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悲怒の行方

僕は今日の体験、得たこと、考えたことを、言葉にしなければならない。
誰に伝えるわけでもないけれど、共有しなければならない。
誰かに、届くことを祈らなくてはいけない。

「当たり前」と思ってくれたらそれで僕は報われる。


ハンセン病資料館に行った。
霜村三ニ(さんに)先生という、ハンセン病のことを小学生、教員志望、若手教員に伝え続けてきた元教師(73歳)に案内をしてもらい、水俣病にかんする教育を研究している大学院生の1つ年上の先輩と3人で、新秋津に赴いた。

ハンセン病に関する知識はほとんどなかった。
事前に共有してもらった資料を電車の中で、1時間半かけて読んだ。
霜村先生が何年もかけて作った資料。「知識」と呼ばれるもの、当事者の言葉、『もののけ姫』でハンセン病患者をモチーフにした病人を描いた、宮崎駿の想い。
読むだけでも、胸が詰まる強烈な言葉、「事実」の数々がここにある。
資料館で見たもの、先生の言葉も、この資料に沿うものだった。

先生から許可をもらったのでここに載せる。
37ページあるけれど、これを見てもらえただけでも、ここに記した価値があるのと思うのでぜひ。




さて、願わくば、一瞬でも上のファイルを開いたうえでここから先は読んでほしい。いや、お願いなんてできる立場でないことは重々承知の上だけれども。

僕は月並みなことを言いたいのではない。

けど月並みな言葉を語らないことは、僕の個人的な誠意に反する故、残す。
当事者ではない僕が感じたのは、「悲しみ」と「怒り」だった。
なぜ、何の罪もない人々が「業病」「天刑病」といわれ、あたかも自分の血筋、前世が悪かったかのように扱われ、人に非ざるものとして石を投げられなければならなかったのか。
彼らが道で物乞いをすることが、「文明国」にふさわしくない等と誰が行ったのか。「療養所」であるにもかかわらず、3mもある柊(針葉樹)で回りを覆い、周りからは見えないようにした。「無癩(らい=今は差別用語)県運動」と称し、県ごとに収容した人数を競わせた。
労働はさせるが、園の中でしか使えない通貨を発行し、
断種、堕胎を強要するが、結婚は許していた。
草津の重監房では、22人が凍死した。
ただ、脱走をさせないために。

「他人のことだから業病などと言えるのだ」
「腐っていく肉の塊に意識があることが矛盾であることのように思える」

撮影は禁止だったがメモに残した。
「悲しみ」「怒り」の根源として、これらはあまりに十分すぎる。


僕は月並みなことを言いたいのではない。

僕は間違いなく「悲しみ」「怒った」

けど、これは誰に、何に向けたものなのだろう。
当時の国に? 大きすぎる。
亡くなっていった方に? 今の語り部に? 顔も知らなかったのに。
差別を嬉々としていた、声を挙げなかった国民に? 曖昧過ぎる。
知らなかった自分に? 

「知らないことは罪である」という言葉。
「罪」は「許す」ために「裁く」のかなぁと思う
明確な誰か(何か)が、具体的な「罰」をうければ、形式上起きた「過ち」は清算される。門外漢ながら、そうやって法の世界はまだ回っているのだろうなぁと。

資料館は国立である。
国立であるということは、国が「過ち」を認め、それを残し続けているということである。
展示には、たくさんの悲劇と、過ち、どのようにして、
抑圧的な国から、無関心な世間から人権を勝ち取ってきたかが、ありありと示されていた。

と、同時に、彼らの強い「生」のエネルギーもまた強く主張されていたように見えた。感覚のない指でつくられた陶芸。目が見えない患者たちが組みあげたブラスバンド。詩人、文学者。病にかかった歌舞伎役者が、患者たちに芝居を教えて、歌舞伎を上演していた。それらは決して「痛々しさ」を表すものではなかった。どれも、(僕がたいした眼を持っているわけでもないが)丁寧な、見事なものに見えた。

僕は、例えばここに「悲しみ」も「怒り」も向けたくはない。
だが抱いたこれらを否定してはいけない。
出来事は、殺人は間違いなく、憎むべきことだ。胸を痛めるべきことだ。

ずいぶんと遠回しに書いてしまった。
つまるところ、僕はすっきりしたいのだ。
美味しいものを美味しいというように、かわいいものをかわいいというように。
悪いものを悪いといい、美しいものは美しいといいたいのだ。
悪いのが僕であろうが、僕を含めた世界であろうが、過去であろうが未来であろうが。そこは多分そんなに関係がない。
現に、書きながらちょっとすっきりしてきている。

でも、すべてを明らかにしたとき、
その瞬間、すっきりした瞬間、僕は「裁かれた」気になり、「清算」されるのだと思う。「罰」を受けた気になり、「許された」気になるのだと思う。そんなことは絶対にしてはならない。


やり場のない悲しみと怒りを、どこにもやることなく、このまま忘れない。

無知である罪と、知りかけたことへの責任。

もう以前には戻れない。


あえて言葉にする。
責任を果たすこと。苦しい今の景色に、罪人を少しでも招くこと。
柊を見て、ただクリスマスや節分だけを思い出さないようにすること。
思い出させないようにすること。

来月。
戦争についての芝居をする。
悲怒の行方は、言葉にしない。


また行きます。



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