noteで文章を1,000回書いて感じたことについて
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今日で、僕がnoteで毎日エッセイを書き始めてから1,000日になった。
1,000日というと、えーと計算すると2年と9ヶ月くらい(計算、あってますか?)毎日、このnoteで何かしらの文章を書き続けていることになる。
まあ、めんどくさがりでナマケモノで、三日坊主の自分がよく続けているなあと思う。
これはやっぱりなんといっても、このよくわからない文章を読んでくれたり、反応をしてくれる皆さんのおかげで、こうして今日も文章を書くことができています。いつもありがとうございます。
それと、普段は自分を褒めるということはしない、というのか、したことがほとんどないと言った方が正しいのかもしれないけれど、今回くらいは、自分に対しても「よくやったね」という言葉をかけてあげたい。
正直、1,000日も書いている感覚が全くないというのか、振り返ってみると長い道を歩いてきたんだなあと感じるけれど、僕としては日々、一歩ずつ進んできたというのか、今日エッセイをひとつ書く、また今日もエッセイをひとつ書くの繰り返しで、とりあえず一歩を進めることを続けていたら、スタートからだいぶ遠くまで歩いてきたということに気づいたという感じである。
そして改めてわかったことは、僕は「文章を書くということが好き」だということである。
僕は別に、小さい頃から文章を書くことが好きではなかったし、日記とかも自分からは書いたことはないし、むしろ読書感想文とか絵日記とか何かしらの文章を書くということは苦手な方だった。
それが30代も後半になって、ふいに「エッセイを書いてみたい」と思い立って、何もわからないまま、とりあえず浮かんでくる言葉をキャッチしてはこうしてパタパタとパソコンで文章を書くようになった。
全く何も浮かんでこない日もあれば、不思議とすらすら〜と、気持ちいいくらいに言葉が浮かんでくるという日を繰り返しながら、日々その時その時の「今の自分」と向き合いながら書くというのはこれまでずっと変わっていない。
だから、今の自分と向き合いながら文章を書くということは変わらないけれど、それでもちょっとずつ「今の自分」というものは変わってきているから、読み返してみると自分の足跡というのか、その時にどう思い、どう感じて進んできたのかということがわかると思う。
僕には、特別な才能もなければ、センスもないし、根性みたいなものも全くない。
僕がこうして、毎日エッセイを1,000日ほど書き続けてこられたのは、才能やセンスがあったからでもないし、増してや僕の苦手な根性とかでもないことは自分がようくわかっている。
続けられている理由は、シンプルに「好きなことだから」という、ただただ単純にそれだけのことなんだろうし、好きなことだから楽しいし、楽しみながら続けていると、それが大変だとは全く思わない。
むしろ、こうやって毎日、何かしらの文章を書くことができる幸せを感じられるのだから、ありがたいことだよなあと思うし、続けられる限りはまたコツコツと楽しく、これからも文章を書いていきたい。
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