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「朝いつものように起きて、夜いつものように寝ること」ができる幸せについて


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2024年になって2週間が過ぎた。

なんというか、時間の流れはあっという間で、気づいたら1ヶ月の半分が過ぎようとしているわけで、年を重ねるたびにその感覚は強くなっている。

そんなふうに、あっという間な2週間だったわけだけれど、その2週間ほどで、なんというか自分の人生観みたいなものが大きく変化するような経験をした。

まあ詳しくは書けないのだけれど、今の自分がとても強く感じていることは「朝いつものように起きて、夜いつものように寝ることができる」というのは、あって普通なことではなくていかに幸せなことかということである。

今年40になったばっかりだけれど、なんというか、年を重ねてくるとちょっとずつ「人生のゴール」というのを、いつの間にか意識するようになった。

とはいえ、まだまだ先のことだろうとのんびりかまえていたけれど「1年後に自分がどうなっているのかなんて、わからないんだよな」とふと、思うようになった。

それが「いやいや、半年先のことだってわからないぞ」と感じるようになって、自分の父が病気がわかってから1、2ヶ月ほどでこの世界から旅立ってしまってからは「1ヶ月後だって自分がこの世界にまだいるのかなんてわからないんだよな」とショックを受けた。

そうやって僕の人生観というのか生きること、人生のゴールについての考えというのは、ちょっとずつ変わっていったわけだけれど、ここにきて、つまり今年になってから2週間ほどで、自分でもこれくらい人生観が変わるのかと思うような出来事が身近であった。

なんというかこれまでは、1年後とか半年後とかあるいは1ヶ月後とか、ちょっと先の自分がどうなっているのかなんて、わからないものだと思っていたのだけれど、今では「朝いつものように起きて、その日の夜にいつものように寝られるのかだってわからないんだよな」というふうに思うようになった。

それと同時に、何気ない日常だったり、だいたいは同じような過ごし方をしている日々、そして「今こうして自分がこの世界に存在していることそのもの」が、どれだけかけがえのないことであり、幸せなことであるかということにようやく気づいた。

だからなんだろう、これまで自分の頭の片隅にあったようなこと、例えば好きなことで生きるとか、たくさんお金を稼ぐとか、フォロワーがたくさんいるとか、何かで成功するとか、有名になるとかそういうことに、まあこれまでも興味はほとんどなかったのだけれど、もう何も思わないというのか気持ちが向かないようになった。

こうして生きていること、つまり朝いつものように「よく寝たなあ」と起きて、夜いつものように「あったかい布団はいいなあ」と感じながら寝ることができること。

僕にとってはもうこれでいいというのか、いつものように朝起きて、いつものようにこうしてエッセイを書いたりして過ごして、夜いつものように寝るという日常そのものがあれば、十分に幸せなことであるし、これ以上を望もうという気持ちにならなくなった。

そしてこれからは、まあ僕はなんにも持っていないも同然の人間ではあるけれど、それでも自分に何か与えることができることがあれば、ためらうことなく与えられるようになって、生きることそのものに感謝して楽しみながら心穏やかに生きていきたい、心からそう思う。

とはいえ、何かを悟ったみたいなそういう高尚なことではなくて、これまでよりもさらに今の自分が「生きているということそのものが幸せ」ということにちゃんと気づいたというのか、ぼんやりと思っていたことがよりクリアになったような感覚であるし、年明けからそういう気づき、学びを得たことに感謝の気持ちでいっぱいであるしこれからの自分の生き方はまた変わっていく、そう感じている。


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