お子が欲しいという感情

この記事は2023年8月に執筆したものです。


28歳、牡羊座、B型。独身女。

アラサーの私のタイムラインは、毎日、婚約報告や、結婚式の写真で溢れかえる。

そして最近増えてきたのは、妊娠出産の投稿。
マタニティーフォト、エコー写真。生まれてきた子供の手。ニューボーンフォト。マンスリーバースデーの写真。お宮参り。お食い初め。ハーフバースデー。離乳食開始。たった。歩いた。喋った…。上げ出したらキリがない。

別に皮肉や批判ではなく、本当にこの手の投稿が多いのだ。
日々、仕事に邁進し、そんな世界とは無縁の私でも、否応がなく意識してしまうのだ。
お子のことを。

結婚しなくても、幸せになれる時代とはよく言ったもので、厳密に言えば、自分の面倒を見るだけでこんなに大変なのに、その上さらに誰かと生きていくなんて。しかも、自分の面倒なんてこれっぽっちも見れない生き物を同居人とするなんて。
無理だ。絶対に無理。
子供は贅沢品。その通りである。仕事を離れて収入がない中、どうやって生きていくというのだ。
しかも、この生きづらい世の中に、犯罪や災害や疫病が蔓延するこの世界に、私の生まれてきてほしいという願望だけで、産み落としてしまうことの方が不幸なのだ。どうせ、私はその子より早く死ぬ。その子がその先幸せであるかなんて、そんな保証どこにもないのに。

時たま私も思うのだ。産んでくれなんて頼んでない、と。
せっかく生まれたから、しょうがなく私にとって難のない、無難な選択肢を選んで生きているだけなのだ、と。

ずっとそうやって思って生きてきたのに、
そうやって自分を納得させてきたのに、
そうやって産まない人生を正当化してきたのに。

ずるい。
どう頑張っても、子供が産まれた後の人生を想像してしまう。
それが当たり前にこの先広がってると言わんばかりに、ごく自然に。
妊娠できる保証などこれっきしないのに。

やっと気づいた。
私は子供が欲しいのだと。

全ては私のエゴで、
私のわがままで、

まだ見ぬ私のお子を望んでしまっているのだと。

ごめんな。私の勝手で君には産まれてきてもらうかもしれない。
けれど、産まれてきてくれてよかったと、きっと私は思う。
君の人生を勝手に始めてしまうことを許してくれ。
私は私の全てをかけて、生きていることの喜びを君に伝えたい。

とてもおかしなことだけど、まだ産まれてきてもいない君を愛してる。
愛しているんだ。


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