちん羽虫たこ焼き 退勤してから街に繰り出す、 子供が駆ける七夕の宵 風切る狐の坊主の手には、 ティラノサウルス知育のお菓子 縒れたワイシャツに滲み出す、 二十年前、長瀞、石畳の記憶 更新世への家庭訪問、 パレオパラドキシアの墓荒らし 太古の香水、清く流るる白い骨 粉骨砕身、岩壁を削ぐ、汗、泥だらけの深爪 粉にした骨は、飲み込めば薬になったらしい 良薬や口に苦し、 甘酸っぱい青春は清涼飲料水に溶けるのか 身はとっくに砕かれている、

      • 無知についての備忘録。

        妹が今ポーランドにいる。 2月13日に日本を発った。語学留学的な何かだそうだ。あまり詳しいことは聞いていない。半年したら帰ってくるというのは聞いた。 「戦争が始まった」という言葉を実感することはできなかった。文字通り、遠い場所のお話だった。 大学受験に使った社会科目は日本史だった。世界史はだいたい中学校までの知識しかないし、地理は嫌いではないけど苦手だった。 ポーランドが戦地の隣にあることを知ったのは、その日の家族LINEの会話の中だった。 「無知であることを自覚す

        • ノート。

          超綺麗だった中秋の名月から一夜、今日は雨に打たれながら原付に乗って村へ帰ってきました。 『 オシャレは我慢』と昔友人に諭されましたが、人生22年目、早々に諦め、僕は今年もワークマンを羽織ります。暖。 さて、僕の周りの文才溢れる方々に流されて、 ついぞついぞ、ノートを始めてみました。 ツイートでは語り尽くせぬ恥ずかしい文章を残しておきたくなった時 なんとなく、誰かに見せたくなった時、使ってみようと思います。 思い出であり、読書記録であり、備忘録です。 自己紹介 というの