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子育てを通して、「幸せ力」を開花してもらっている事に気がついた出来事

子育てしている方は、深い深い共感を抱いてくれるだろうと思う。

静かにお風呂にゆっくりと入るって、とても幸せなこと。

今日、地元の温泉に来て、もうすぐ4歳になる娘が、誠にひっさしぶりに「おとーさんとはいるー!」と言ってくれて!!

突如一人でゆっくり入れることになった…!!
いつもは、娘のペースを追いかけるように、頭の中フル稼働で嵐のように過ごす。
そんな身近な温泉が、こんなに広かったかなと、少し忘れ物でもしたような感覚でしたが。

シャワーを浴びて、いつも本当は1番に入りたいノーマルな湯船(娘がいたら必ずカラフルな入浴剤の湯船に入らさせられる)に、すーんと入った瞬間の、ビリビリビリとしびれるような、「あったかーい!気持ちいい〜!」の感覚。

その時ふっと、この感覚は…と、思い出したことがある。

人生で一番最高のお風呂だった、秋保温泉。
あれは、2011年の東日本大震災の時。
当時仙台に住んでいた私は、ライフラインが完全ではない生活をしていた。
ガスはひと月は戻らなかったと記憶している。
そんな時、やっとガソリンを入れることができた車で、母と秋保温泉のお風呂に入りに行った。

不便で気を張った生活をしていた日々。
そんな時に入った何週間ぶりかのお風呂は、もうたまらなく格別だったんだ。
あの時の、あの瞬間のビリビリとした幸せの感覚と、今日のお風呂の感覚がリンクしたのだ。

ここでひとつ感じたのは、幸せを感じきるには、その裏側を癒すことと、全集中で受けると意図している必要があると言うこと。

娘が転ばないかヒヤヒヤしながら入る中では、お湯が心地よいことを感じ取る余力は無かった。
そんな不便や不足感が満たされていくそのベクトルが、心の動きが「幸せ」なのだとしたら。
幸せの正体は、実は動的なものなのかな。

その心の動きは、注力していてこそより鮮明に認識できる。つまり、「幸せの感覚」のセンサーの精度はきっとこれによってグッとあげることができるはず。

苦労や辛さは、必ず糧にすることができるってよく大人達は励ましてくれたよね。
でも、心持ち次第では、重たーい錘(おもり)として携えている人もいるよね。
溜め込んで溜め込んで大きなベクトルにしようとしているのかもしれない。
それは、各々の自由だと思うんだけど。

話がそれちゃったけど、
ここで言う「糧」は、ある種、それを反作用化して「勢い」をつけて幸せベクトル化できる人にとってのこと。
重たい錘として携える人にとっては、むしろ持っているだけでエネルギーを消費する悲しみの経験でしかない。

幸せな人は、全力で全集中で目の前の出来事から幸せを感じきる。心の動きに向き合い、肉体の反応を感じることで心身ともに「幸せ〜」のエネルギーで充満させる。
糧があれば、それが加速するかも知れないけど、必須のものではない。だから、本当の意味で幸せのベクトルを稼働させるエネルギーを持っているひとって、無限に幸せエネルギーを作り出せる、恒星のような人なんだろうな。

「今」のタイミングを可能な限りそれに費やす事で、着実に幸せな人になれるに違いない。

ああ、私は、娘に忙しくてもどかしい時間を提供してもらう事で、たくさんの「糧」をもらい、勢いをつけてもらって、どんどん幸せな人能力を鍛錬してもらってるんだなぁ…

思ったら、また、身体がビリビリと幸せを感じているのでした…☺️✨

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