雑多)ここ数日のメモ
(何か偉業をなさねば…)
(働いて、みんなの役に立って、地位を築いたり名誉を得なければならない)
という思いが湧いてきて、苦しむ頻度が高い。
幼い頃、父がよく言っていた。
「みかこは政治家になるんだ、○○先生なんかそっくり。」
冗談のつもりだったかもわからないけど、何度も何度も聞いた覚えがある。
私は政治家になりたいと思ったことがないし、なりたいと言ったこともない。
お嫁さんとか保育士さんになりたいとは言ってたと思うけど…
期待されてるように感じた、小さな私がとても偉大な何かに成ること。
弱者を切り捨てることについて否定しない内容を見聞きした時、お前は切り捨てられても仕方がない存在だと言われてるようだった。
強い怒りを感じた、否定したくて
それがいかに愚かで浅はかな思想かを証明する文言を集めることに時間を割いた。
改めて確認してみたら否定も肯定もされてなくて、そんな未来が来てしまうかも(来てしまったら…)という内容だった。
「ろくに働かないやつなんか死んでしまえばいい、と思ってる人はたくさんいるよ」
「労働と納税は国民の義務、義務を果たしてもないのに権利を主張するのはおかしい。」
そういうことも、言われてきたや。
死ねってことかなと思った。
「俺たちが払ったお金で、楽して生きてるの羨ましい。」
決して楽ではないんだけれど、楽そうに見えるんだろうね。
生きててごめんなさいって思った。
私「過去は過去だとわかってる、頭ではわかっているのに怖いって感覚は強いままで身体が痛くなったり苦しくなったり生活に支障が出てる。」
▶「わかってるって言ってるだけで、わかってないんだよ。」(謎の決めつけ→説教コンボ)
私はこの発言をした人が決して嫌いではなくて、むしろ仲良くしていて
よかれと思って善意で言ってるんだと感じたから、余計につらかった。
「お前にはわかんねーよ」
って言い返しても良かったのに、泣きながら大人しく聞いた。
働かなくていい、最低限の家事と子供をお世話してもらえたらじゅうぶんすぎるほど大満足。
動けなくなったり情緒不安定になるのもしかたないこと、一人の責任じゃない。
死ぬな、自分を責めるな。
いま、家族は私にそう言ってくれてる。
ごめんね、迷惑かけてごめんね。
役に立てなくてごめんね。
ごめんなさい。
働けないと働きたくないの違いがよくわからない、私は怠けているのかもしれません。
働きたくないだけかもしれないけど、それと同時に
働きたい、働かなくちゃ、褒められたい嫌われたくない
人の役に立てたら嬉しいって強く思う。
嫌なこと、私一人が我慢すれば誰にも迷惑かけず嫌な思いもさせず、丸く収まる。
みんなが楽できる、喜んでくれる。
嫌だけどやらなきゃ…でも心の底から嫌だ。
とても怖くて苦しい、やりたくない。
昔だったら、ふざけんなってボッコボコ攻撃されてたけど
今、嫌なことを嫌って言っても
「そっか!オケオケりょーかい!」
で済むだけじゃなくて
私「ごめんなさい私が悪いです責任とらなくちゃ私のせいでみんな(略)死ななきゃ死ねない死にたくないうぉおあああ」
ってヘラっても受け止めてくれる人がいる、とてもありがたい。
『他人を変えるより自分を変える』
これ、頑張りすぎて
自責とか自己否定・自己嫌悪に拍車をかけていたかなって気づいた。
今の私や、私の中のどんなに努力しても変わらない部分を
それでよしって受け入れたり、私の感情や感覚を守っていきたいな。
考えすぎとか、考えるのやめな?
真剣すぎる、もっとテキトーに、
どうでもいいこと気にし過ぎ、とか
すっっごく言われる。
そんな私じゃなければ、不可能なこともあるんだよね。
変えようと思って簡単に変わることじゃないし、私の長所でも短所でもあり個性。
「あなたのこういうところ、もっとこうしな?原因はあなたのこの部分です。」
って言われる度に(グッサァアアア🔪)と感じることも含めて
それが私なんだから、違う何かになろうとしなくて良いと思いました。