私の人生における阪神(前編)

2023/09/14阪神タイガースが実に18年ぶりにペナントレース優勝を果たした。

前回優勝した時は私も小さかったため、優勝した記憶はあってもそれがどう言う事なのかについてあまり理解していなかった。
覚えていることとすれば、イオンの一階が阪神の横断幕でいっぱいになっていた事くらいだ。

大阪出身の父親の影響で幼少期から自然と阪神やオリックスといった関西の球団を応援するようになっていた。

兄と2人でプロ野球チップスを開ける時は阪神が当たれば兄でオリックスが当たれば私に分配されるという不平等条約を突きつけられた事を思い出す。
今岡や金本、赤星が当たっても全て兄の手元に行き、私の手元に残っているのは知らないオリックスの選手がチラホラとダブったから要らないと言って渡された下柳が3枚と言った具合だ。

当時の父親がよく口に出していたのは、「阪神あかんわ」「巨人嫌いや」「中日嫌いや」「中日か巨人かで言うと中日が嫌いや」
そんな環境で育ってきたものだから、小学校で友達とプロ野球の話をした時に、この世に巨人ファンがいることに驚いた。(中日はいなかった)

純粋にバイキンマンの事好きなやつもおるのか。
実際はその子にとっては巨人がアンパンマンなのだが、人それぞれの価値観がある事を感じた最古の記憶はその時の阪神巨人正義論争なのかもしれない。

私たち兄弟がプロ野球チップスの事でよく喧嘩をしていた頃、家族で阪神の試合を見に行ったことがある。
まだ小さいながらも、その時の事は鮮明に覚えている。試合内容ではなく、阪神ファンのオッサンだ。

「金本ここまで放ってこーーい!!」
「関本なんやそのおもろい顔は!」
「兄ちゃんそのファールボール、このビールと交換せえへんか?!」

酔って顔を赤らめた阪神ファンのおじさんが大声を上げると、ドカンドカンと笑いがおきる。

テレビ中継では淡々と野球が行われていて、ファンの会話やヤジなんてものは届かないから、とても新鮮で不思議な気持ちになった事を覚えている。

2008年、最大13ゲーム差をひっくり返されて優勝を逃し、岡田監督が退任した。
その時の父親は笑顔を浮かべながら「阪神あかんわ」といっていた。おそらくそれが成人男性の呆れ笑いの最古の記憶だろう。学校で使っていた阪神の筆箱も、気づいたらプーマの缶ペンケースになっていた。

そこから長らく、阪神がくすぶる時期が続いた。日本の総理大臣と阪神の監督はよく変わるなぁと子供ながらに思っていたほどだ。

つづく

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