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他の誰にもならない、自分になることについて

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かれこれ40年ほど生きてきて、ようやく、なんというか「自分は他の誰にもなれない、自分になるしかないんだ」と思えるようになってきた。

それこそ僕がずっと好きなバンド、オアシスのsupersonicという曲の歌詞にもあるように「I need to be myself I can't be no one else」「私は自分らしくある必要がある 私は他の誰にもなれない」という意味がわかるようになってきたというのか、受け入れられるようになってきた、ということなのかもしれない。

若い頃、それこそ音楽をやってみるとか、何かを始める動機として「誰かに対する憧れ」つまり「自分もああいうふうになりたい」というものがあるわけだけれど、僕もそういうふうに誰かに憧れを持って何かを始める、ということは多かったし、「自分になる」なんてこれっぽっちも思っていなかった。

とはいえ、最初は「誰かになりたい」という憧れで何かを始めたとしても、続けていくうちに、前に進めば進むほど、自分はその憧れの人にもなれないどころか誰にもなれないし、どんどん「自分」というものが浮き彫りになってくることに気づいた。

昔はそれが嫌でしょうがなかったというのか、自分になりたくなくて、他の誰かになりたかった、というのかなんだろう、自分とは違った何かキラキラした存在と言えばいいのだろうか、そういうものになりたかったように思う。

それは挫折というのかよくわからないけれど、他の誰かになりたくて、進めば進むほどに「自分らしさ」というのがくっきりとしてきて、自分は他の誰かにはなれないのだということを思い知ることになる。

けれど、今になって、もしかしたら僕にはそれくらいの時間が必要だったのかもしれないけれど、ようやく「自分は他の誰にもならないで、自分になって自分として、生きていくしかないんだ」と素直に思えるようになってきた。

そして、昔はあれだけ嫌だった「自分らしさ」みたいなものを、好きだと思えるようになってきた。

ずっと遠ざけて、ほったらかしにしていた自分とようやく仲直りしたと言えばいいのか、「僕は僕のままでいい」と自分を認める、肯定するということがこの年になって、しかもそれは、ネガティブではなくてポジティブな気持ちでできるようになった。

だから今は、自分であるということに、心地よさを感じているというのか、ネガティブな感情は全くない。

できることもあるし、できないこともある。

向いていることもあるし、向いていないこともある。

人が普通にできることを、普通にできないこともある。

人が普通だと感じることを、普通だと感じられないこともある。

好きなこともあるし、嫌いなこともある。

好きな人もいるし、嫌いな人もいる。

そんな自分をまるっと今は受け入れられてきているし、これまでは誰かになろうとしてあーだこーだともがいていたけれど、それをやめて「これが自分でーす」と自分にも外にもオープンになったら、だいぶ気持ちがラクになったし生きやすくなった。

なので、これからは他の誰かになろうとするのではなく、「自分になる」ことを目指して無理なく、ゆるく、楽しく生きていきたいし、きっとそっちの方が、幸せな生き方なんじゃないかと今の僕は思っている。


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